胃がんステージⅣ、余命1年と宣告された男の奇跡の回復の秘密とは タキソテール+TS-1の抗がん薬治療728日から完治への道のり 最終回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2018年12月
更新:2020年2月

  

原島文隆さん

はらしま ふみたか 1951年群馬県生まれ。数社の職歴を経て2016年65歳で定年退社。一男二女を育て上げ、孫を4人授かる。趣味のゴルフは、初心者同様だが健康第一と考え日々頑張っている

<病歴>
2003年 長年患っている尿路結石のレーザー治療を受ける
2004年4月7日 地元の総合病院で「グループ5」に属する胃がんが発見される。手術は不可能と告げられ、抗がん薬治療の説明を受ける
2004年4月8日 紹介資料を持って群馬県立がんセンター(以下、がんセンター)へ。ステージⅣの胃がんと診断される
2004年4月9日 タキソテール+TS-1の抗がん薬治療が始まる
2006年3月 26クール・728日に及ぶ抗がん薬治療の末、腫瘍消失
2010年12月 がんセンターの担当医から完治を伝えられる

苦しい抗がん薬治療にも絶対にがんに勝ってやるという強い信念で頑張り抜いた原島さんは、医師から「今までこのように回復した患者さんを診たことがありません」と告げられるまでに回復した。そしてついに完治の報告を受けたのだった。6年8カ月にわたる病から解放された瞬間だった。

「このように回復した患者さんを診たことがない」

2007年3月頃、がんセンターでいつもの検査を受け、結果を聞きに行くと、主治医が他の病院に移るという報告を受ける。

検査を担当した医師は、半年から1年ぐらいに1度は、定期的に検査を受けたほうが良いと言ったが、次回の予約をすることなく診察が終了した。がんとの闘いの中で、戦友として患者の精神的な不安感を考慮してのことだったかも知れない。

2007年9月頃、前回の検査から半年が経過していた。検査の予約を入れていなかったため、改めて予約を入れてから検査に行った。血液検査・腫瘍マーカー・CT・内視鏡共に、全く異常はなかった。

新しい主治医から、「今まで、このように回復した患者さんを診たことがありません。また、半年後に診察させてください」との言葉を頂いた。

私もこの待合室にどれだけ通ったことだろうか

その後も、定期的に血液検査・腫瘍マーカー・内視鏡、またときにはCT等の検査を行っていたが、その都度異常なしであった。

2010年12月1日も、内視鏡・血液検査を実施。17日にはCT検査及び担当医からの説明。数年来続けている検査なので慣れたものである。

説明当日、がんセンターのフロアにある広い待合室は、相変わらずがん患者で混み合い満席だった。ここにいると、人は皆、がん患者のような錯覚さえ覚える。

皆、心配で不安そうな顔をして、俯(うつむ)いて座っている。年配の人や中年の人、さらには私の子どもくらいの人までも。男性、女性に関わらず、頭に帽子を被った人や、スカーフを巻いた人、痩せこけた人等々。

会話すらしていない異様な空気の中で、ひたすら自分の順番を待っていた。私もこの待合室にどれだけ通ったことだろうか。こんなことを考えながら、私も皆と同じようにひたすら順番を待っていた。

「CRとはどういう意味ですか?」

埼玉県の寺の前で

CT検査が終わってから30分ほど待っただろうか、やっと私の順番になり、担当医とも面談になった。私は担当医に、「お久しぶりです」と挨拶した。担当医も笑顔で挨拶を返してくれた。

私が椅子に腰掛ける間もなく、担当医から、「先日の内視鏡の結果ですが、何も変化がなく、生検の結果も問題ありません。CT検査も今まで通り変わりないですね」と毎回同じ答えだったが、私はその都度、ホッと胸を撫で下ろしていた。

さらに担当医は続けて、「検査所見をプリントアウトしましょうね」と言った。今までは血液検査の結果票だけだったが、今回は内視鏡、CTの所見も出して説明してくれた。

「生検の結果も、何も問題ないですね」と言われたが、私は所見の説明の中で、CT検査報告書に「診断 胃がん、加療後、ほぼCR」の文面が書かれていたので、「これは、どういう意味ですか?」と尋ねてみた。すると、担当医から思わぬ返事が返ってきた。

「CRとは完治という意味ですね」と言った。

ああ、これでやっと終戦を迎えられる……と、私は気分上々、この上ない気持ちであった。

担当医は、「また1年後ぐらいに検査します?」と言ってくれたので、私も「そうですね」と返答した。

帰り際に担当医から、「何か異常を感じたときには、また受診してください」と笑顔で見送られた。ほんの数分の説明であったが、6年8カ月にわたる病から解放された瞬間であった。

CR=Complete Response(完全奏効)

絶対にがんに勝てることを信じて頑張った

思えば51歳より病に悩まされ、入退院の繰り返しであった。尿路結石も手術により何とか完治と喜んだ矢先、今度は胃にがんが発見されることになる。

胃の中にドカンと居座った腫瘍は、内視鏡を入れても胃の中が見えないほど大きく、さらに、リンパ節にも転移し、腹水も少量だが溜まる始末で、手術も出来ないような状態であった。

それから、26クール・728日間にも及ぶ抗がん薬治療での副作用。唇はしびれ、舌は荒れ、味覚はなく、吐き気、膨満感、爪は黒く変色し、皮膚はどす黒く色素沈着、脱毛等々……。

がんが消滅したことを知った2006年3月頃、「もう抗がん薬は止めよう」と決心し、自然治癒、免疫力向上を常に心掛けた。

そして、6年8カ月後の2010年12月、担当医より「CRというのは完治ということです」という言葉を頂き、やっとがんとの闘いに終わりを迎えることが出来た。

闘病生活中に入院した期間は、抗がん薬治療の1クール目と2クール目くらいで、治療中の大半は自宅で過ごしていた。

自宅療養中、とくに気を使ったのは、やはり体力を落とさないことだった。食事面も含め、体力維持に心掛け、絶対にがんに勝てることを信じて頑張った。

「生きていればこそ」

1年後、職場に復帰して、仕事を続けながらの闘病生活など、実に様々な経験をした。とても言い尽くせない、書き尽くせない、様々なことがあった。

その後は、娘や息子の結婚、そして孫の誕生、義父の死……。かなりのエネルギーを費やしてきた感があるが、それも全て、「生きていればこそ」と思う。

とくに義父は、自分が療養中に倒れ、4年後には帰らぬ人となってしまった。人生のあっけない幕切れではあったが、自分の療養中にこれまでの感謝の気持ちとして、温泉に連れて行けたのがせめてもの親孝行になった。

闘病中、日々の生活の中では、体に良いと思われる食べ物が食卓に並んだものの、あまり箸が進まないときもあるにはあったが、これも「良薬」と思い食する日々であった。

胃がんの末期と告知された当時は貧血があり、体力をつけるため1週間に3回ほどステーキを食べに店に行っていた。胃に負担が掛からぬよう、出来るだけ良く噛んでから飲み込んでいた。私の胃の中に出来た腫瘍は、胃の中央部にドカンとあったため、少しずつ良く噛んで食べれば食事が摂れたことは幸いであった。

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