妻と共にがんと闘った追憶の日々

君を夏の日にたとえようか 第19回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2021年7月
更新:2021年7月

  

架矢 恭一郎さん(歯科医師)

かや きょういちろう 1984年国立大学歯学部卒。1988年同大学院口腔外科第一終了。歯学博士。米国W. Alton Jones細胞生物学研究所客員研究員。1989年国立大学歯学部付属病院医員。国立大学歯学部文部教官助手(口腔外科学第一講座)を経て、1997年Y病院勤務。1999年K歯科医院開院、現在に至る

 

 

顕と昂へ

君を夏の日にたとえようか。
 いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
                ――ウィリアム・シェイクスピア

「パパもしんどいんだね」

恭子は寝てばかり。眠くてしようがないのだ。薬のせいか、髄膜播種(ずいまくはしゅ)のせいかはわからない。それでも、頑張って食事の支度をしてくれる。昨日は恭子の大好物のちらし寿司で、今夜は得意のポトフ。

私の緊張は時折極に達して、ある晩ついに感情失禁してしまう。2月に恭子が緊急入院して手術を受けて一命をとりとめたが、余命1カ月の宣告を受け、恭子と二人三脚で闘病を続け、医院の診療をこなし、自治会の仕事も綱渡りで、私はふらふらとおぼつかない足取りで生きている。その感情のコントロールがいっとき制御不能になってしまったのだ。あろうことか恭子になだめられるという醜態をさらしてしまった。

「パパとさえ一緒になんかならなかったら、恭子は、こんな苦しまなくてよかったのに。偉すぎる医者なんかに診てもらっていなかったら、こんなことにはならなかったかも知れないのに!」と、わめきながら私は涙が止まらなかった。

「パパもしんどいんだね」と、恭子が頭をなでながらなだめてくれる。そう言えば、私たちの闘病を支えてきてくれた、2人で共に歌う喜びからもう2カ月も遠ざかっている。

「……、パパが泣いている。しんどいんだろう。夕方さっちゃんがデパートのパンを持って来てくれる」(恭子の闘病記録)

次男とのラインでのやり取り。

「ママがこれからどのくらい生きられるかは神さまにしかわかりません。出来るだけテレビ電話でママに顔を見せてあげてください」

「僕も腹はくくっています。話せるうちに話したいです。夜は基本的にいますので、そちらの都合のよいときに電話してください。帰省したいけどなかなか離れられるタイミングがありません」

「歌うこと、仲間の歌を聴くこと」が何より大切

高嶋先生にはすべてを話していて恭子の病状も把握されているから、医者としては同じ合唱団のメンバーとして、演奏会などしている場合ではないという配慮をしてくれたに違いないと考えている。演奏会の会場を一度はキャンセルして、白紙にされたらしい。

しかし、異を唱えるメンバーが出てきたらしい、演奏会をすべきだと。もし演奏会を止めてしまったら、責任感の強い恭子はもう二度と一緒に歌えないのではないかと心配してくれたのだ。有難いことだ。双方の配慮が有難い。

残念ながらどう転んでも恭子はもう二度と合唱団で歌えない可能性が非常に高いのだ。すったもんだの末、「おさらい会」という形で区切りをつけるためにも会場で歌うことになった。演奏会ではない。恭子に、そのことを伝えるのが難しくて、先延ばししてきたが、演奏会の予定だった4月24日は目前である。

「パパはちゃんと練習に行って演奏会に出なさい」と恭子は繰り返していたが、私は練習に出る気にはなれなかった。そうして、おさらい会の話を切り出したとき、恭子は高嶋先生の奥様に不服の意向を伝えたらしいが、2人のやり取りがどのようなものだったか、私にはわからずじまいだった。

余命1カ月と宣告されて、歌など歌っている場合ではない私たちが、結局辿り着いた結論は、「歌うこと、仲間の歌を聴くこと」が何よりも大切なことだということだった。命が、仮にその最中に途絶えたって、歌いたい、歌声を聴きたいということが最も大切にしたいことだったのだ。

4月24日、おさらい会当日。私は重い気持ちでどうしても聴きに行くといってきかない恭子を伴い、私自身は会場に着いたときの気持ちで、舞台に立つかどうかを決めることにして出掛けた。

絶唱となった「群青」

自分のせいで、おさらい会になって会場に観客がほとんどいなかったのは、恭子には、つらい眺めだったという。私は歌うことにした。歌いたいと思ったからだ。それに、何事につけても開き直っていたし、観客がほぼいないのも緊張しなくていいやとも思ったのだ。本当は恭子も一緒に歌いたいのではないか? 合唱をしている者なら誰だって、プロの演奏ならともかく、そうでないなら他人の歌を聴いていることほどつまらないことはない。自分が歌ってこそ合唱の楽しみ。それに、恭子は十分練習に参加して、今回の楽曲はどれもほとんど仕上がっていたのだから。

しかし、直近の3カ月ほどの練習に参加していないのに、本番に出るのは恭子の考え方としては許されないことなのだろうと思った。恭子は元気そうに私たちに手を振ってくれながら、つとめて明るく振舞っていた、彼女一流の取り繕いで。

おさらい会を無事終えたとき、図らずも私は充実感を感じていた。疲れ切ってもいたが。楽屋に下がった私たちを追いかけて、ピアノも担当する井上さんが「群青のアンコールです。群青を歌いましょう!」と声を掛けて回っている。武田さんの奥さんの幸子さんの粋な計らいだった、恭子に歌わせようと。

皆が再び舞台に上がり、女性陣が中心になって客席にいる恭子に舞台に上がって一緒に歌おう、と熱心に粘り強く声を掛けて下さった。ためらいがちな恭子もほだされて、椅子を用意してくださって、恭子は絶唱となる「群青」を共にステージで歌ってくれた。私は、涙でほとんど歌えなかった。伝染してテナーはたびたび、その歌声が消えた。アルトを中心とした女性陣も涙をぬぐいながらのアンコールだった。恭子もみんなが暖かくて涙が出たとあとで語ってくれた。

「群青」の歌詞は私にはつらすぎるものだった。

考えてみれば、演奏会のプログラムを歌うための体力は恭子には残されていなかったのだ。それが、恭子がステージに立つことを止めた一番大きな理由だったと思う。聴きに行って、「群青」だけ歌って、それが精一杯だった。それですら命がけだったのだ。久しぶりの外出から家に戻る車中で、恭子は泥のように眠って、疲れ果てていた。

例外的な運を持っていると信じたいのだ

4月27日。谷本先生のところでの脳の造影MRIとPETの結果は良好ということだった。画像上、放射線治療の効果が玉虫色だった転移巣がよく消えているという。しかし、肝心の髄膜播種がどうなっているのかの説明は勿論なかった、恭子が同席していたのだから。

転移巣や脳浮腫にアバスチン(一般名ベバシズマブ)の効果はあっても、それが延命に繋がるのか、私たちには誰も教えてはくれない。治らない患者には、医者は興味を示さなくなるとよく聞くが、潮が引くように関わってきた医者がつれなくなったように感じるのは、いよいよ追い込まれた私の拗ねて歪んだ物の見方のせいかも知れない。

「アバスチンが効いていなければ、もっと酷いことになっているのだろうか。恐いね」と恭子が心配そうにいう。脱毛は減ってきたというものの、恭子の頭の髪は、薄くなって、眉毛もまつ毛も減ってきたのが悲しいという。ごめんね、恭子。恭子は手術用のディスポキャップを被って、毎晩寝ている。

4月28日。2クール目のタキソール(同パクリタキセル)+アバスチン始まる。山崎先生が三島先生と相談されたらしい、髄液中のがん細胞のサブタイプを調べてほしいという私の希望についてだ。実際的にその検査は困難であるとの結論に達した、と恭子に山崎先生が言われたらしい、ご主人にも伝えて欲しいと。

がん細胞を免疫染色に充分な数集めるには50ccの脳脊髄液の採取が必要で、大量過ぎてそれには危険が伴うということが1つの理由。それに、首から下がHER2陽性で、脳転移したがんが陰性になることはあっても、その逆の可能性は低いから、危険を犯す必要はないだろうと言われたらしい。主治医の結論だから致し方ない。恭子は、無駄な検査はしたくはなかったからよかったと胸をなでおろしている。これ以上私が無理強いする余地はない。

素人が勝手な屁理屈をいえば、「50cc必要」という根拠があいまいな気がする。脳脊髄液中の細胞数(密度)によって必要な量は何倍も違うのではないかと思うからだ。それと、仮に50cc必要な場合、「感染リスクはあっても、リザーバーにチューブを繋いでゆっくり採取すれば可能ですよね」と川田先生は言ってくれた。

何より、がん患者や家族は自分たちは特別で例外的な運をもっているのだと最後まで信じているのだ、すべての患者、家族が。可能性が例え万に一つでも、本当はとことん調べて欲しい。患者本人、恭子を説得するという最大の難関がありはするが。恭子なら「パパはお医者さんじゃないもの、私は山崎先生を信じているんだから、素人が屁理屈を言ったって信じないわよ」と言うに決まっている。万事休す。

吉報もある。この春から就職して頑張っている長男が、深夜、帰省する。

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