「がんサポート」創刊10周年記念企画

第1回 闘病記「深見賞」決まる!

撮影●板橋雄一
発行:2013年11月
更新:2019年7月

  

「がんサポート」の創刊10周年記念企画「がん闘病記 深見賞」を募ったところ、173編の応募をいただきました。原稿用紙100枚を超す長編も多くあり、編集部は嬉しい悲鳴でした。社内に6名からなる選考委員会で、1カ月にわたり全作品を読み、慎重に1次選考をした結果、15編が残りました。その後、選考委員長の鎌田實さんと選考委員会の代表2名が最終選考を行いました。応募作品はいずれも、がんと真摯に向き合った患者さんの切実な思いが綴られており、選考委員は苦渋の選択を迫られましたが、白熱した議論の末、大賞1編、優秀賞2編、佳作2編を決定致しました。応募いただきました読者の皆さま、本当にありがとうございました。


深見賞

『今日を生きる』 渡辺禎子(70歳)  北海道札幌市

優秀賞 

『がんはお友だち』 有久園子(62歳)  山口県防府市

『ビクビクさんのがん体験記』 匿名  東京都世田谷区

佳 作

『夫婦でがん』 西山きよみ(63歳)  奈良県磯城郡

『懲りずに、夢をみながら』 小西雄三(49歳)  ドイツ ミュンヘン

深見賞 「今日を生きる」 渡辺禎子(70歳) 北海道札幌市

「選考委員長としてその作品が読者であるがん患者さんとその家族の方にどれだけ訴える力があるかという点にもっとも留意して選んだつもりです」と鎌田さん

今回、「がん闘病記 深見賞」の選考委員長としてもっとも留意した点は、その作品が『がんサポート』の読者であるがん患者さんとその家族に、どれだけ訴える力があるかという点です。

その観点から大賞に選んだのが、渡辺禎子さん(70歳)の「今日を生きる」です。放送関係にお勤めだったご主人との間に、3人のお子さんがいらっしゃる専業主婦の方です。

禎子さんはまず30代のときに胃がんになり、全摘手術を受けていらっしゃいます。当時は全摘手術の技術がまだ進んでいなかった時代で、手術後半年ぐらいは、まともに食べられなかったようですが、禎子さんは我慢をしながら何とか乗り切られたわけです。

その後、50代になって肺がん、60代になって乳がんを経験されています。乳がんは再発、再々発しています。 その間、ご近所の方や友達が裏ごしのスープを持ってきてくれたり、スケートクラブに通っているお子さんをクルマで送ってくれたり、いろんな仲間が協力してくれたようです。

禎子さんは度重なるがん闘病生活の中で、体重が54キロから34キロへと激減しますが、3人のお子さんを必死に育てられました。最初の胃がんのときには、全摘手術後、ほとんど食べられない状態で、幼稚園児の末っ子のベストを必死で編んだり、常に全力投球で生きてこられました。そして、最後はご主人が悪性リンパ腫になられるわけです。禎子さんががん闘病生活を送っていらっしゃった時代は、ご主人は仕事が忙しく禎子さんの世話までは手が回らなかったのですが、ご主人が闘病生活に入ると、禎子さんは看病に全力投球されます。禎子さんは30代でがんになったわけですから、悩みは深いし、3人のお子さんを育てる責任も重いわけですが、その悩みの深さ、責任の重さが支えになり、何としても乗り越えなくてはならないと思った、と書いておられます。

だからといって、がん克服に全力を注ぐというのではなく、卓球のクラブに行ったり、デザイン画の勉強をしたり、カウンセリング教室に通ったり、常に自分を成長させることにチャレンジされています。それががんと闘い、がんを克服する力になっています。このことはがん患者さんに大きなヒントになると思います。

正直のところ、禎子さんの文章はもう一歩ですが、そこに書かれたがん患者さんとしての心の持ち方と言いますか、周りの人への接し方と言いますか、それがとても示唆に富んでいて、この雑誌の読者に訴えるものがあると思い、大賞に選びました。

優秀賞 『がんはお友だち』 有久園子(62歳) 山口県防府市

優秀賞2編の1つは、有久園子さん(62歳)の『がんはお友だち』です。園子さんは知的障害をお持ちで、苦労の多い人生を歩んでこられました。2001年に乳がんが見つかり、右乳房を全摘手術されています。がん闘病記は原稿用紙に手書きで、ひらがなが多いですが、文章はしっかりしていて、書かれた内容には味わい深いものがあります。

例えば、「にゅうがんになって、よかったです。一日、一日を大じに生きるようになりました。そして、何を聞いても何を見ても感動するようになったことです。にゅうがんになったことで心がつよくなりました。うたれづよくなりました」と書かれています。

また、「いりょうひ3わり(負担)でかいごほけんりょうもはらっています。H(平成)25年の今年もいりょうひ3わりでかいごほけんりょうもはらっています」と書かれているように、園子さんは自分自身が障害者として世話になるばかりではなく、自分が負担できる部分はできるだけ負担したいという考え方を持っていらっしゃる。それは周りの人に対するやさしさにも現れていて、感心させられます。

現在、園子さんが入っている施設の部屋には、紙パンツの前も後ろもわからないルームメートがいるため、園子さんが前側にマジックで絵を描いてあげるのだそうです。そして、園子さんは「そのことが、私にとってはアートセラピーとなっています」と言い、「ルームメートのおせわはたのしいです。かの女のえがおはさいこうにすばらしいです」と書かれているのです。この感性は素晴らしいと思います。

そして、「にゅうがんになったことで、一日、一日が、かがやいてみえるのです。一日、一日がとてもきちょうなのです。そして、人様のなさけがありがたいです。(中略)がんが私のいのちを、助けてくれたのです」という述懐は、とてもピュアな感じがします。

さらに、ドクターから難しい病名を言われたけれども、知的障害者の自分にはわかるはずもないと言いながら、園子さんはこう言うのです。「でも、そういう自分をバカにしているのではけしてありませんよ。知的障害と言う名前の個性に、この私が恵まれているのです。そう思えば、ごくらくですのよ」――。

文章のところどころに、こうした諧謔を交えたきれいな言葉が出てきます。園子さんは知的障害でご苦労されたでしょうが、随所に育ちの良さが感じられます。

昨年秋、胃に8個のポリープが見つかり、2個摘出して検査したところ良性だったという描写があります。この部分も園子さんがタダ者ではないことをうかがわせています。

園子さんは8個のポリープに、初子、二子、三子、四志子、五子、六子、七子、八子と命名し、彼女たちは「園子ちゃん、下宿するよ」の断りもなしに勝手に居座ったとしながら、「私はかってに、ポリープ語があって、彼女たちが、いぶくろという、おうちの中で、にぎやかに、私のことを、そうかつ(総括)しているような気がしてなりませぬ。そうおもうと、たのしいです」と綴っているのです。こういう感性はがんと闘ううえで、とても大事だと思います。園子さんは最後に、「永生きしてみせます。ゆめ。おしまい」と書いています。

闘病で大事なことは、「とにかく楽しいと思うこと」と自分に言い聞かせているという園子さんのポジティブな生き方には、大いに励まされました。ひらがなが多い闘病記ですが、こんな迫力のある闘病記を読んだのは初めてで、感動しました。

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