妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第9回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2020年9月
更新:2020年9月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

 

 

 

 

夏。カヌーで湖沼の水路に2人して漕ぎだした。水底に生い茂る草がはっきりと見える澄み切った水、恐ろしいくらいに。爽やかな水面に煌めく太陽の陽射し。涼やかな風。居心地の良さそうな小島を見つけて、ランチ。健康な食欲。幸せな2人。地の果てのように遠い国にいる不安をかき消して余りある至福に満ちた新婚生活。若い2人は祝福されていた。

紅葉の中の恭子さん、米国での至福の新婚時代

そのころの恭子は、私の望みも入れて肩を越えるストレートのロングヘアだった。微笑むとあどけなさの残る無垢な少女のような楚々とした愛らしい恭子。その女性を独り占めしている幸運の大きさを、私は愚かにもまだまだ理解し足りてはいなかった。

緯度の高いその街の夏の夕暮れは遅く、午後9時ころまで辺りはまだ薄明るかった。戸外での友人とのバーベキュー。それも休日というのではなく、ごくあたりまえにウイークディのとある夕刻に。

燃えるような赤や黄色の紅葉。緑一色のゴルフコース。どこまでもまっすぐに伸びるインターステート(高速道路)。モントリオール、ケベック、オタワでの休日。2人は臆病で、2人だけの旅はケベックへの泊りがけのドライブだけだった。だからいっそうケベックの想い出は忘れられない。

かぼちゃをくり抜いて、手作りのジャックオーランタンに燭を灯すハロウィンの頃には、街はすでに初冬の冷たさ。魔女やお化けに変装して私たちのアパートメントを訪れた子どもたちは50人ばかりもいた。「トリック・オア・トリート?」と尋ねられながらお菓子の包みを手渡す。

第四章 脳転移―定位手術的放射線治療

10.脳転移―定位手術的放射線治療

2015年5月8日。食卓にラベンダーを活ける。

先日の脳の造影MRIの結果を聞きに、恭子は自分で車を運転して病院へ行った。

恭子が私に電話してきたときの口調をはっきりと覚えている。恭子はなんだか照れくさそうに、「脳に転移があったのよ」と言った。切迫しても酷く落ち込んでもいないような、淡々とした口調だった。私のほうが狼狽した。

敢えて、落ち着いている風を装って応えた。

「それで、放射線科の先生はどうおっしゃっているの?」

「この街だと、2つの施設のうちのどちらかで放射線治療を受けてくださいと言われた」

ガンマナイフのあるT病院か、谷本先生の施設だ。

「谷本先生と相談するから待っていて、どちらで治療するかを決めるから」と言って、電話を切った。手が震えていた。

「ガンマナイフだと入院も必要だし、頭蓋骨に釘のような金属ネジを刺して固定することになる。自分のところのサイバーナイフだと着脱式の固定方法のため非侵襲で治療できて、しかも外来通院の治療になる」と谷本先生。

「もし、先生の奥様が同じようなら、どちらで治療されますか?」と私は尋ねた。先生が自分のところの治療を否定されることはあるはずもない、とはわかりながら。

「ガンマナイフは可哀想ですし、サイバーナイフでやります」と言ってくれた。

「わかりました。それで充分です。先生のところに紹介状を書いていただきますので、よろしくお願いいたします」と言って、電話を切った。

放射線科の先生も積極的に賛成してくれて、谷本先生のところを紹介してもらった。恭子はその足で谷本先生のところに向かい、私も合流した。

脳の小脳虫部と右小脳半球に長径14mmと9mmの2個の転移巣が認められた。抗がん薬が届かない脳転移巣に対しては、乳がんのガイドラインでも定位放射線が推奨される治療であることを私も心得ていた。

谷本先生は、「念のための検査で、小さいうちに見つかったことをラッキーだと考えることにすればどうですか」となだめてくれた。「この程度の大きさだと高精度に限局した放射線治療で十分コントロールできます」とも。

心強かった。なんと、治療は、各転移巣に22Gy(グレイ)という高線量を1回で照射するため、2日で終わるという。恭子の負担も軽くてすむだろう。治療は5月18日と21日に決まった。

恭子曰く、「脳転移が見つかって、暢気(のんき)だった山崎先生も少し気合が入ったように感じた」

夕方、10日の恭子の誕生日プレゼントをもって、さっちゃんが来てくれたそうだ。お陰で愚痴れてよかったと喜んでいた。さっちゃんにはなんでも話せて、恭子の精神安定剤なのだ。

上手くいくと信じよう

5月10日。恭子56歳の誕生日。母の日。子どもたちから両方をお祝いしてくれるメールが届いたと喜んでいる。

恭子が、モールのような商業施設で、時計を買いたいというので出かけた。可愛いけど案の定安いのを選ぼうとするので、「もっと高いしっかりしたのを買いなさい」と言うのに、「これが可愛いからいいの」と言ってきかない。細い白いバンドの可愛い腕時計だけど、すぐ壊れそう。リネンシャツが欲しいというのでそれも買ってあげた。これも安いもの。私もそうだから、仕方ない。

夜は誕生日のお祝いに、魚料理専門の日本料理屋で食事をする。

おめでとう、恭子。来年も、その次も、何度も何度も誕生日をお祝いできますように。

恭子が脳転移について、思い煩っている風ではないのが何よりの救いだ。ガイドラインでも定位放射線療法の効果は評価されているので、これに賭けるしかない。上手くいくと信じよう。

食卓に黄色いバラを活ける。

やはり浮腫が一番気になるらしくて、「外出が多くてばたばたした日は利尿剤を2錠、家でごろごろしている日は1錠にする」と言っている。「水分はしっかりとること。運動もいいから、トランポリンを頑張る」と、いろいろ恭子なりに決めて工夫している。

5月14日。恭子は、脳転移に対する放射線治療のために頭蓋を固定するマスク作りに谷本先生のところに行った。谷本先生の施設では、顔面頭蓋に網目状の樹脂のぴったりしたマスクを作って固定するようだ。歯科でもよく使うレジンとよばれるプラスチックの樹脂の素材ではないかと推測する。固まる(重合する)ときに熱が発生するので、「それを冷やすのにどうしたと思う?」と恭子。悪戯っぽく「みんなでね、団扇で扇ぐのよ!」と言って笑っている。「大変だったけど、面白かった!」とまでのたまう!

脳転移と聞いただけで落ち込んで、絶望的になる人も多かろうに、「面白かった」と言い放ってしまえるところが、恭子の恭子たる所以である。ただ者ではない。ひょっとしたら人間ではないのかも知れない、と真剣に思ってしまう。

翌日、恭子は、合唱団の女子会に参加した。合唱団のメンバーのひとりが、車で走ること1時間半くらいの郊外で、1日1組をもてなす日本料理の店を不定期でやっているところに出かけたのだ。メンバーの方の誕生日のお祝いの歌をみんなで歌ったり、超美味しいおもてなし料理に舌鼓を打ったりで、楽しい―‼ だと。暢気なことこの上ない。人生を謳歌しているとしか言いようがない。

食卓にはスズランを活けた。

「熱中症予防には、水分を少しずつたびたび飲むほうが身体に吸収される。一気にたくさん飲むと尿になってしまい、そのとき身体のほかの水分も引っ張って出てしまうから、脱水になりやすいらしい。それならば、浮腫には一気にたくさん飲んで一気に尿として出すのも手か? 状況によって~」(恭子の闘病記録)

浮腫のことが頭から離れないようだ。

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