妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第14回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2021年2月
更新:2021年3月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

ふらつきと嘔気の原因は

クリスマス時期の部屋

合唱の練習の後、女声三部を歌っている夫婦3組で忘年会をしようということになった。忘年会からの帰り、恭子が車を運転してくれる。

「練習で疲れて忘年会はどうなるかと心配したけれど、楽しくて心配は吹き飛んだ。夫婦3組って楽しいし、よく食べて平気だった。外に出るのがやっぱいいのね」と恭子。

「2度こける。疲れていたからか? ふらつきは不安。薬の休止中は少し楽になった気がする」(恭子の闘病記録)

2015年12月17日。山崎先生の診察。「胸を見てくださって、効いている! とグーサインをもらったの。良かった!」と診察の様子を恭子が伝えてくれる。引き続き3週1クールのTS-1とビスホスフォネートを継続する。

「最近、疲れやすくて、よく寝る」と恭子が訴える。その原因がはっきりしない。薬なのか脳の不調なのか? それでも、恭子は皮膚転移があろうが、再発しようが、脳転移が新たに見つかろうが、歌い続けている。素晴らしいことだ!

12月20日、日曜日。合唱団を主催されている高嶋先生のお宅にクリスマスディナーのご招待を受けて、2人でお邪魔した。

高嶋先生には恭子のからだの中で起きていることはすべて伝えているので、先生は医者の立場から恭子の病状を判断され、それも配慮の上でクリスマスの特別な夕食にお招きいただいたのだと思う。

夕方5時からお邪魔。恭子曰く「お部屋の飾りつけ、テーブルセッテング、お料理、お酒、それに自分のからだへの心遣い。何から何まで深い配慮に満ちていて、感動した」

素晴らしいディナーと、合間には賛美歌をたくさん歌い、よくハモって楽しかったと恭子が喜んだ。恭子が大好きなモンテベルディの「エッコモールモラールロンデ」も取り上げてくださり綺麗にハモった。生トマトを小さく刻んでバルサミコ酢とオリーブオイルを加えただけのシンプルなトマトソースが美味しくて、自分のレシピに加えさせていただこうと奥様と話している。楽しい時間はあっという間に過ぎて、おいとました時刻は10時を回っていた。

帰りの車を運転しながら、「本当に素晴らしい時間だった。むかつきもなく完食できたよ!」と恭子がはしゃいでいる。

高嶋先生にはこれは特別なディナーなのだという認識があったに違いない。感謝に堪えない。そうして、先生の判断が正しかったことはあまり時を経ずして明らかとなる。

12月25日。クリスマス。「むかむか。でも、パパがケーキを買ってきてくれて嬉しい。サンタが付いていた‼ クリスマスが来た!」(恭子の闘病記録)

冬に咲くカタバミ

理学的検査では小脳の機能障害は認められない。平衡試験でも上手に立っている、私より長いくらいに。乳房の皮膚転移巣は見事に枯れてきている。小さくなって、硬結を触れることが困難なくらいに。

「2週目に入るとむかむか……、ごろごろ。パパは仕事納め。ごくろうさん!」(恭子の闘病記録)

翻って、恭子の嘔気(おうき)が薬の副作用だろうと思えていたことは、恭子にとっては悪いことではなかったのかも知れない。その嘔気がどう考えても脳転移が原因だとしか考えられなかったら、私も恭子もことの深刻さをうまく受け止められなかったかも知れない。

恭子が、昨年11月に披露宴を挙げた姪っ子夫妻に歓迎のご馳走をしたいとずっと言い続けていた。その想いがやっとかなって、うちの近くにある昔の蔵を改造して季節の食材にこだわった美味しい日本料理の店で一席設けることができた。姪っ子若夫婦、弟夫婦、甥っ子と私たち夫婦の7人が集った。

若い人たちも、季節の食材を美味しいといって喜んで食べた。和やかな華やいだ雰囲気で美味しく食べ、呑んで、暮れの夜が静かに穏やかに更けていった。

「やっと若い人たちにご馳走してあげられてよかった。楽しかったし、美味しかった」と恭子も満足していた。

私がずっと続けている恭子の左乳房のスケッチと計測でも、TS-1が効いているのが如実にわかる。硬結は消え、小腫瘤の大きさも長径、短径で半減している。

「くすりは効いているようだ。よかった。パパ、スケッチ」(恭子の闘病記録)

良かったね! 恭子。薬が効いていないと、むかむかしたり、ふらふらしたりしても頑張っている甲斐がないものね。どうかTS-1の副作用でありますようにと祈らずにはいられない。私の思考のどこかでは、ふらつきと嘔気が脳の病変由来の可能性があることを認識しているのだが、もっと強い力がそれを根拠がないと否定していて潜在化させている。

12月30日。次男帰省。「四国に帰省する準備。ところが、昂が夕方6時ころ家に帰ると、しんどそう。食欲もなく顔色悪い。発熱、38度3分。夜はもっと出る。むかむかして嘔吐、下痢っぽい。明日の帰省は断念。私は鼻風邪気味。喉の奥が痛い。抗菌剤を飲むことにする」(恭子の闘病記録)

12月31日。「二転三転して、パパも居残りに。私もだるくてとても帰れない。作品の仕上げが佳境に入って正月返上の顕とスカイプをする。元気そう。夜、紅白を見る」(恭子の闘病記録)

払いきれない恐れが潜んでいる

ちょっと不機嫌な恭子

2016年、元旦。2016年は私たちにとって悲嘆の年となった。絶望のどん底の年である。恭子に決定的な出来事が続々と押し寄せてくる。そして、無情な現実。慟哭(どうこく)の日々。何より、共に力を合わせてがんという難敵に立ち向かってきた私たち。

しかし、2人のこころが離れてしまって、彷徨(さまよ)う2人のこころ。焦りが2人を離れ離れにしてしまう。結び合おうとする手が、するりと抜けてしまう。2人はこのまま、波間にお互いの姿を見失ってしまうかに思われた。

「朝、スーパーにおせちを買いに行く。なんとか格好がつく。次男も少しずつ食べられるようになる。私も鼻のみ。のんびりしたいお正月。夕方からむかむか。軽い風邪」(恭子の闘病記録)

1月2日。「昼前に昂の本厄のお祓いに行く。元気になってよかった‼ いろいろ話もできて楽しいお正月だった」(恭子の闘病記録)

1月3日。「昂、昼過ぎに横浜へ。大混雑で大変だったみたい。実家の両親に電話で、皮膚転移と薬が効いたことを知らせる。母はしんどそう! 軽く言うつもりが、パパがしっかり説明するから困る。母の心配をダイレクトに聞く私の気持ちはパパにはわからない。本当に現実をつきつけられてつらい。久しぶりに涙が出た」(恭子の闘病記録)

「現実」とは、自分の病状そのものよりも、両親の苦悩も含めて周りを巻き込まざるを得ないこと、大ごとになっているという騒ぎのことなのだと思う。だから、恭子は両親に心配かけまいとして、自分の病気のことを伝えることを極力避け続けているのだ。それは尊重すべきと思ってきたが、つい説明し過ぎて(私がよく犯す悪い癖)、恭子を苦しめる結果になってしまった。恭子が涙をみせるのは闘病中でも本当に稀なことなのだが、私のせいで……。

1月4日。「疲れる。気分も低空。何もしたくない! パパとけんかする。他人だと言われる。そんなことわかっているけど。これからどうやって暮らそう。惨めな気持ちで生きるのはいやだ。病気になると離婚もできない」(恭子の闘病記録)

私のなかに、追い払おうとして払いきれない恐れが潜んでいるのが感じられる。恭子のむかむかもふらつきも倦怠感も薬のせいではない、という恐れ。

夫婦は他人だと私はよく口にした。家族や親族のなかにあって、夫婦だけが血縁のない関係だと。だからこそ尊く、奇跡的な関係なのだと。このときの喧嘩のことは覚えていない。しかし、喧嘩のときに「夫婦は他人だ」と言ったら、恭子を深く傷つけたろう。こんなに苦しみながら頑張って病気と闘っている恭子と何で喧嘩したのか、情けない話だが覚えていない。私自身も相当にイラついて、不機嫌であったろうことは容易に察せられるが……。

1月5日。「夕方、むかむか。食べられるけど、だるい。鼻声。目はしょぼしょぼ……。副作用は少しずつ強くなるのか。パパと仲直りできない。もう、うんざりだ。がんになって一番の危機だな。乗り越える自信ない。はやく死んでしまいたい。生きる意味って子ども? 長男からがん祓いのお札とカラーコーディネートの本、お手製のスカーフが届く。ありがとう。やっぱり、子どもたちのために生きないといけないかね。実家からも蒲鉾が届く。私1人沈みっぱなし。がんはこわいと思うよ。早く終わらないかな。子どもには背中を見て欲しいと思ったけど、私は(女子サッカーの)澤さんにはなれないね」(恭子の闘病記録)

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