妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第13回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2021年1月
更新:2021年1月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

12.2次化学療法

2015年11月6日。2人で山崎先生の話を聞きに行く。

「皮膚を採って調べたところ、やはり乳がんの皮膚転移で、がんのサブタイプがトリプルネガティブと判明。ホルモン薬は効かないタイプとわかる。これを良しとするか、ショックとするか……。わかっただけよかったか? フェマーラ(一般名レトロゾール)は副作用もきついので止める。替わりに経口抗がん薬のTS-1(一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム)20mg×3を朝晩2回、14日間飲んで、休薬7日間。大変なことになった……」(恭子の闘病記録)

その夜、恭子を抱きしめ、顔をしっかり覗き込みながら、私は静かに話して聞かせた。

「恭子。パパはね、がんが皮膚転移として現れてくれてよかったと思っているよ。お陰で再発したがんのサブタイプもわかったし。もし、これが肺転移や新たな骨転移だったら生検はしてもらえなかったと思う。あるいは、おっぱいの深いところにだけ再発していたら、また針で生検されるのは嫌でしょ? 左腕のリンパ浮腫の原因なんだから。生検をすぐにしてもらえていなかったら、効くはずのないホルモン薬をとっかえひっかえして、『効かない、効かない』と無駄な治療が続いていたと思う。目に見える場所に転移が見つかったのは不幸中の幸いだよ、すぐ検査してもらえたんだから」

恭子はコクンと頷いてくれた。

「パパは、検査結果でホルモン薬が効かないとわかったら、きっとTS-1だろうなと思っていたよ。乳がん診療ガイドライン2015年版に転移性乳がんの1次化学療法薬として、新たにTS-1が追加になって推奨されたんだよ。しかも経口薬だから恭子の負担も点滴治療よりはましだろうと思っていた、これも不幸中の幸い。恭子が神様に守られている証拠だよ。安心していいよ、恭子のからだは薬がよく効くから。この薬も効いてくれるとパパは確信している」

恭子は私にしがみついてきたが、泣いたり愚痴を言ったり取り乱したりはしなかった。

「一緒にがんばろうね。恭子には強い運がついているから、大丈夫。パパも子どもたちも一緒に闘っているんだよ。だから、心配することは何もない」

病巣の写真を撮って記録

2015年秋、恭子と

11月7日。今夜から、恭子の携帯で左胸の写真を撮って記録に残すことにする。さらに、私が恭子の左乳房をスケッチして主だった病変のサイズを計測して記録していく。

「今日からTS-1にきりかえる。副作用が心配。ゴンと体重落ちる」(恭子の闘病記録)

大丈夫、絶対薬が効いてくれるから!

11月8日。2人で合唱の練習に参加。「疲れたけど、楽しい!」と恭子が帰りの車で言いながら、もうスヤスヤと寝息をたてている。

「思うように歌えない。むつかしいなあ。もう少し声を前に出すようにしてみるか……。一度にたくさんは食べれないが、それほどむかむかはない。かわりに手のひらに水ぶくれ様の小さいブツ。主婦湿疹のような……。3カ所。赤い発疹もある。これも? 副作用がこわい」
「本山さんちで練習。昨夜ほとんど眠れず心配だったが、朝30分はぐっすり寝て一安心。なんとか楽しくがんばれた。本番の17日は長丁場で心配。朝むかむかしてドンペリドンをのむ」(恭子の闘病記録)

11月14日土曜日。近くに住んでいるソプラノの声楽家の先生が主宰されている女声合唱団の演奏会に2人で行く。私たちの合唱団に勝るとも劣らず、かなりご高齢の方が多い。会場で落ち合うとすぐ「パパ、コロンがきつすぎるよ。臭い臭い」と、手であっち行けと嫌がられる。「演奏は心がこもっていていいね」と恭子。しかし、最後のほうは疲れてボーっとしながら舟を漕ぎ始めた。私は曲にのめり込んで、涙が止まらない。

夜、恭子の乳房の皮膚転移巣のうちで一番大きな6×7mmの病巣中央が早くも窪んできたのが確認できる。抗がん薬が効いて病巣の内部が壊死しているのだ。飲み始めて1週間で効果が確認できるとは。「やはり恭子は薬がよく効く体質だよ」と説明する。半信半疑ながら、さすがに恭子も嬉しそうにしている。

「薬が効いているかいないかひと目で確認できるでしょ。だから、皮膚転移は不幸中の幸いだよ。乳腺の深いところにある再発した病巣にも効いているんだよ!」

11月17日。女声三部アンサンブル本番当日。曲は「さくらさくら」と「うさぎとお月さん」。

「しっかり準備をして出かけたのに足はガクガク、声もふるえるし。でも、練習したかいがあったかな? なんとかハモれてよかった。本山さんのおかげで、なんとか楽しくがんばれた。1日気が張ってがんばったよ」と恭子が嬉しそうに話してくれる。

のちに、本番の演奏や本山さん宅での練習の録音を聴く機会があった。練習は和気あいあい、本当に楽しそうだった。1人で1つのパートを歌うという得難い経験をさせていただいて、恭子は本当に声がよく出せるようになった。素直で癖のない伸びやかな声だから好感が持てる。私は恭子の声がとても好きだ。プロの声楽家に発声のレッスンを受けるきっかけももらったのだ。本番は3人が聴き合い助け合って音楽を作ろうという気持ちが伝わるいい演奏だった。惜しむらくは、パートソロで演奏するには編曲が非常に難しいものだったかも知れない。

薬は効いている間は1年でも2年でも

庭のツワブキ

TS-1服用14日目。乳房の転移巣の一番大きいものの陥没が進んでいる。

「むかむかして目が覚めた。昨夜1~2時ころ、2度もどす。かなりの量でびっくり。4時ころにもむかむかしたが、その時は大丈夫。今日は1日それほどでなく朝も昼もちゃんと食べる。明日のランチどうしよう……。夜、H2ブロッカーをのんで寝る」
「今日から1週間は薬なし、うれしい! 朝はむかむか、風のひきはじめ? でも内山さん、山本さん、広田さんとランチして気分が変わり楽になる。恐れずに出かけるほうがよいかも! 夕方さっちゃんに野菜もらう」(恭子の闘病記録)

11月23日、勤労感謝の日。恭子は朝9時ころまで寝ていた。下痢が2度あったという。

子どもたちが小さな頃から通っていた美術教室の展覧会に行く。小さな子どもから美大を目指す高校生や大人まで、幅広い実にさまざまな作品群に出合える。私は幼稚園くらいの子どもたちの描きなぐった伸び伸びとした作為のない絵が、とくに好きである。色遣いや伸びやかな筆の勢いにハッとさせられる。小学校に入って2年もすると上手に描いてやろうという気持ちがもう透けて見えてくる。「疲れたけど、なんとか大丈夫」と恭子。

「薬の副作用の周期は毎回同じように出るのか? 蓄積するのか?」
「(TS-1)副作用。数日目――赤いニキビ様の発疹、5~個、数日で消える。目が結膜炎のようにしょぼしょぼする(数日がピーク)。むかむか少し。1週頃――むかむか。だるい。食前にドンペリドン。1~2週頃――2週目に2度もどす。夜心配な時はH2ブロッカー。口内炎。疲れるとむかむか強くなる。2~3週頃――薬がなくて、楽。下痢が3日ほど(下剤のせいかも……)。色素沈着が心配。胃腸が弱っている感じ。外に出て気分転換は大事!」(恭子の闘病記録)

TS-1は飲み薬だけれど転移性乳がんの1次化学療法に推奨されるだけあって、副作用もきっちり出るという感じだ。

11月26日。山崎先生の診察。

「薬が効いていれば、胸のブツが小さくなって枯れていく。効いている間は、1年でも2年でも飲みましょう」と先生が言われたそうだ。

私が尋ねてみたらと伝えていた新薬の治験は、甲状腺がんの手術から5年経過していなければ受けられないから、今は無理とのことだった。

「治験はなんだか怖いからやりたくなかったけど、残念なことなのかな」と恭子。

「大丈夫だよ、乳がんにはまだまだ有望な薬がたくさん控えているし、どんどん新しいお薬も出てくるから」と言ってなだめた。

手足の爪の色が紫色になって変形してきている。これまでの抗がん薬の影響だ。

「トリプルネガティブというのは、ずっと薬を飲み続けなくてはいけないというのがつらい。長くはムリかもね。毎日を大事に楽しむことにしよう。副作用が強ければ薬剤師との面談も。がん専門看護師との面談は、看護師さんの職場の近くで知り合いの人がパートで働いていて、その人と顔を合わせたくはないからキャンセルした。なんだかなあ。つかれたな」(恭子の闘病記録)

なんでもない些細なことに気を遣わなくてはならないこと、細々とした面倒が溜まってくると本当に疲れるのだろうなと思う。一緒にいてあげることしかできなくて……、ごめんね恭子。

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