進行性食道がんステージⅢ(III)と告知されて

「イナンナの冥界下り」 第4回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2016年11月
更新:2020年2月

  

遠山美和子さん(主夫手伝い)

とおやま みなこ 1952年7月東京都生まれ。短大卒業後、出版社勤務を経て紳士服メーカー(株)ヴァンヂャケットに入社。約20年勤務の後、2011年8月病気休職期間満了で退職

<病歴> 2010年10月国立がん研究センター中央病院で食道がんステージⅢ(III)を告知される。2010年10月より術前化学放射線療法を受けた後、2011年1月食道切除手術を受ける。2015年9月乳がんと診断され11月に手術、ステージⅠ(I)で転移なし


がんと診断されてからずっと、仕事は有給休暇を使い切り休職中だった。就業規則上の病気休職期間が満了となる8月末で退職することに決めた。

会社との交渉次第では期間の延長や変則的な勤務体系などが十分考えられたが、復職の先延ばし交渉をするにはその意欲がまだ戻っていなかったのだと思う、社内では優秀なネゴシエーターのつもりだったが。健保組合の傷病手当金もまだしばらく支給期間があり、差し当たり連れ合いの収入をあてにするなど、働かなくても良い環境でもあった。

何より、思うようにならない身体で、不安を抱えた気持ちに折り合いをつけて仕事をするのがつらかった。

「食道がんが再発した場合、その進行は早く、平均余命は半年程度、残念ながら高度に進行したがんを治療できる治療法は確立されていない」

がんセンターの更新前のサイトにあった記載は頭から離れない。再発の不安は厳然とあるし、まだ、なんの覚悟もできていません。

「できないこと、できなくなったことを数えてもしょうがないので、今できることを探したらどうでしょう」

退職を報告した時にいただいたカウンセラーJ先生のアドバイス。

バイオリンを習おうと思う。上達にはできるだけ毎日の練習が必要で、ピアノと違って小さいので持ち運べる、さほど体力がなくても大丈夫、等々考え始めると、今これをやるしかないと思う。

仕事を続けていたら絶対といっていいくらい思いつかない選択だった。ずっと使っていた食道がない新しい身体で生活することを始めたのだから、同じように1から始めて、死ぬまでにどれだけ弾けるようになるのかやってみようと思う。

縁があって著名なバイオリン作家の作品を譲っていただくことになった。高齢だが楽器製作に熱意を注がれ、私の病気の事情を知って、10月から始めるレッスンに間に合わせて急いで調整してくださった。

だが、その4カ月後の翌2012年2月26日に末期大腸がんと宣告され、5月13日、急逝された。やりきれない。

月に3回、40分ほどだが、バイオリンのレッスンに通うようになって気持ちが外に向きだす。日々の近所迷惑な練習は欠かさなかったし、気分が落ち込んでも練習で持ち直したりした。車の運転も再開したので、コンビニまでお菓子を買いに出かけたりするようになる。ずっとスーパーの食品売り場での買い物が苦痛でしょうがなかったのに。

自分の敵は自分です

10月下旬、治療開始からちょうど1年目、公私ともにお世話になった方が工房を訪ねてくださった。

「声も前と変わらないし、これだけしゃべれば大丈夫だ」初めて病気の治療や手術について話をした。本来の自分に戻った気がして元気が出た日の夜中、ムカムカと吐き気がする。しかし翌朝はいつも通り。

「記念日症状が出る人もいるんですよ、そのタイミングでいろいろ思い出して話したりしたので」とJ先生の分析。

「気のせい!」と切り捨てられなくて救われた。改めて、自分の敵は自分です。

放射線による胸の爛れはほとんど消え、傷も次第に薄くなってきた。

点滴や腹腔鏡を差し込んだ穴、ドレーンの出口、数センチの傷など前や背中に数えると12カ所ある。そのうち3カ所がミミズ腫れのケロイドになっている。

首の傷はG先生のおっしゃったとおり、首の皺より目立たない。抜糸の際の「H君方式」と呼ばれるH先生の丁寧な処置のおかげもある。副作用にはかなり個人差があると説明されていたが、このケロイドを見ると納得がいく。

日焼けの出方も人それぞれだし、日に焼けると赤くなる私は、食道炎も酷いほうだったのかもしれない、この期に及んでまだ恨みごと。

で、12カ所も穴が開いたんだから、あと2つピアスを開けることにする。体重は35㎏に届くところまで来た。

でも、イライラしてくる

2012年。年明けには姉とコンサートに行ったり、好きな落語会を予約して1人で出かけたりするようになった。

外食はシアトル系カフェで、のんびりと若者に交じって過ごす。ちょっと良さげな雰囲気だが、実は出かける先々のカフェ情報を事前にネットで調べ、ここで何を食べて、これだけ休憩、移動に何分、と計画をたてないと不安である。

1日1イベントに決めてはいたが、それでも活動範囲が広がると体重は頭打ちになってしまった。

不思議と咀嚼(そしゃく)回数が多いせいか顎力と顔の筋肉は発達し、やつれた面立ちではなく、友人と会っても「太った?」と言われるようになった。術後1年目バレンタインデーのCT検査は特に問題なく、カウンセリングを1年で卒業した。

病気の間お休みしていた落語会の受付の手伝いを3月から再開した。このことは退職をとても残念がっていたG先生に勇んで報告。数カ月に1回の開催だが、賑やかな楽しい場に出向くと気持ちもぐんと上向く。G先生は「バイオリンより三味線のほうが似合うんじゃない?」と言いながら、落語の雑談にも乗ってくださった。

バイオリンのレッスンに通い、たまに趣味の会に出かける生活はちょっと素敵だ。

素敵なはずだが、自分のためだけの生活を満喫するには貧乏症が過ぎるのかもしれない。服用していた抗うつ薬は2年続いたが、徐々に減量して、断薬した。1カ月ほど続いた離脱症状も治まったし、これで肝臓の数値が良くなると嬉しい。

投薬はなくてもまだ精神科の診察は受けている。

優しいO先生は「おまけの人生だと思って自分の好きなことをやったほうがいいですよ、仕事は無理しなくていいんじゃないですか。やるとしても少しずつ」と言ってくださる。そうだな、と思いながら、私はイライラしている。

同じカテゴリーの最新記事

  • 会員ログイン
  • 新規会員登録

全記事サーチ   

キーワード
記事カテゴリー
  

注目の記事一覧

がんサポート11月 掲載記事更新!