患者を支えるということ16
理学療法士:訓練ではなく日常を楽にするがんの理学療法 患者さんの体と思いに寄り添う
たかくら やすゆき 国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院卒業後、癌研究会付属病院に勤務。その後、埼玉医科大学総合医療センターリハビリテーション科に従事し、2007年から現職に至る
リハビリテーションといえば、機能訓練というイメージが強い。だが、埼玉医科大学保健医療学部理学療法学科教授の高倉保幸さんは、「がんのリハビリは訓練ではなく、楽に体を動かしたり、歩けるように考えること」と、患者さんの体と思いに寄り添う新しいリハビリ像を打ち出している。
コツを教えてあげること
2010年からがんのリハビリにも診療報酬が認められるようになり、保険でリハビリを受けられるようになった。
といっても、リハビリは脳卒中の後遺症回復を中心に発達してきたので、機能訓練という印象が強い。がんの場合、いったい何をするのだろうか。
高倉さんは、こう語り始めた。
「がんの手術の場合、何もしなくて良くなる人もたくさんいます。たとえば、乳がんの手術後、腕が上がりにくくなる人もいますが、術後にリハビリをする施設はほとんどありません。私が以前勤めていた病院では、年間600件もの乳がんの手術がありましたが、腕が上がらなくなって本当に困る人は20~30人です」
一般の病院では、乳がん手術は年間20~30件程度なので、困る人も1~2人。そのため「ちょうど五十肩の多い年齢だし、手術をして腕が上がらなくなる人がいてもたまたまだ」と見過ごされることが多い。高倉さんも初めは、困った人だけに対応していたという。
だが、「痛くて腕が上がらなくなる人は、怖がって腕を動かさないので肩の関節が固まってしまうのです。だから、運動が怖くないことを教えてあげることが大事。力を抜く練習をして楽にしていると、早期であれば自然に痛みも治ります」と高倉さん。だからこそ、誰かが「肩を動かすことの恐怖」を取り除いてあげなければならない。それがリハビリの仕事だというのである。
痛む肩を外から動かすだけではなく、動かせない患者さんの恐怖心を解放してあげる。それによって患者さん自ら、痛みを解き放てるようにするのがリハビリだというのである。
リハビリはつらくない
「リハビリ=訓練、つまりつらくて苦しいこと、という印象がありますが、そうではないのです。とくに、がんの場合は機能訓練以外の要素が大きい」と高倉さんは言う。
リハビリを行う理学療法士のほうも、「ちょっと大変だけど、頑張ってやってみましょう」といった言い方をすることが多い。だから、患者さんは「やりたくない」と思うし、家族は「末期なのに可哀相」と思う。でも「楽に体を動かせたり、歩けるように考えるのが、がんのリハビリなんです」と高倉さんは語る。
たとえば手術後、患者さんは体が麻痺しているわけではないので、スッと歩いてトイレに行こうとする。それで「すごく疲れた。トイレにも行けない」と、自らの衰えを嘆く。だが、「1度立ってから呼吸を整え、苦しくならないようにゆっくり歩けば、100mでも200mでも歩けるのです。1度呼吸を乱すと元に戻すのが大変なので、最初はゆっくり、回復にあわせて歩き方も変えていけばいいのです」
こんな簡単なことも、確かに言われてみなければわからない。専門的な知識を元に、こういうアドバイスをしてくれる人がいたら、患者さんや家族はどれだけ安心かわからない。
痰もそうだ。ゴホゴホと普通の咳をすると、のどを傷めるだけでなかなか奥にある痰も出てこない。「ハーッ」とゆっくり息を吐き、からんだ痰を徐々にのど元にもっていき、最後に「ハッ」と強く息を吐くことで、痰が出やすくなる。
他にも、「胸水が溜まって息が苦しくなると、胸が圧迫されて息を吸おうとしても吸えなくなります。このとき逆に息を吐いてやれば、自然に息が吸えるのです。こういうことを患者さんには教えてあげないといけません」
それを知らないだけで、患者さんはよけいな苦しみを味合わなければならないのだ。
がん患者さんに何ができるか
しかし、高倉さんも最初からこんなふうにリハビリをとらえていたわけではない。
28年前、理学療法士として癌研究会付属病院(現在のがん研有明病院)に入ったときは、廊下に、歩行訓練などに使う平行棒があるだけだった。
「当時は、整形外科で、骨軟部腫瘍などで足を切断した患者さんのリハビリから始めました」
だが、まもなく整形外科の手術は足を残す方向に変わり、リハビリの対象は多種のがん患者さんに広がっていく。
がん患者さんのために何ができるのか、どうすれば楽になってもらえるのか――。そう考え続けた末にたどりついたのが、機能訓練に終始しない、高倉さんのリハビリだったのである。
肺炎防止には寝返り
術後のリハビリをスムーズに行うためには、手術前から患者さんと関わりを持ち、信頼関係を築くことが必要と、高倉さんは考えている。
高倉さん自身、整形外科時代には、切断か足を残すか、その後のリハビリをどうするか、患者さんと綿密に話し合い、強い信頼関係を結んできた経験がある。だが、今は難しい。
埼玉医大には、国内の大学病院で最も多い50人もの理学・作業療法士がいるが、それでも全てのがんの患者さんに手術前から関わることは困難だ。結局、術後にトラブルを抱えた人に関わることになる。その場合多いのは「骨転移、胸や腹部の手術後の呼吸器障害、体力の低下、苦痛への対応」だという。
骨転移は、大腿骨や腰椎などの骨に転移が起こりやすい。
例えば、腰椎に転移した場合「座っても痛いので、歩くのはとても無理」というが、実際には「立っているより座っているほうが腰には負担」なのだそうだ。座ると痛いときには、ベッド上でうつ伏せになり、まず足を下ろして立ち、歩行器につかまって歩くと、楽に動くことができる。
「乳がんや前立腺がんでは、骨転移が起きても何年もご健在の方は多いです。リハビリをつらい訓練と思うと、『もう長くないからいい』ということになりますが、楽に歩けると患者さんは喜びます」と高倉さんは言う。
腹部や胸部の手術後は、肺炎など呼吸器の障害を合併することが少なくない。咳や痰もそうだが、胸水の管理も大切だ。
「水は流れが淀むと濁るのです。術後いつも上を向いて寝ていると、肺の下のほうに胸水がたまり、うっ血して肺炎を起こし、ガス交換ができなくなってしまいます。これを防ぐには、体位を変えることが大事。90度横向きになるか、うつ伏せになると、それまで滞っていた流れが良くなり、だんだんガス交換ができるようになるのです」
仰向けのままだと、早い人は1~2日で肺炎を起こす。「肺炎こそ、動かさないといけない」と高倉さんは説明する。
といっても、体力の消耗には注意が必要だし、人工呼吸器を装着している場合は、慎重に動かさないとならない。
患者さんにとってベストは?
体力の低下も、がん患者さん、とくに進行した人が抱える大きな問題だ。悪液質といって、がん組織は他の正常組織が摂取しようとする栄養をどんどん奪いとってしまい、身体が衰弱してしまう。
だるいので、つい安静にしがちだが、筋肉の萎縮を防ぐためにも「骨折のリスクがなければ、どんどん動かして歩いてもらうのが基本」だそうだ。もちろん、患者さんの状態によるが、動かなければ食欲も低下する。
「食べられないときは、軽いストレッチをして『食べてみましょうか』というと、パンを1個食べられたりするのです」と高倉さん。軽い運動をすると、睡眠もよくなり、食欲も出て、体調が回復することもあるという。
痛みには、薬がよく効く。「安静時の痛みの8割は薬でとれる」そうだ。それでもとれない痛みは、精神的、社会的な問題などで増強されていることも考えられる。こうしたときには、痛くない部位を軽く動かしたり、枕の位置を調整するなど環境を整えて、睡眠をとってもらう。
また、体を動かさないので循環が低下して、どうしようもないだるさに襲われていることもある。これにも、軽く関節を動かしたり、ストレッチをしてもらうことが有効だという。
「この段階になると、1日のうち、『気持ちがいい、楽だった』と思える時間が全くない人が多いのです。呼吸の苦しさや痛みなどをとってあげることで、『ああ気持ちがいい』と思える時間を作ってあげることが、大切なのです」と高倉さんはいう。
どうすることが患者さんにとって1番いいのか、患者さんの側で親身に考えてきた人の言葉だ。
こうしたリハビリの基本にあるのが、患者さんや家族とのコミュニケーションだと高倉さんは話す。
「理学療法士は、毎日30分、1時間と一緒に過ごし、上体を動かすことができるようになったり、歩けるようになったりするので、信頼関係もできやすいのです。患者さんは、私たちには化学療法は受けたくないとか、余命のことなどを話してくれる人も多いです。
大事なのは、その質問を解決するのではなく、まず傾聴すること。患者さんはこういう話をする相手がいないのです。その上で、医療の問題ならば医師や看護師にどう話せばいいか、言い方を一緒に考えてあげるのです」と高倉さんは語る。
患者の悩みをカンファレンスで伝えても一時的な解決にしかならない。それより、患者さん自身が解決できるようにその方法を一緒に考えてあげる。それが、高倉さんのリハビリだ。
「患者さんには『回診のときに主治医の先生や看護師さんに疑問に思っていることをちゃんと聞けた?』とあとで聞きます。頑張れではなく、患者さんに寄り添う気持ちが大事なのです」
リハビリというと、まだ機能訓練重視の考え方が強いが、高倉さんは、日常生活を楽にするリハビリをがん理学療法として後進たちに教えている。
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