知ってほしい「膵神経内分泌腫瘍」のこと 希少がんに生かされて 第3回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2019年3月
更新:2020年2月

  

佐藤直美さん(主婦)

さとう なおみ 1962年千葉県船橋市に2人兄弟の長女として生まれる。1983年結婚。1985年双子の娘を出産。実家は金物店を営み結婚後はサラリーマンの妻としてパートで働く期間もあるが現在は専業主婦

<病歴>
1996年 「膵臓の腫瘍」で摘出手術
2000年 甲状腺右葉(良性)手術
2001年・2004年・2006年 肝臓(再発)手術
2012年 肝臓ラジオ波焼灼術治療
2013年 甲状腺右葉(2回目)手術

編集部注:原稿は5年前に書かれた原稿に加筆したものです

続くネズミ捕り作戦

「5年間再発がなければ治癒だと考えられる」というのも幻想となり、私のネズミ捕り作戦はそれから3回も繰り返されます。

そして、とうとう肝臓も切除できる限界がきてしまい、1番最近の肝臓再発腫瘍は手術ではなく、ラジオ波で焼く方法となりました。

「肝臓は再生する臓器なので切っても元の大きさに戻る力がある」と聞いていましたが、これまで数回の手術で切除した場所は、運が良いことに重なる部分がなかったのです。

手術をして小さくなっても自然に再生され、大きさは普通の肝臓近くまで回復する。

もしも同じ場所に繰り返し再発があったら、もう手術できなくなることもあるそうで、今までに一度も切っていない生まれ持ったままの場所のほうが少なくなってきているのです。今回は再発腫瘍の大きさと部位に無理がなさそうだとの判断で、ラジオ波焼灼(はしょうしゃく)術が検討されたのです。

ラジオ波焼灼術はとてもつらかった

私にとって初めての部分麻酔での治療。ラジオ波はまったく痛くも何ともないという方の話を聞いたことがあったのだけれど、私にはとても苦しくつらい治療だった。はっきり言って全身麻酔で寝ている間に済ませてもらえるほうが、私は慣れているせいか楽だと思う。

ラジオ波焼灼術は治療のタイミングに合わせて呼吸をして、途中で息を止めなくてはなりませんが、声帯麻痺の関係で喉(のど)の締まりが悪いため、呼吸を止めるのがつらい。

治療の際、重苦しい圧迫感を感じること、体がとても熱くなること、治療に立ち会う先生方の言葉が全部聞こえることなど、とにかくラジオ波はもう受けたくないというのが私の偽らざる気持ちだ。

実際にこのラジオ波焼灼術を受けた時点では再発腫瘍は1つだけでほかに影が見当たらなく、「もうこれを最後の治療にするのだ」と妙な確信のようなものまで持ちました。

この時、私は50歳。32歳で最初の手術を受けてから「もう18年にもなるのか」と、自分の中ではこんなネズミ捕り作戦はそろそろ終わりにしたい気持ちが強くありました。

ただ終わりにするにはもう1つ気がかりなことがあります。数年前に甲状腺の右葉(うよう)に出来た腫瘍を摘出したのですが、最近になってまた喉の右部分が腫れぼったいような違和感があり、さらに圧迫感もあって、ただでさえ弱弱しい声しか出ないのに、最近になってまたさらに声がかすれるようになってきたのです。

スッキリさせてしまいたい

数年前の甲状腺腫瘍摘出手術のときの資料を先生が前の病院から取り寄せてくれて比較してみると、右葉はすべて摘出したと記入されているが、改めてエコーを使って検査しても一部分が残っている。

さらにその部分に新たに腫瘍があって、それが前回摘出したのと同じくらいの鶏卵サイズにまで大きくなっていたのです。

やはり自分が感じていた違和感は間違ってはいなかった。大げさだと言われるかもしれなかったが、「気になるので検査してほしい」とお願いして診ていただいて本当によかった。

数年前の手術が記録に残っている通りではなく、やはり何かしら不手際があったような感じは素人の私が見ても明らかだが、今の課題は、この圧迫している腫瘍を摘出してもらうことで、50歳の今スッキリさせてしまいたい。

ということで、2013年3月に全身麻酔で甲状腺右葉と腫瘍を摘出してもらった。だから今の私に腫瘍はないはずだ。

甲状腺手術の経過観察はしばらく続きますが、膵内分泌腫瘍と甲状腺腫瘍との関係はなく、「まったく別もの」との診断でした。

私はこれらの病気に負けるわけにはいかないのです

医学はどんどん進歩しています。ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授のiPS細胞(人工多能性幹細胞)は多くの病気の治療や研究に大きな足掛かりとなるでしょう。私のような体質の細胞でも研究に使っていただけるのであれば喜んで提供します。とにかく私はなぜかデキモノが出来やすい体質のようですから。

50歳という節目の年齢で、悪そうなものはみんな取ってもらえたのでラッキーな私。ただ再発を繰り返すといわれている病気なので、次回の検査の予定も入れ続けていかなくてはなりません。念のため、婦人科で子宮がん検診と市の乳がん検診を受け、どちらも問題なしとの結果を受け取りました。

年齢的に更年期となり、誰でも悪いところが1つや2つは見つかる年齢です。今後は自分の体を労りながら心ものんびりさせ、たまには大笑いして免疫力をアップさせようと思っています。

私の闘病記はここで一旦終わりにします。私の希望としては、続編は書く予定はなし。

2012年3月、家族と

闘病記その後

と、ここまでが5年ほど前に書いた文章です。

私自身、5年前に自分の病気にケリをつけたい気持ちからこの闘病記を書きました。若い時期から始まった病気が闘病記を書くことによって整理され、悩んだり苦しんだり、家族を巻き込んでやりくりしてきたこれまでの日々を締めくくれるのではないかと思いながら書いた闘病記です。

「この病気に負けるものか」という強い気持ちもありましたし、もしまた新たに再発が見つかったら外科治療でさっさとネズミ捕りをして、悪いものを切除してもらおうと思っていました。

病気になった最初の頃は、まだ私と同じ病気の患者さんにお会いしたことはありませんでした。病名も後々になって「膵内分泌腫瘍」と決まりましたから、この病名は今でもそれほど浸透しているとは言えません。

同病仲間と出会うことなどなかったのが、最近は患者同士の繋がりの場もできています。治療法などの情報交換の場としてとても有益で、励まし合える仲間がいるというのは大きな力になることでしょう。私の病歴を聞いた方から「病気の最長記録を作ってほしい」などと、励ましともプレッシャーともとれるような事を言われたこともあります。

希少ながんの1つの膵内分泌腫瘍。この病名にもいくつもの分類があり、多様な症状があるようです。私の症状だけがすべてではないのです。

症状が重く、治療もできずに……という患者さんもいらっしゃいます。ご本人も当然ですが、ご家族も情報の少ない病気に向き合うのはとても大変です。もっともっとこの病気が広く知られて、治療法も確立されていってほしいというのが私の願いです。

5年も前に書いたこの闘病記に今注目してくださった編集のTさんには心より感謝したいと思っています。というのも、私の闘病記はここでは終われない現状があります。

他にもお話ししたい多くの体験があります。私自身の病気も継続していますし、耐えられない出来事もいくつかあり、今の私がここにいます。

Tさんからその後の話も続けて書いてくださいとお声かけいただき、書かせていただこうと思い立ちました。拙い文章ですがこの闘病記のその後、今に至るまでのことを書かせていただきます。残り少しですがお付き合いのほどよろしくお願いします。(続く)

膵神経内分泌腫瘍(Pancreatic neuroendocrine tumor)=神経内分泌腫瘍(Neuroendocrine tumor:NET)は、ホルモンなどをつくる機能をもった神経内分泌細胞からできる腫瘍と考えられている。NETは膵臓をはじめ、消化管、肺などいろいろな臓器にできる。とくに膵臓にできるNETを、P-NETと呼ぶ。NETの発生部位は消化管では直腸が最も多く、膵臓、胃がそれに続く

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