知ってほしい「膵神経内分泌腫瘍」のこと 希少がんに生かされて 第2回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2019年2月
更新:2020年2月

  

佐藤直美さん(主婦)

さとう なおみ 1962年千葉県船橋市に2人兄弟の長女として生まれる。1983年結婚。1985年双子の娘を出産。実家は金物店を営み結婚後はサラリーマンの妻としてパートで働く期間もあるが現在は専業主婦

<病歴>
1996年 「膵臓の腫瘍」で摘出手術
2000年 甲状腺右葉(良性)手術
2001年・2004年・2006年 肝臓(再発)手術
2012年 肝臓ラジオ波焼灼術治療
2013年 甲状腺右葉(2回目)手術

編集部注:原稿は5年前に書かれた原稿に加筆したものです

自分を見つめ直す良い機会だと

結果的に、私はもう膵臓の手術をして以来17年が経過しています。進行の早い病気もあれば、私のように長い年月の間に何回も再発を繰り返しても、摘出手術などで治療をすれば、日常生活に不便はないという病気もあるのです。

がんかも知れないとむやみに悪く考えるよりも、これまでの自分の考え方や働き方などを見直して、「無理し過ぎていなかっただろうか、もう少しゆとりを持ったほうがいいのでは」など、改めて自分を見つめ直す良い機会だと捉えることが自分に出来る治療の1つなのではないか、とも思います。

どうしてこんな病気になってしまったのか……?

突然の入院で、家族に心配や負担をかけたという思いから、どんどんうつ傾向になってしまった期間も長くあります。

入院していた頃はいろいろな人と会話するので、1人で考え込むことがあっても気が紛れていたのですが、退院して家族が会社や学校に行ってしまうと自分1人で常に不安で何かしら考え込むようになっていました。

「どうしてこんな病気になってしまったのか……?」と、考えても原因はわかりません。それでもまた自分を責めるような考え方になってしまうのです。

家族で引っ越しをして来て、新しい土地で子供たちの学校のことや主人の仕事のこと、ご近所の付き合いなど、「私なりに頑張ってきたつもりだけどやっぱり自分が至らないからこんな病気になった」などと考えてしまったりするのです。

もっと頑張っている人もいるのに、「自分は人と比べて頑張れないんだとか、もっとしっかり頑張っている人がお母さんだったら家族も安心なのに、こんなお母さんでは母親失格なんじゃないか」なんて1人で考えてしまうのです。

そんな思い悩む日々が続いて、布団を被って泣きながら疲れ果てて眠ってしまうことも多くありました。

「頑張れって何をどう頑張ればいいの?」

「がん」と「うつ」の相関関係はあるのではないかと思います。そのうつ状態からどうやって抜け出せばよいのか方法がわかりませんでした。

あるとき、両親が見舞いに来てくれ、病気で苦しみながらも何かを成し遂げた人が書かれた本を持って来て、「こんなに頑張っている人もいるんだから、もう少し頑張ってみてよ」なんて言われて。

両親からの励ましの言葉だということはよくわかっているのですが、当時の私の心理状態ではその言葉が素直に受け入れられなくて、「立派な人の話を読んで、どうしてうちの娘はダメなんだろうと思っているんでしょう」とか「頑張れって、何をどう頑張ればいいの? 長い入院生活で嫌な検査も手術の痛さも頑張って我慢してきたのに」などと、両親に向かって声を荒げたこともありました。

また、子供たちや主人がお腹を空かせて帰ってくる頃なのに、みんなの食事の用意もしないでベッドで過ごした時期も長くありました。買い物に行こうという気持ちすら起きませんでした。

あの日々を思い出すと、私ひとりがつらい思いをしていたわけではなかったように思います。主人も子供たちも私が寝込んでいるのを見て悲しそうな表情、でも、決して私に対して責めるような言葉はありませんでした。それが今でも情けなくなるほど悲しい記憶です。「よく責めないでいてくれた」と感謝の気持ちで一杯になります。

あの頃の私は、「自分は価値のない人間でいなくなったほうがいいんだ」、などと毎日のように思い詰めていました。「余命宣告されるような病気のほうが良かった」なんて、バチの当たるような考えに行きつくことがしばしばありました。

「演劇体験してみませんか?」

どのくらいこんな状態が続いたか、はっきりした記憶ないのですが、時間が経つにつれ少しずつ動き出そうとする気持ちが芽生えるようになってきました。母親や妻としてではなく、自分の楽しみを何か1つだけでも見つけたいという意欲が湧いてきたのです。

そんなとき、地方紙に載った「演劇体験してみませんか?」の文字が目に入ったのです。

演劇なんていままでにやった経験もなくまったく未知の世界だったこともあって、すぐに問い合わせの電話を入れました。

この頃の私はまだ体力的には問題がなかったので、「日常生活に支障のない人なら参加資格あり」との話にすぐに参加することを決意しました。全く未知の世界だからこそ、やってみたいと思えたのです。

この演劇との出会いは、私にとって大変有意義で貴重な体験となりました。主人の転勤でやって来た不慣れな土地でしたが、自分の居場所が出来たこと、熱中出来るものに出会えたよろこびがありました。

毎週集まるたびに演劇について学んだり試したり、幅広い年齢層のメンバーたちと楽しい時間を過ごし、またいくつもの上演作品を作ることも出来ました。

しばらくうつ状態で引きこもりがちだった私が毎週演劇のレッスンに出かけ、歌やダンス、セリフ覚えなどに熱中して「本当に開腹手術を受けたばっかりだったっけ?」と思うような行動力で、何年間か演劇にどっぷり浸っていました。

2002年頃、「演劇ワークショップ」の公演を観に来た家族、左から主人、私、双子の娘と弟

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