視界がよく安全な手術ができる点で開腹、腹腔鏡を凌ぐ
前立腺がん全摘手術にはロボット手術が断然有利

監修:秦野直 東京医科大学泌尿器科学教室教授
取材・文:祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2008年7月
更新:2013年4月

  
秦野直さん
東京医科大学泌尿器科学教室教授の秦野直さん

前立腺の全摘手術は、前立腺がんを根治させる基本的な治療法です。
この全摘手術をより安全・確実に行い、合併症の危険も低下させるのが手術用ロボット。
すでにアメリカでは、前立腺がんの全摘手術はロボット手術が主流だといいます。
日本でいち早く前立腺がんの全摘手術にロボットを導入した東京医科大学泌尿器科学教室教授の秦野直さんは、「全摘手術はロボットに切り替わらないといけません」とまで話しています。

アメリカでは前立腺全摘術の7割がロボット手術

写真:手術用ロボットのダヴィンチを使ってトレーニング中の秦野さん(右)

手術用ロボットのダヴィンチを使ってトレーニング中の秦野さん(右)

前立腺がんが、前立腺の中にとどまり、周囲に広がったり、リンパ節などへの転移がないと思われる場合、根治を目的に行われるのが、前立腺全摘術です。日本では開腹手術が一般的で、施設によっては腹腔鏡による全摘手術も行われています。ところが、今やアメリカでは、前立腺全摘術の7割(2007年末現在)が手術用ロボットを使ったロボット手術になっているのです。

「アメリカでは、開腹手術と腹腔鏡手術、それぞれの問題点をクリアした新しい手術法としてダヴィンチという手術用ロボットを導入したロボット手術が急速に普及しています。
2007年の時点で600台を超えるロボットが導入され、前立腺全摘術の主流になっているのです」

と秦野さんは語っています。ダヴィンチは、もともと戦場で負傷した兵士を本国から遠隔操作で治療するために開発されたロボットだといわれています。

[世界のダヴィンチ納入台数推移]
図:世界のダヴィンチ納入台数推移

手術がやりやすく、正確にできる

ロボットといっても、機械が勝手に手術をするわけではありません。ダヴィンチは、鉗子やメスなど手術器具を取り付けるロボットアームと操作ボックス(コンソールボックス)という2つの機械からなります。患者さんの腹部にあけた小さな穴に手術器具を取り付けた2本のアームと内視鏡を挿入し、術者がこれをコンソールボックスの中で内視鏡による画像を見ながら操作し、全摘手術を行います。腹部にあけた穴から内視鏡や器具を挿入するところは腹腔鏡手術と同じですが、秦野さんによると実際にはその感覚も操作性も全く異なるといいます。

ダヴィンチの場合、ロボットアームの動きが人の関節と同じようになめらかで、開腹手術と同じことができます。かつ、肉眼では見えない前立腺の裏側や狭い部位まで自由に拡大してみることができます。それだけ手術がやりやすく、正確にできるというのです。

こうした利点がわかるにつれ、ダヴィンチは、心臓外科や婦人科などいろいろな手術で使われるようになっていきました。中でも最もロボット操作が適した手術と言われているのが前立腺がんの前立腺全摘術なのです。

アメリカでは、2005年には前立腺全摘術の2割にロボットが導入され、2006年前半には4割、そして2007年暮れには7割と、急激にその数を増やしてきました。これまでに、ダヴィンチを使ったロボット手術を受けた人は6万人以上にのぼるといいます。

前立腺がんの多いアメリカで、これだけロボット手術が支持され、急速に普及した原因はどこにあるのでしょうか。

開腹手術はいくつかの問題点が

開腹手術も現在は進歩していますが、いくつかの問題点が指摘されています。

手術中の出血と勃起障害などの後遺症、そして尿道と膀胱をつなぐときの確実性です。前立腺は、膀胱のすぐ下にあって尿道の周囲をとりまく臓器です。クルミ大の小さな臓器なのですが、その周囲には静脈が網の目のように走っています。そのため、手術で前立腺を切除すると、出血を起こしやすいのです。

「昔は、全摘術で何千ccと出血することもありました」と秦野さん。現在では、手術技術の進歩で、輸血が必要になるほど出血することはほとんどなくなりましたが、それでも輸血に備えて自己血などを準備することが多いのです。

また、前立腺のすぐ近くには尿の漏れを防ぐ尿道括約筋があり、両側には前立腺にへばりつくようにして、勃起をつかさどる神経が走っています。そのため、手術の際に尿道括約筋を傷つけると尿失禁、神経を切断すれば勃起障害が起こるのです。とくに、勃起をつかさどる神経は、意識して温存しなければ残すことはできません。ただし、前立腺がんは神経に沿って進展していくので、神経を温存できるのは「がんの性質がよくて、前立腺の中にがんが止まっている人」に限られています。

実際には、手術前に針生検が行われます。前立腺がんは、必ずしも1つの固まりになっているとは限らず、島状に離れて存在することもあります。そこで、生検用の12本の針を前立腺に刺して組織を採取し、その中のどの部位にがん細胞があったか、右側の針だけなのか、左右両方なのか、またどのくらいの深さの部位にがん細胞があったのか、といった具合にがんの広がりをみます。

その上で、「片側の針だけにがんがあれば、反対側の神経を残せますし、ごく1部にしかがん細胞がなければ、両側の神経を残せる、と考えるのです」と、秦野さんは説明しています。

もちろん、両側の神経を残したほうが、勃起機能が回復する可能性は大きくなります。神経を傷つけずに上手に剥がしていくのは大変な作業ですが、開腹手術でもダヴィンチによるロボット手術でも神経を温存することは可能です。しかし、「ロボットのほうがずっと見やすいのです」と秦野さんは語っています。

神経の温存や血管の処理にはダヴィンチが有利

写真:ロボットアーム

ロボットアームにつける鉗子で組織をつまんだり、針を持ったりする

写真:鉗子を使って精嚢腺を剥がしているところ

鉗子を使って精嚢腺を剥がしているところ

ダヴィンチの場合、ロボットアームに取り付けた手術器具は人間の手首や指と同じように自由に動かすことができます。その点では、開腹手術に匹敵すると言っていいでしょう。しかし、視野が違うのです。開腹手術の場合は、基本的に人間の目で見て手術を行うので、どうしても

限界があります。ところが、ダヴィンチの場合、腹部に炭酸ガスを入れて内視鏡を挿入するので、腹部の空間が広がり、さらに内視鏡の操作で前立腺の裏でも影でも、好きな位置から好きな角度で見たいところを見ることができます。しかも、画像は立体的な3次元画像で前立腺の表面に近接した位置から拡大して見ることができるのです。

「人間の目よりはるかに自由に見たいところを見ることができるのです」と秦野さんは語っています。 つまり、よく見えるのでそれだけ細かい作業を確実に行うことができるのです。神経の温存や血管の処理にはダヴィンチのほうがはるかに有利なのです。

こうした利点は、膀胱と尿道をつなぎあわせる時にも発揮されます。全摘手術では、前立腺を切除した後、残った膀胱と尿道をつなぎあわせます。しかし、これも開腹手術では難しいところがあったといいます。

「前立腺の位置の問題で、開腹手術で術者の手が動かせる範囲というのは、限られているのです。そのため、開腹手術では膀胱と尿道を縫ってつなぐ、その確実性に問題があったのです」 と秦野さんは語っています。


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