妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第11回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2020年11月
更新:2020年11月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

 

 

 

 

久しぶりの4人で嬉しい

私との信頼関係がグラリと揺らぐような心境になったとき、恭子の逃げ込める場所は限られている。実は逆で、恭子が逃げ込める場所ができたとき、私たちの心が離れてしまうことがあるのかも知れない。

「残りの人生は実の親と同居して過ごすのもいいかも知れない」
「子どもたちと親のためだけに生きよう……」(恭子の闘病記録)

闘病中ずっと力を合わせて2人の心がぴったりと寄り添えるとは限らない。その原因は本当に微妙なすれ違いなのだが、2人だけでは澱(おり)のように溜まっていた不満が、ちょっとしたきっかけではっきりと表れ出てしまうタイミングがある。

解決策の決定打などない。心にずれがあっても、2人で前を向いて終わりのない歩みを共に続けるしかない。そのうちに、また心が寄り添えると信じるしかない。喧嘩しながら、選択の余地なく助け合っていくのが本来夫婦というものなのかも知れない。それは非常事態の非日常であっても、何ら変わるものではない。

「怒りにのぼせた3日間だった。今日からは少し落ち着きたい。顕(長男)とモールへ行く。疲れた! 数学検定4級を買う! 便よく出る。ひざの曲げ伸ばしが少し楽になる。浮腫次第? 少しよくなってる? 左足首の腫れは変わらず」(恭子の闘病記録)

「パパに優しくできない。死ぬために生きる、というのをとても実感する。合唱団のソプラノの本山さんのお誘いで、アルトを歌っている私がメゾソプラノ、アルトの田代さんと3人で女声3部のトリオの練習をすることになった。本山さんに楽譜を作ってもらった。ちょっと楽しみ」(恭子の闘病記録)

次男の昂が帰省してくる。イケメンのお兄ちゃんのイタリアンに食事に行く。

「久しぶりの4人で嬉しい」と恭子。おっと、恭子、4人と言ったな! 4人が嬉しいと。

制御できると固く信じて疑わなかった

2015年8月22日。長男が昼過ぎに京都に帰る。

「ありがとう! 甘えん坊だが、がんばれ! 昂は国体出場資格を得るために地方大会に出場する。予選だけ走る。予選トップの記録だったが、自分としてはタイムが悪くてへこんでいる。かわいそうに……。なかなかつらい道だ。夜、3人で寿司屋に行く。カウンターで握ってもらって、おなかいっぱい!」(恭子の闘病記録)

8月23日。「朝、昂も帰る。2人がいなくなって淋しくなる。疲れて今日はごろごろ。布団干しや洗濯物に追われる」(恭子の闘病記録)

8月24日。恭子は谷本先生の施設で脳の造影MRI検査を受けた。

「以前治療した小脳の病変は大きくなっていないので、良しとしますが、右前頭葉と左側頭頂葉に新たな転移の可能性のある病変があります」と、MRI画像を見ながら谷本先生から丁寧な説明を受けた。そして「保険治療は3カ月以内にはできないので、9月に入って5月と同じように定位放射線治療をしましょう」と言われた。

「ポツリポツリと転移がみつかる。あ~あ」と恭子が嘆くので、「大丈夫だよ。乳がん診療ガイドラインでも、4個までの脳転移は少数個とみなされるし、3~4cmくらいの大きさなら定位放射線照射で対応できると推奨されているんだから。恭子の病巣はうんと小さいじゃないか。放射線治療でやっつけられるよ」となだめた。

実際、私はその脳転移病巣が放射線治療によって制御できると固く信じて疑わなかった。恭子は特別に幸運なロングタームなのだと信じ切っていた。

「谷本先生の施設で午後2時から造影CTとお面作り。点滴がなかなか入らず4回も‼ もう、痛いし不安だし……。左腕浮腫がこんなにこたえるとは。お面作りのあと、もうくたくた。疲労困憊だ。さっちゃんのご主人のお父さんが亡くなられたらしい。ご苦労様。私に親の看病や葬式を出したりできるだろうか? 想像がつかない」(恭子の闘病記録)

脳の治療があると思うと気が滅入る

恭子とモールに出かける。施設の裏手にある緑地帯は所々にベンチが配されていて、人も少なくのんびりできる穴場だ。2人で暫くベンチに腰掛けて、フルーツジュースを分けて飲む。私はこの、のんびりが好きだが日が陰って寒くなってきたと恭子がいうので、ビルの中に入って早めの蕎麦セットの夕飯を食べる。

「よく歩いた。脳の治療があると思うと気が滅入る」と恭子。「大丈夫、パパがずっと一緒にいてあげるんだから」

恭子はおやつとお弁当を持って本山さん宅へ女声3部の練習に出かけた。

田代さんと3人でアンサンブルの練習をしたらしい。「正座をするのがしんどくて足を投げ出して座ったの。楽しかった‼ でも、1人で歌うには声量をつけないとダメね」と恭子。

私に対する不満や脳転移の不安を抱えながらも、女声3部の練習を真剣に楽しんでいる。私に対する不満が和らぐきっかけになってくれればいいのだが……。

夕方、谷本先生の施設の治療を直接担当する青木先生から「明日1日で新たな脳転移巣2つを一気に治療しましょう」という電話連絡があったが、恭子は不安がっている。

9月1日。「今日治療する予定だったのに、機械の故障で明日に延期になって、気が抜けた」と恭子。

「お陰で明日はパパが半ドンだから一緒に行ってもらえることになった。安心したよ。ラッキー!」(恭子の闘病記録)

頼り頼られる関係が、絡まった2人の心の糸を徐々にほどいてくれるのか?

9月2日。2人で、放射線治療の施設に3時着。4時から治療だ。治療前に、谷本先生を交えた青木先生の説明の折、青木先生の苦虫を噛み潰したような不機嫌そうな様子が頭にこびりつく。

「なぜ今回は1日で2カ所の治療になったのか」と私が尋ねたことへの返答も、木で鼻を括ったような応答だった。目ざとい看護師さんが後で「お腹が減ってくると、とっても不機嫌になる先生がおられるのよ。どちらかはわかるでしょ?」

「お面を合わせるのに手間取ったけれど、きちんと合わせてもらってよかった」と恭子。「今日は楽だったよ」とも。

9月3日。私が出勤した後、恭子は2階の寝間で午前中たっぷり2時間眠ったそうだ。「頭が少しもやっとしてなんとなくだるいかな、というくらいでたいしたことはなかったけど、1日ごろごろしていた」という。

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