妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第5回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2020年5月
更新:2020年5月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

 

 

 

 

 

第二章 1次化学療法

4.治療:FECの効果判定

アメリカ留学時代の恭子さん。アパートの暖炉の前で

のちになって考えてみれば、私と恭子は何をめざして、何を目標として、これほどまでにがむしゃらに頑張っていたのだろうか?

子どもたちのため? 親のため? あるいは、私たち夫婦お互いのため? 私たち自身のため? それはそれでどれも本当のことではあろうが、得体の知れない、生きねばならないという本能や不安と焦燥感に駆られて、長い間に飼い慣らされてきた優等生根性で無我夢中で頑張っていたのかも知れないと思うことがある。

治療をしないという選択、苦しい治療は極力避けるという選択――Dana Farber(米ダナ・ファーバー研究所)のドクターが示唆したように――を検討する知識も見識も余裕も、その頃の私たち素人にはなかったのだ。

命よりも大切なものがあると説く人がある。〝自分の命よりも〟と言えばわかりやすい。しかし、とどのつまり、命よりも大切なものは、やはり〝他者の〟というだけで、命なのだと思う。その命は、子どもの命だったり、家族の命だったり、民族の命だったり、世界中のすべての人々の命だったりするのだけれど。

その大切なものを守るための医学的選択肢はたくさん存在する。厳しい話にはなるけれど、それを提示して見せてくれる医療もまた、重要な医療ではないかと思ったりする。

振り返ってみれば、恭子に施された山崎先生の治療は、最良の判断であったと感謝しているというのが、偽らざる私の気持ちではあるが、積極的に強力な治療はせず、痛みや整容が乱れることを防ぐだけの、姑息(こそく)的な治療で経過をみるという選択肢はあったのではないかと迷ったりはする。

恭子は最近、夕方になるとむかむかしてきてジアゼパムを服用することが多い。むかつきの少なくとも一部は精神的なものだという自分なりの認識があってのことだと思う。よく考えて、工夫を怠らない。夜中にも眠れないことがあるという。眠ることにかけてはどこでだってすぐ眠れる恭子が……。口に出さない緊張感や不安をいっぱい抱え込んでいるのだろうと思う。支えていかなくては。

ところが、私が酷(ひどく)く落ち込んで、食事が喉を通らないことがたまにある。お酒を上手に飲んで、時間を掛ければきっと食べられる。恭子が「パパ、ごめんね」。「恭子のせいじゃないから、心配しなくていいから」

1時間ほど、食事とにらめっこして、ゆっくりとソフトランディング。

どんなつらい副作用が待っているのか

2014年12月10日。4回のFEC療法の効果を谷本先生の施設で検証する。乳房の造影MRIとPET-CT。左側乳房の原発巣は腫瘍と思われる数ミリの造影効果が残存するばかりでほとんどCR(完全奏効)といってよいと思われる。PETではすべてのリンパ節転移、骨転移の代謝活性は消失している。今の科学の検出限界で捉えれば転移巣は消えたということだ。恭子があれほどの嘔吐(おうと)と格闘して勝ち取った結果だ。

「ワインででも乾杯して、お祝いして下さい」と谷本先生からねぎらいのことばをいただく。

偶然にもこの日に、高嶋先生夫妻からご自分たちの大好きな曲が満載の手作りCDを贈っていただく。恭子へのご褒美(ほうび)だね。「ありがたい‼」と恭子も感激して、さっそく奥様にお礼のメールを送っている。

たくさんの方々に支えてもらい、私たちは運がいい。恭子はやっぱり薬がよく効いて、特別に幸運なロングターム(長期生存)に入っているのだという意を強くする。転移性乳がんで長く生存する症例は、転移が骨に限られていることと、1次化学療法の最初の治療がよく効いた症例であったという外国の文献報告があった。恭子に何度も何度も説明する。

 

第二章 1次化学療法

5.治療:タキソテール

2人で選挙の投票に行ってから、買い物に行く。口内炎のピークは過ぎたが、次の治療が近づいてきて、「どんな副作用が出るのだろうかと考えると怖い」と言って、少しへこんでいる恭子。「気分的にしんどくて、しんどくて、次の治療が不安でたまらない」という。それは、気分の問題だけではなかったのだが……。

運命のタキサン系抗がん薬タキソテール(一般名ドセタキセル)1クール目の日。どんなつらい副作用が待っているのか‼

記録的な大雪。雪のせいで電車が動かず、寒い駅で恭子は2時間も電車を待った。電車が動き始めて、やっと辿り着いた病院での血液検査の結果、白血球が1,700しかない。抗がん薬投与は1週間延期となる。こんなにも骨髄機能の回復が遅れるほどに、抗がん薬が恭子の体の総ての臓器にダメージを与えていたのだ。

抜けるようにだるくて、何にもする気が起きなかったのは、次の治療が不安だという精神的な理由だけではなくて、体中の細胞がズタズタにされていたからなのだ。抗がん薬の毒性があまりにも強くて、恭子の大切な正常細胞は十分に回復する余力がなかったのだ。心と体の総ての細胞に休養が必要だ。

「今日がピークのような気がする」

玄関に飾ったクリスマスリース

12月24日(1日目)。クリスマスイヴ。恭子の白血球は3,100まで回復していたので、1クール目のタキソテール投与が予定通り行われる。タキソテールにはアルコールが含まれているので、お酒の弱い恭子はゆっくり点滴してもらった。一連の点滴は2時間以上かけて行われた。帰りはいつものように私が車で迎えに行く。

その日、恭子は吐き気がないので恐る恐る食事をしてみる。もどさない。「この点は楽」と恭子がはっきりいう。補液の点滴も必要なさそうで、私もホッと肩の荷がおりる。夜中に、「鼻の奥が、もやっと痛い」と恭子。

12月25日(2日目)。クリスマスも吐き気はなく、恭子はよく食べることができた。夕飯には最近お得意のポトフを作ってくれた。クリスマスのショートケーキも食べることができた。

「朝は顔がむくんでいた。倦怠感はほとんどないが、時々頭痛がする」という。むくみ(浮腫)をしきりに気にしている。タキサン系によるむくみに効果があるという漢方薬も出してもらっている。

12月26日(3日目)。依然として嘔気(おうき)はない。朝起き掛けに顔がむくんでいるけれど、午後には引いてきたとホッとしている。倦怠感が少し。顔の奥のほうが痛いのは恭子に認められるこの薬特有の副作用のようだ。少し歌の練習もしたそうだ。口腔の乾燥を訴える。

12月27日(4日目)。入眠剤を服用しても、夜ほとんど眠れず、腰が痛いと言う。頭がずっともやもやしていて、点滴中から鼻の奥から頭にかけて重苦しかったと。腰痛あり。

12月28日(5日目)。夜、動けないほどつらくて眠れなかった。朝から頭痛、腰、膝、足の関節の痛みあり。午前中買い物に行って、昼食後ぐっすり寝込み少し楽になったが、歯茎(はぐき)が痛い。「今ごろになって、時々、吐き気がするのよ。ご飯は作れるからね」

12月29日(6日目)。「夜は久しぶりによく眠れたが、朝から頭痛と関節痛あり、動くのがつらい。口の中が荒れていて味がわからない」「体重が徐々に減り、むかむかして食欲がない。便は少しずつでも出ている」という。何でも相談に乗ってもらっている内科医の川田先生の勧めで、むくみを気にする恭子に少量の降圧利尿薬を試すことにする。

夜中に次男が帰省してくる。「遅く帰ってくれてよかった。昨日、今日がピークのような気がする」と恭子。

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