人間以上に細かい縫合技術などをこなし、手術水準をレベルアップする ロボット手術で、より患者さんにやさしい治療を

監修●橋爪 誠 九州大学大学院医学研究院先端医療医学教授
取材・文●祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2009年12月
更新:2019年8月

  

橋爪誠さん
九州大学大学院医学研究院
先端医療医学教授の
橋爪誠さん

内視鏡以上に体への負担が少なく、安全性が高いと注目されている内視鏡ロボット手術。アメリカでは、すでに前立腺がん手術の大半がロボット手術(ダヴィンチ)で行われています。このロボット手術をいち早く臨床に取り入れているのが、九州大学大学院医学研究院先端医療医学教授の橋爪誠さんです。ロボット手術の現状とその利点について聞きました。

内視鏡の限界を越えたロボット手術

「80年代の終わり頃から、より患者さんに負担の少ない治療が求められるようになり、その流れの中で急激に内視鏡手術が普及しました。しかし、本当に患者さんのためというには、まだ技術が未熟でした。それにやっと追いついてきたのが、ロボット手術なのです」と、橋爪さんは話しています。

内視鏡手術は、開腹手術と比べて傷口が小さいのが大きな利点。痛みも少なく、直接手で内臓を触らないので、腸の動きなどもすぐに回復します。従って、翌日には食べられるし、歩ける。その結果、早期離床が可能で退院も早く、社会復帰が早いなど多くの利点があります。そのため、内視鏡手術は急速に普及してきました。

手術支援ロボット「ダヴィンチ」の全体

手術支援ロボット「ダヴィンチ」の全体

しかし、医師の側からみると未熟な点も多いといいます。まず、内視鏡手術を行う医師は、モニター画面を見ながら手術器具を操作します。モニターに映し出される視野は狭く、しかも2次元の平面的な世界なので距離感や遠近感に乏しいのが難点。さらに、「腹壁を起点に鉗子()が動くので、鉗子を右に動かそうとすれば手は左、上に動かしたい時は下と反対に動かさなくてはならないのです」と橋爪さん。

つまり、自然に逆らった動きをしなければいけない。しかも、鉗子先端は回転と開閉しかできません。それだけ、不自然な動きやテクニックが必要とされるのです。内視鏡手術に、習熟が必要なのもそのためで、医師は大きなストレスを受けながら手術を行うわけです。それでもかなりの制約を伴うことは避けられないのです。

内視鏡手術の普及によって、患者さんにとってやさしい手術の方向性は示されましたが、実際には技術がまだ追いついていなかったのです。これを、本当の意味で実現したのがロボット手術だと橋爪さんは指摘しています。

鉗子=はさみに似た形の金属性の医療器具

内視鏡に比べて手術の感覚に近い「ダヴィンチ」

ロボット手術の中で、1番臨床での応用が進んでいるのが、アメリカで開発された内視鏡手術支援ロボット「ダヴィンチ」です。

ダヴィンチはもともと戦地で負傷した兵士を遠隔操作で治療する軍事技術として開発されたものですが、たちまち臨床に応用され、欧米で正式に医療機器として認可されました。本連載でも以前ダヴィンチによる前立腺がんの手術を紹介しましたが(2008年7月号)、今ではアメリカの前立腺手術の約7割がダヴィンチによって行われています。

九州大学では、2000年6月にダヴィンチを導入。臨床試験として62人の患者さんに手術を行い、いずれも成功しています。

ダヴィンチの場合、手術を行う術者はコンソールボックスの前に座り、モニターを見ながら内視鏡を操作します。これまでの内視鏡と違うのは、モニターが3次元なので立体的に患部が見えること、さらに画面のすぐ下でロボットを操作するので「手首から先が本当に腹腔内に入った感覚になる」といいます。ふつうの内視鏡手術に比べて、はるかに現実の手術に近い感覚があるのです。

[手術支援用ロボット「ダヴィンチ」の操作方法]

手術支援ロボット「ダヴィンチ」の全体
術者はモニターを見ながら内視鏡を動かす
画面のすぐ下でロボットを操作
画面のすぐ下でロボットを操作。
実際の感覚と極めて近い形で手術を行うことが可能


技術格差をなくし手術をレベルアップ

さらに、ロボットならではの利点も多くあります。まず、見たい部分を自由に拡大して、体内の狭い空間で非常に細かい作業ができること。橋爪さんによると「医学部の5年生にとって、ネズミの小腸をつなぎあわせるのは大変なこと。ところが、ダヴィンチを使うとあっというまにできるようになるのです」。

直径2ミリぐらいの血管ならば、簡単に縫合できるそうです。細い血管をつなぐのが難しいのは、縫合する部位はわかっていても手が震えてうまく縫えないからだといいます。ところが、ダヴィンチを使えば、手の震えもなくなります。

また、モーションスケール機能といって、手元を5センチ動かすと鉗子が1センチだけ動くようにスケールを変えることもできます。つまり、大きな動作で細かい微妙な操作をすることができるのです。もちろん、鉗子は前後左右、上下、回旋など手首と同じかそれ以上にあらゆる方向に自在に動かすことができます。

つまり、「ロボット手術は1人ひとりの手術のレベルを全体的にグレードアップしてくれるのです」と、橋爪さんは語っています。医師による手術技術の格差が少なくなり、誰でも平均的に高いレベルの手術をすることができる可能性が高いのです。

いろいろながんでの応用が可能

[ダヴィンチを用いた主な手術症例]

食道腫瘍切除(がん1例、粘膜下腫瘍2例) 3例
食道筋層切開術 1例
逆流性食道炎根治術 7例
幽門側胃切除術 2例
結腸切除術 3例
胆のう摘出術(胆石29例、胆のうがん1例) 30例
脾臓摘出術(胃上部血行郭清術1例を含む) 7例
胸腺腫瘍摘出 1例
後縦隔腫瘍摘出 1例
巨大卵巣のう腫摘出 1例
2000年7月~2002年6月 九州大学消化器・総合外科
癒着と肝硬変のため1例開腹へ

こうしたダヴィンチの利点は、今やさまざまな分野で活用されています。橋爪さんたちも、2000年7月からこれまでに100例以上の患者さんを対象にダヴィンチの手術を行いました。ここでは前立腺がん、胃がん、大腸がん、食道がん、縦隔腫瘍、乳腺腫瘍、卵巣腫瘍などが行われています。

橋爪さんによると、昨年12月現在、ダヴィンチで行われた手術は全世界で15~16万例。その7割が前立腺がんの手術です。これは、「骨盤という狭い空間の中で自在に鉗子を動かすことができ、細かい縫合技術にすぐれていること」が大きな理由だといいます。

前立腺全摘手術では、前立腺を切除したあと、残った膀胱と尿道を縦軸方向に縫合します。ところが、今の内視鏡手術では鉗子先端を手首のように回旋させることができないので、縫合に1時間以上かかります。しかし、ダヴィンチは自在に鉗子先端を動かすことができるので、わずか10分で縫合できるといいます。

同じような意味で、「小児外科で行う腎盂形成」などにもダヴィンチが向くといいます。尿管が狭くなって尿が流れにくくなると、腎臓が腫れて腎不全になります。このとき、狭くなった部分の尿管を切りはなして縫い合わせるのですが、子供の細い尿管でもダヴィンチならば容易に縫合できるのです。

「実際に、日本人がロボットを使いはじめれば、器用なので消化器領域でもずいぶん応用が広がるはずです」と橋爪さん。胃の全摘手術や直腸がん、また食道がん手術など、胸の1番奥にある食道を狭い空間で手術をするには、ロボットが向いているのです。直腸がんでも縦方向に縫い合わせるのが得意なので、人工肛門を使わなくてもよくなる可能性が高いといいます。

さらに、日本が得意とするリンパ節の系統的郭清(転移がありそうなリンパ節を領域ごとに切除すること)にも、ロボットを使えば「細かいところまできれいにとれる」といいます。

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