妻と共にがんと闘った追憶の日々
君を夏の日にたとえようか 第27回
架矢 恭一郎さん(歯科医師)
顕と昂へ
君を夏の日にたとえようか。
いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
――ウィリアム・シェイクスピア
第七章 エピローグ
18.2人の生活、ふたたび
恭子と2人の生活が始まる。2人の生活が戻ってきたといってもいいのだろう。
やらなくてはいけないことは山のようにあって、どこから手をつければいいかすらわからない。思いつくことから順番にこなすしかない。
私は、恭子が私の傍にいつもくっついていてくれていると信じている。だけど、本音を言えば、今の私には恭子が私のどの辺りにくっついてくれているのかが、実はいまひとつ定かではない。遺骨が寒々として真っ暗な寂しい山の中の墓に納骨されてしまう前に、仏壇にずっと置いておくための小さくて綺麗な骨壺と、私の首に常に掛けておけるペンダントに遺骨をこっそり取り分けてみたが、ペンダントの辺りに恭子がいるようにも思われない。時間をかけて、きっと恭子が隠れているところを突き止めるつもりでいる。かくれんぼしている恭子を捜すように……。
2月に乳がん脳転移の髄膜播種が原因の水頭症の緊急手術をして、最期が近づくにつれ、3月から6月まで家での闘病、緩和ケア病棟で世話になった6月30日から50日間を通じて、いやその以前の転移性乳がんと診断され、共に治療を受け続けた2年前からの闘病をも含めて、恭子という人をつぶさに見ていて、この人は普通の人間ではないという思いが次第に強くなり、確信となっていった。
どこの世界に、自分ががんで到底長生きできないと薄々感じながら、怒りを露わにもせず、絶望で捨て鉢にもならず、泣きわめきもせず、落ち込んで鬱的にもならず、周りの人々への配慮を忘れず、自分や身内の自慢は決してせず、がんに敢然と戦いを挑み、子どもたちを愛し、夫に寄り添い、両親を慈しみ、友人を大切にし、知人に礼を尽くし、声楽のレッスンに挑戦し、音訳に情熱を傾け、合唱に魅了され、夫との日々をいとおしみ、夫との会食を喜び、人々に愛され、人々に愛を届け、静かにひっそりと微笑みながら佇んでいることのできる人間がいるだろうか?
どのような偉大な力の差配によるものかは定かではないが、恭子は結果的にがんによる痛みに苦しむことはなかった。最期を迎える時期にも、この世に別れを告げることへの悔恨や苦しみからはおおいに解放されて、あらゆるものに対する感謝と慈しみという純粋なもののみが恭子の内に残されることになった。
「人間としての最高の達成」
私の愛読する米国の作家ポール・オースターが、著書の中で述べている一文がある。
「人間にとっておそらく、終わりに至って愛すべき人間であることこそ最高の達成だろう」(柴田元幸訳)
恭子は緩和ケア病棟のベッドで過ごした最期の50日間、誰に対しても笑顔と感謝を忘れず、泣き言や恨みや怒りなどのことばを一切口にすることはなかった。涙すら流すこともなかった。終始穏やかに行儀よくベッドで過ごし切った。恭子はいともたやすくオースターのいう「人間としての最高の達成」を成し遂げたのだ。
初めに、恭子は天使か妖精だったに違いないと信じた。つまり、人間として生を受ける以前は、妖精だったに違いない。人間として他界したのちに、元の妖精に戻り私の周りをフワフワと漂ってくれているのだ、と。
私のこんなふうな言い方を幼稚な誤魔化しや、すり替えだといって笑う人は多いかも知れない。しかし、例えば、東日本大震災で子どもを亡くした夫婦や、夫をなくした妻などが、あたかも失った家族が傍にいて話したり相談したりすることを当然のことのようにテレビで語っている場面を見ることがある。不幸にもかけがえのない家族を受け入れ難いかたちで失った人々が、例えば、大自然の猛威であっという間に最愛の家族を奪われたり、早すぎる死であったりしたときに、他界した魂の音をとても身近に感じ取ることができるのは至極当然なことのように思われてならない。
「空想の延長線上に現実がある」
常識や科学というものや、人間の知恵をあまり過大評価しないほうがいい。宇宙や地球や物理的な法則や、人体やその病気のことについて、私たちは知らないことのほうが多いのだ。東日本大震災のときに、人間がいかに無力で、知恵や知識の乏しい生き物であるかを思い知らされたと私は感じている。45億年前に地球が誕生して、40億年から35億年くらい前に最初に誕生した生命には死というものがなかった。そうしてやがて有性生殖の細胞分裂をする生命の誕生とほぼ同じころに、生物に死というものが備わることになったらしい。限られた大地や海しか持たず、限られた資源や栄養補給の能力しかない地球上に、なるべく長く生命が生き延びるためには、死はとても合目的的だと誰にだって納得がいくはずだ。
しかし、なぜ性というものがあるのか? 有性生殖の細胞分裂では、なぜ染色体の数が半数になるのか? なぜ我々は老化したり、がんになったり、死んだりするのか? 私たちには何もわかっていないのだと、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの遺伝・進化・環境部門プログラムリーダーのニック・レーンが著書『生命、エネルギー、進化』のなかで述べている。
百歩譲って、私が恭子のことを妖精だというのが単なる妄想であったとしても、そのことをもあまり過小評価しないほうがいい。それについて、とても興味深いことを著わしている作家がいる。〝母語〟のイディッシュ語で作品を書き続けたポーランド出身のユダヤ系作家であるアイザック・バシュヴィス・シンガーは、1978年にノーベル文学賞を受賞した。
私は2013年に出版された『不浄の血』という作品を読んだことがある。訳は西成彦(まさひこ)立命館大学教授(当時)。先生は作品の「解題」の末尾にこう記している。
「作家の脳裏には、人間ばかりではなく、ユダヤ教やカバラー思想が積み上げてきた天使や悪魔に関する空想、東欧のユダヤ世界が隣人として身近に付き合ってきた家畜たちの映像が、とびまわり、かけめぐっていた。その光景は、ときとして幻想的で、時代錯誤的であるかもしれない。しかし、そうした妄想の力こそが、ひとの生を下から支え、ひとの性欲や感情をぐいぐい引っぱり、突き動かしているという現実を、われわれは直視しなければならない。バシュヴィス・シンガーの偉大さは、幻想や妄想こそが『現実的=リアル』だということを徹底的に描くことのできた、たぐいまれな20世紀作家のひとりだった点にある」
同じようなことを、北田博充さんが『これからの本屋』という著作のなかで述べている。
「空想は現実の反対側にあるものではなく、空想の延長線上に現実がある」
恭子に言ったことばを、忘れてはいない
私は山積みにされたなすべきことを猛然とこなし始めて、日に日に疲弊していった。そうして、恭子が私に注意を促す。(間違ったやり方をしているよ)と信号を送ってくるのだ。私は1日の診療が終わりかけたころにバタバタして、呼吸が上手くできなくなる。パニック寸前だ。早く家に帰って、酒を煽って生き延びねば! 恭子が怒っている。(なぜ、もっとゆっくり物事をこなしていかないのか)。私は気がついて、ペースを緩める。呼吸が楽になる。(物事はゆったりした気持ちで整理すべきなのだ)と恭子が教えてくれている。
私は日々惑っている。
夫婦は〝互いが空気のような存在だ〟と例えられることがある。普段はその有難さがわからない、と。しかし、それは空気が存在しているという前提に立てる場合の話で、本当に空気がなくなったときには呼吸はできず、苦しくて苦しくてとても生きてはいられない。逆説的に、夫婦の互いの大切さを言い当てたようなものだろうか?
当然のごとく私は恭子が人間として傍にいないことに打ちのめされ、働く意欲はわかず、呆然と雑務をこなしているにすぎない。恭子が私の周りを妖精としてフワフワしていてくれるのに、なぜシャキッとしないのかと私は自分を責める。挙句には恭子が妖精だなどというのは、自分の思い過ごしに過ぎないのではないかと、こころが揺らぐ。
「寂しくなられましたねえ」と人に声を掛けていただくと、
「いいえ、恭子は私の傍にいるような気がして、寂しいというのとはちょっと違います」と口では答えながら、自分は無理に寂しさを否定して強がりを言っているだけなのではないかと、惑うのだ。
一方で、私がよろよろとではあっても、現にこうして生き続けられているのは、とりもなおさず恭子が妖精として傍にいてくれるからではないかと思ったりもする。
「恭子がいなくなったら、パパひとりでは生きてはいけないから」と、恭子に言った私自身のことばを忘れてはいない。私は、1人で生きていけるほど強い鈍感な人間ではない。