進行性食道がんステージⅢ(III)と告知されて

「イナンナの冥界下り」 第1回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2016年8月
更新:2020年2月

  

遠山美和子さん(主夫手伝い)

とおやま みなこ 1952年7月東京都生まれ。短大卒業後、出版社勤務を経て紳士服メーカー(株)ヴァンヂャケットに入社。約20年勤務の後、2011年8月病気休職期間満了で退職

<病歴> 2010年10月国立がん研究センター中央病院で食道がんステージⅢ(III)を告知される。2010年10月より術前化学放射線療法を受けた後、2011年1月食道切除手術を受ける。2015年9月乳がんと診断され11月に手術、ステージⅠ(I)で転移なし


「あっ!」

2010年10月5日、国立がん研究センター中央病院、初診受付。渡された診療申込書には、名前や生年月日の他に紹介してくれたクリニック名、そこで診断された病名を記入する欄がある。「食道がん」と書くところを水道と書き始めてしまった。「水」の字は「食」に修復することはできず、結局ぐちゃぐちゃに消しながら思わず「ふっふっ」と笑ってしまう、こんな時までふざけるつもりはないんだけど。

食道外科・G先生、9時で予約を取ってもらっていた。「たくさん待つんだろうな」の予想に反して9時数分前に呼ばれた。診察室にはもちろんG先生がいらっしゃった。

初診に至る経過

8月の下旬から胃の調子が悪いなと感じていた。愛犬が体調を崩したこともあり、そのせいで胃が痛んでいるのかと思っていたが、9月上旬、朝食のトーストがつかえて首をかしげる。「ちょっと変」と感じてから数日が経ち、気づくと柔らかいものを選んで食べるようになっていた。

「昨日はハムサンド、今日はたまごサンド、きゅうりなしになったよ」と同僚に指摘される。猫舌で熱い飲み物は苦手だが、水を飲み込むとしみる。

「なんかやばいな」

でも、この時はまた逆流性食道炎かな?と思っていた。「こんな症状があったら」などとテレビでも盛んに言われだしていた頃だ。数年前に食道がしみることがあってX線の検査を受けたことがあり、その時は逆流性食道炎との診断で胃酸を抑える薬で収まった経過がある。

私の昼食を気にかけてくれるアットホームな雰囲気の職場での仕事は、ホームページのプロジェクトが超多忙で毎日息つく暇もない状態で、やっと8月から人員が補充されたところだった。9月10日金曜日、会社近くのSクリニックを受診した。ここは2010年1月に人間ドックを受けた検査が中心のクリニックだが、外来診療もあることが分かり、ドックの検査結果も参考にできれば手っ取り早いとの気持ちで出向いた。

胃カメラを飲む

「逆流性食道炎でしょう。飲み薬を出しますので、しばらく服用してみて良くならないようだったらまた来てください。それと心配だったら胃カメラを飲んでみたらどうですか?ここでの検査は麻酔なしなので、苦手だったらここでなくてもどちらかで受けたら、まぁ女性だし煙草も吸わないしリスクは少ないですけど……」

処方された薬は怪しい水薬、怪しくはないが効いた気がしない。水薬の大きなボトルを会社に持参すると、「なんか、怪しい薬飲んでる」と若い女子社員に言われる。「ほら、怪しいじゃん」

もともと健康オタクとまではいかないが、その類の情報には目聡いほうで、「アセトアルデヒド」は食道がんのリスクファクターで他人の吐く息に含まれるそれを吸うことでも影響がある「ガッテン」などと聞きかじっては二日酔いで酒臭い息の上司を遠ざけたりしていた。そんな私だが胃カメラは大の苦手で、1月に受けた人間ドックでは胃の検査はバリウムを希望した。

その際、以前から胃にポリープがあることや、レントゲンでは表面の変化などがわからないので次回は胃カメラを選択するように薦められていた。

「やっぱ飲まなきゃだめかぁ」

休日にネットで楽に胃カメラが飲めるクリニックを検索した。楽に飲めるわけはないのだが、区のがん検診を実施しているNクリニックが「鼻からの方式」をやっていることを発見した。このNクリはサービスが良いので気に入っている。

以前に江東区の乳がん検診を受けた際、区の検査結果報告書には乳房の形「大・普通・扁平」を記入する欄があるのだが、私は普通に○がされていたのである。

「あっ、わたしふつうなんだ♪」と気を良くしてみたものの、すぐにこれはクリニックのサービスではないかと気づいた。自分で扁平とわかっていても杓子定規に「ヘンペイ」と書かれるよりは普通とおまけしたほうが、誰も困るわけじゃなし、「また、受けよっ」と言う気にさせる。考えすぎか。

月曜日、Nクリニックに電話して診察の予約を取る。火曜日会社帰りに受診、事情を話すと「では木曜日、早めに来てください。診療開始前に検査してしまいましょう」と言ってくださる。ほらサービス良し。胃カメラは鼻からでも「おぇー」となるのは同じで、時間もかかって空気をいっぱい入れられてつらかった。

「こんな深い潰瘍は見たことないな。組織を取りますね。ほら、こんなですよ」とモニターを示されても「見なくていいです」、と涙目で伝える。

「がん」だね

翌日は「重症の胃潰瘍患者」になった気分で出社した。その日は8月から入ったスタッフの歓迎会。恵比寿の中華料理店で「大変だった胃カメラ騒動」を皆に報告して盛り上がった。偶然そのお店に指揮者の小沢征爾さんがご家族で食事に見えていて、なにやら運命を感じる私。

「いやいや、私はがんじゃないですから」

忙しさに取り紛れて組織検査の結果が出ているはずの日を数日過ぎた9月30日。ちょうど帰宅したところへNクリの看護師さんから電話がかかってきた。

「検査結果が出ていますのでいらしてくださいね」

「了解で~す」

お気楽な私、その時は「やっぱり親切だ」と思っただけ。

早々にその日の仕事にケリをつけて「(サザンの)桑田さんと同じ病気だったらもう来られませ~ん」これは冗談半分、言い残して会社を早退、Nクリに向かう。

このクリニックはこじんまりとしているが、地下鉄の駅から近いことや、婦人科の先生やマンモグラフィの技師さんが女性だったり、禁煙外来もあり、いつもとても混雑している。最近は診療所というと高齢の患者さんが多い印象だが、ここは若い男性も多いなぁなどとぼんやり待っていると、やっと呼ばれた。

「出ちゃってるからしょうがないなぁ、『がん』だね。薬も効かなかったでしょう?」

そう言ってN先生は先日撮った胃カメラの画像をモニターに出して見せてくれた。

「うわぁ~気持ち悪」

改めてみると患部は青痣のような色に見える。

「結構進んでるんですか?」

「それはよく調べてみないと、広がり具合やどのくらい深いとか、これだけでは解らないね」

「はぁ……」

「紹介状を書くから、大きな病院に行ってください。どこがいいですか?どこでも紹介できますよ」

「何週間も我慢できないっ」

こんな展開で、病院を紹介するからどこがいいかと聞かれて、答えを用意してある人はあんまりいないと思う。花の金曜日夕刻過ぎ、週末に家族と相談して週明けにまた来院することとして高速バス乗り場に急いだ。

ウィークデイは東京の自宅から仕事に通っているが、週末は九十九里海岸の程近く、連れ合いが家具製作をしている木工房で愛犬(みみた)や愛猫(みゅう)と花を愛でながらうだうだと過ごす。入院や治療となると工房の住人たちにも協力を仰がなければならない。高速バスの中、「これから大変なんだろうなぁ」と思う。

工房の住人達はさして動揺することもなく、ということは私もそんなに動揺はしてはいないらしい。なにしろ動物はとくに猫はこちらの反応にすこぶる敏感で、彼らを見て自分の状態が解る時がある。唯一の人間である連れ合いの本心は「がんと聞いてどう?」などと取り立てて質問はしないのでよくわからない。

「お休み3秒」が自慢の私。夜は普段通りに眠った。ここしばらく、痛みで目が覚めることはあっても、工房ではみみたが添い寝をしてくれるのでひどい不眠に悩まされることはなかった。

翌朝はいつもどおりにみみたの散歩に同行。「あと何回一緒に散歩できるんだろう」とふと思う。また、ちょっと胸が痛い。

N先生の「築地のがんセンター、有明のがん研、どの大学病院でもどこでも希望するところを」とのお話からインターネットであれこれ検索してみる。会社への通勤路線にあり、通院を考えると築地が便利だからという、今思えば贅沢な理由でがん研究センター中央病院サイトの「治療を希望する方へ」を読んでみる。

治療までの待ち時間が載っていて、「翌日に予約がとれる科もある」となってはいるが消化管内科は紹介医からのFAXによる予約(2010年当時)となっていて、治療開始までに時間がかかりそうだ。この頃には痛みは上腹部から胸を中心に顔、頭へと広がっている。がんの痛みとわかってはどんどん酷くなるのではないかと徒に不安になる。

「何週間も我慢できないっ」。痛みには極端に弱い軟弱者ゆえ、早く治療が受けられることを第一義とした選択をすることに方針を決定した。

幸い担当していた仕事の片翼は新入スタッフに一通りレクチャーをし終わったところだった。もう一方の仕事については週明けに出社した際、説明がスムーズにいくように予めまとめて上司にメールをする。自分で言うのもなんだが仕事第一の真面目で優秀な社員だったと思う。が、今は手のひらを反したように自分本位で行くことに方針を決定。

優しい心遣いに感謝

いよいよ何かが始まる感じの月曜日朝。東京行きの高速バスで直接クリニックへ行く予定にしていたが、駅で腹痛に見舞われてしまう。バスではトイレが不安なのでJRに変更。今まで通勤途中で下痢をすることなど皆無だったが、意外と感じやすかったりして。

N先生にはすぐに治療を始めたい希望を伝えたところ、「時間的には大差はないと思われるのでそれならば専門病院にしましょう、治療開始まで待つようなら、それまではこちらでケアします」と言っていただき、国立がんセンターに紹介していただくことになった。 脇で待っている間に看護師さんが電話で問い合わせをしてくださっている。

「はい、食道外科G先生、9時ですね」との声。

「良かったですね、明日予約ができました」

「えっ!明日?」

FAX紹介状の書式は病院のホームページからダウンロードして準備しておいたが、その必要もなかった。食事も十分にはとれていない状態で、下痢もしていたりで、胃カメラのデータや紹介状を準備する間、点滴をしていただく。ソファに横になっていると点滴の器具をもった看護師さんがいらして「病気は人を選びませんからね」と。きっとこういう症状の患者さんにはこういう声かけとかいろいろ勉強してるんだろうな、と、優しい心遣いに感謝。点滴でどれ程体力が回復するかはわからないが、心配性の患者さんの気持ちは少し回復。

午後、出社して上司に経過を説明し、心配してくれていた友人にも報告した。短時間で引き継ぎが出来るわけもないのだけれど、とりあえず思いついたことを伝え、デスク周りを片づける。死ぬつもりは毛頭ないのだけれど、もう戻れないかもしれないという気持ちも少しあり、跡は濁したくないが、なんだかとっちらかったまま夜になる。

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