妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第7回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2020年7月
更新:2020年7月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

 

 

 

 

 

第二章 1次化学療法

6.治療:タキソテール3クール目~

東京日帰りセカンドオピニオンに疲れる

恭子は疲れ果てていた。私は、骨転移しか見つかっていなくて、1次化学療法の著効した恭子は、やはり特別で幸運なロングターム(長期生存者)なのだという意を強くした。恭子が頑張ってくれたお陰だ。

その日のうち(2015年1月25日)に飛行機で東京を往復して、恭子はさぞ疲れたに違いない。夕食後小1時間爆睡していた。

「時間があったから、藤田先生にもっと聞けたのに残念」と恭子は繰り返した。「原発巣は変わらなくて、転移巣だけ元気になることがあるんだろうか」と、新たな疑問が浮かんできたらしい。

口角が切れてきたので、2人で相談して抗真菌薬ではなくてステロイド軟膏を塗ることにしてみる。

3日後の28日から恭子、発熱あり。経口抗菌薬の服用を開始した。夜は38℃まで上がる。風邪気味と言っている。東京行きの疲れか? 夜中には36.6℃にまで下がる。私は心配で眠れない。東京行きがきつかったか。

義理の父が「1泊してゆっくりスケジュールを組めばよかったのに」と言っていた、と恭子。そうだよな、と私も反省しきり。頭が固くて柔軟に物事を考える余裕がない。やはり年配の人の話は聞くものだ。

翌朝は36.4℃でホッとするが、昼には37.9℃まで上がる。夕方から楽になって37℃くらい。要注意だ。

30日。「朝のむくみが酷い、体重も増えたし」と恭子。確かに顔がむくんでいる。朝から38.5℃の発熱あり。病院に電話して、その日に診てもらえるようになった。私は急で休めないので、「自分で運転してはダメ」とタクシーを使わせた。

血液検査の結果をみて、山崎先生が「白血球(1,100/μL)、赤血球も低いが、炎症の数値は高くないので大丈夫。東京に行ったり帰ったりしたら、誰だって疲れるよ」と言っておられたらしい。抗生物質の点滴と白血球増殖因子(CSF)の皮下注射をしてもらった。

翌日からは発熱は治まって、恭子も次第に楽になると言っている。よく寝ている。夜眠れなかったら、昼寝で補いながら。相変わらず浮腫を気にしているが、食事もよく食べている。

2月3日。2人で恵方巻を食べる。珍しく私の父親が恭子に手紙をくれたらしい。字が下手だから、ものを書くのを嫌う人なのだが。「がんばるよ」と恭子。

副作用のつらさに一般論は通用しない

2月4日水曜日。国立がん研究センター中央病院の藤田先生のセカンドオピニオンのテープを書き起こしたものを持って、2人で山崎先生との面談をお願いする。

細かく説明しようと私は勇んでいたが、書き起こしたものにサッと目を通された山崎先生が、「ご主人は腫瘍内科医になれますね」と嫌みを言いながら、書類を返された。この病院に記録として残しておいてもらいたかったのだが、そんな仕組みはないのだ。すべてのデータはコンピュータの中だから、置いておく場所もない。

「手術はいつでもできますが、今敢えてする必要はないでしょう。薬がとてもよく効いているのだから。大きくなり始めて、取らないとあとが大変というQOL(生活の質)にかかわるときに、相談して決めればいいでしょう。ハラヴェン(一般名エリブリン)は幹細胞にも有効だと思うから、どこかの時点では使いたい薬だと私も考えています。タキソテール(一般名ドセタキセル)はMAXの量を使っています。3回目くらいから浮腫が出る人が多いです。6回以上使いうときは量を減らしますが、4回で止めたいと考える人が多いです」と説明される。

ちゃんとセカンドオピニオンに目を通されているのだ。必要なところは漏らさず読んでおられる。さすがは専門家だ。

恭子はタキソテール3クール目を明日に控えて、中川先生の施術を受けに行った。前回のFEC(フルオロウラシル+エピルビシン+シクロホスファミド)療法よりもタキソテールのほうが体にダメージがあるみたいだと中川先生も言われたらしい。恭子自身も体の奥のほうをやられているという感じがするそうだ。

そう言えば、私が「タキソテールはFEC療法よりはまだましなように見えるんだけど」みたいなことを言ったときに、「パパにはわからないよ、私は今回のほうがきつくて嫌いなんだよ」と即座に否定されたことがある。とにかく浮腫を気にしている。不快な痛みや発熱などがダラダラと続くのもつらそうだ。

アメリカではFEC療法がきつすぎるので使われなくなってきていると言っていた専門医に、このような感想を漏らす恭子のような患者もいることを知ってほしい。抗がん薬治療のつらさには個人差が非常に大きい。一般論は通用しない。

歌うことは生きること 生きることは歌うこと

庭のすみれ

2月6日。タキソテール3クール目。白血球は3,800(/μL)に回復していた。点滴に3時間もかかったらしい。やはり元気な人でないと治療もできない。

長男の学校では卒業制作の作品展が、毎年この時期に付属の美術館で催される。そのとき、卒業生ばかりではなく在校生も課題の練習作品とは別に、1年に1つの作品を自由に制作して仕上げたものが展示される。私たちは毎年その作品展を観に行くのを楽しみにしてきた。

その小旅行に行くとなると5日後に4クール目という日程になるので、恭子の疲れを考慮して、1週間先延ばしして4クール目をお願いしようと私たちは話し合っていた。しかし、3週おきのほうが効果があると先生が断言されたので、恭子自身が判断して予定通り3週間後に予約を取り直した。点滴中に薬剤師さんとがん化学療法専門看護師の方が来て、自分の気持ちを優先させてもいいんですよと言ってくれたらしいが。

高嶋先生ご夫妻からお気に入りの音楽を集めた手作りの2枚目のCDを送っていただいた。恭子は大喜びして、奥様とメールのやり取りをしている。有難いことだ。勇気を戴く。

これまでと同じような副作用に見舞われながらも、恭子は食事、洗濯、掃除、病院の経理関係の仕事などを淡々とこなしてくれている。恭子の闘病記録にはその日の食事の内容や服用した薬などが克明に記録されている。

タキソテール投与から6日目の合唱団の練習は私だけ参加して恭子はお休み。私も休もうか、恭子も一緒に行ってしんどくなったら中座しようか、とあれこれ話し合っての結論。

朝から動きづらく体じゅうが痛い。今日からがピークだと言っている。

7日目あたりから全身が抜けるようにだるい。味が悪くて食べにくい。布団を干し、掃除をして疲れて横になる。

2月15日。2人ともよっこらしょといった感じで、自分達を励ましながら合唱の練習に参加した。行きは気が重いが、歌っているうちに曲にのめり込んで、ハーモニーに陶然となって、帰りは2人ともああ楽しかった、やっぱり来てよかった。けれど、恭子は「歌っている間中、頭痛と灼熱感と倦怠感に悩まされていたの。本当に疲れた」という。口角は切れ、口中が乾いてネバネバ。

ごめんよ恭子、無理はダメだね。それでも、メンバー1人ひとりの成熟した大人の思いやりが私たちを励ましてくれる。歌うことは生きること。生きることは歌うこと。ちょっとやかましいアンサンブルだが、本当に歌い切って想いを歌に込めたい、歌い切りたい、というこの合唱団のメンバー1人ひとりの歌に込めた魂は他に代え難いものがある。控えめな恭子が、この合唱団と巡り合って初めて、上手に歌いたい、歌が上手になりたいと言い出した。歌っているときに生きているという実感がもらえる合唱団なのだ。

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