進行性食道がん ステージⅢ(III)と告知されて そして……
「イナンナの冥界下り」 第10回
遠山美和子さん(主夫手伝い)
<病歴> 2010年10月国立がん研究センター中央病院で食道がんステージⅢ(III)を告知される。2010年10月より術前化学放射線療法を受けた後、2011年1月食道切除手術を受ける。2015年9月乳がんと診断され11月に手術、ステージⅠ(I)で転移なし。2016年8月卵管がんの疑い。9月開腹手術。卵管がんと確定し、子宮・卵巣・卵管と盲腸の一部を摘出。9月手術結果を受け卵管がんステージⅢ(III)Cと診断。10月17日よりドース・デンスTC療法(パクリタキセルとカルボプラチンの異なる作用の抗がん薬を組み合わせた治療法)を開始し、2017年3月29日終了。
4日後の8月30日火曜日(2016年)、プロ患者としての最初の仕事は下部消化管内視鏡検査、大腸の内視鏡検査だ。今まで上部消化管(胃カメラ)は術前検査から術後の経過観察まで何回も涙目の経験をしているが、大腸検査は初めて、相手にとって不足はない。
私の場合、普段から繊維質などが多い食品はあまりとらないためか、とくに検査食の指示はなく、予め渡された下剤を前日服用して当日に臨む。看護師さんの説明では前処理室で腸管洗浄液を約2ℓ飲んだ後、午後から順次検査をするという。
あらら、予約票では10:00から大腸検査、婦人科S先生の診察が12:30から。その後、精神腫瘍科の面談が13:00となっているが……。
しかし、予約のタイムスケジュールについては多分身を任せれば大丈夫だろうというのはプロの勘。
ひと通りのレクチャーを受け、腸内洗浄にとりかかる。1カップを約10分かけて(私は15分以上かかったが)飲み、1カップ毎の開始と終了時刻と便通の記録を自分でつける。
洗浄完了の目安は、残渣(ざんさ)の含まれていない黄色い透明な水様の排泄物が出たらで、段階的なガイドの写真が用意してある。私は食道事情のためか洗浄液は看護師さんが管理してくださり、その都度「飲めましたぁ」とお替りをもらいに行く。
前処理室は付き添いの方がいないせいか話し声もほとんど聞こえず、皆自分の持ち場で黙々と洗浄作業に励んでいる。何度目かの検査なのだろうか手慣れたベテラン感を醸し出す人、周りの様子を見ながらの初心者風の人などなどだが、何か共通の目標に向かう一体感のような空気が漂う気がするのは私だけだろうか。
「さぁみんな! あの透明な黄色い液を目指して頑張るのよっ‼」的な。
本当に私は恵まれているなぁ
いつもは食事開始から概ね20分で飲食物が腸に到達するがわかるようなミルク飲み人形体質の私だが、2杯目を飲んでも便通が来ず、「少し体を動かしてみましょうか」との看護師さんの言葉で廊下を往復。で、あえなく便意に見舞われ、その後は順調に進んだ。
おまけに内視鏡センターが建物の外れにあるためか、そのまた外れにあるトイレの中でポケモンゲットに成功。病院内にもあちこち隠れているのではないかと、1人便座に座ってほくそ笑む。
午後、検査着に着替え順番が来た。腹水で身重の身体を横たえて検査開始、内視鏡スコープが挿入されると仰向けになるよう指示される。
そしてあろうことか「立ち膝のまま足を組んでください」と言われる。いや検査中にそんな横柄な、人が見たら患者様気取りの態度は失礼では、と一瞬躊躇(ちゅうちょ)するが何のことはない角度をつけるためらしい。一旦盲腸まで挿入したスコープを抜きながら検査していく様子はモニターで見ることができる。
胃カメラの時はいつも目をつぶってしまい「リラックスしてあの辺りを見ましょうか」と促されてしまうが、今回は途中から何とか己が腸内環境を観察できた。
幸い「腸の中はきれいですね」の言葉をいただいて検査終了。
予約時刻を大幅に過ぎた婦人科診察室前で待っていると、ドアが開いてS先生が招き入れてくださる。
「つらい検査でごめんなさいね」と紳士的で優しい。
9月23日に手術予定で進行している旨告げられた。
すでに予約を入れた麻酔科受診、MRI、エコー検査が済む2週間後に診察予約が入る。
精神腫瘍科では8月から心理療法士・C先生のカウンセリングを受けており、その2回目の予約が入っていた。いずれ認知行動療法を取り入れた行動プログラムを進める予定である。抗うつ薬レクサプロはまだ服用しており、2度目のがん(乳がん)による過度の落ち込みや、相変わらず1日5回の食事・間食に心身共に振り回される生活などを修正できれば、という思いもあり進んでお願いした。
その日は、突如として降って湧いた婦人科がんについて聞いていただくことになる。2011年食道切除手術後、身体に出た不安症状がきっかけでずっと断続してケアを受けている精神腫瘍科だが、今、このタイミングでカウンセリングを受けることができ、本当に私は恵まれているなぁと思う。
多くの患者さんが病気や治療についての不安や落ち込み、焦りやイライラなど心の問題をひとりで抱え込んでしまっているのではないだろうか。体重に心の重さが含まれているなら、今日は少し減ったかもしれない。
その週の金曜日、麻酔科の診察はまだ前回の手術から1年もたっていないこともあり、ひと通りの説明で終了。
麻酔同意書を見ると今回の手術は子宮および卵巣卵管の摘出、大網(だいもう)切除、場合によってはリンパ節の郭清(かくせい)となっていて全身麻酔のほか硬膜外(こうまくがい)麻酔も行う。その他、特別なリスクなどの欄には「食道がん術後、腹水貯留」の文字がある。私はリスク持ちなんだやっぱり、ドキドキ。
手術時間は概ね5時間程度を予定しているとのことだった。私は時として返事が2つにならないように心して承った次第。
少しずつ育つお腹を抱え、残るMRI、2つのエコー検査を経て手術を迎えられればどんなによかったろう。
だが、〝謎の卵〟の発育速度は想像を絶するものがあった。メジャーで腹囲を測ると昨日より2㎝、また2㎝と膨れ、体重もぐんぐん4kgも増えていた。
休み明けの月曜日、病院に電話をする。
「これこれこういう状況で、婦人科の看護師さんに繋いでください」
「担当医が対応いたしますのでお待ちください」
S先生が直接電話に出てくださった。
「先生、どんどん膨れてきてしまって」
「ごめんなさい、今日はこれから手術で見られないので、明日来てください」
伸び伸びのヨガパンツもはけなくなり、マタニティドレスのようなギャザーひらひらの恥ずかしワンピースしか着られる服はなくなっていた。
これがプロ患者の底力
翌日の診察室。
「手術の前に一度腹水を抜かないとならないと思いますが、今日は抜けません」
「だって、先生こんなにパンパンです」
「押すとまだ少し凹みますよね。押せない位になったら抜きます。今週中には抜くことになると思いますが、まだ今日はできません。もう少し頑張ってください」
なるほど押すと弾力がある。もうあまり食事もとれないし、動きももっさりだが、頑張るしかないのだ。
それにこの期(ご)に及んで明日は落語会だ。腹水を抜いて少し楽になって落語を楽しもうという浅はかな目論見はもろくも打ち砕かれた。楽にはならなかったが落語会には出かけたい。家でただじっと頑張る自宅闘争という手もあるかもしれないが、せっかく確保した貴重なチケットだし、友人に一生に一度あるか無いかの臨月腹を見せたい気持ちもある。
それよりなにより私は落語好きだ。昨今は安定的な落語ブームで寄席や落語会は盛況、落語女子が様子のよい若手を追いかけたりしているらしい。
しかし私の若い頃、「趣味は落語」は英検4級より恥ずかしい、と噺(はなし)の枕に使われていた。円生、文楽、正蔵に間に合ったのが自慢の半世紀に及ばんとする落語ファンは、マタニティワンピで会に出かける根性を見せる。これがプロ患者の底力。
落語会は中入り(8時半過ぎの休憩)まで頑張って退出。演芸場ロビーで携帯を見ると病院から少し前に3度不在着信があった。
S先生からは、午後に「手術を来週に早めようと思いますが、大丈夫ですか」と連絡があったばかりだ。折り返し電話し、S先生に繋いでもらうようお願いする。
取り次いでくれたのは夜間窓口の方と思しき男性。先生はまだいらっしゃるだろうか、きっといてくださるよう祈る。電話口からS先生の優しい声。
「来週16日金曜日に手術日が決まりました。体調はどうですか?」
「はい、今出先なんですが、かなり限界に近いです」
「そうですか、苦しいですね。明日抜けるように手配しましょう。明日、僕はまた手術で診察できないんですが、別の先生にやっていただくようお願いしておきますので、来てください」
「ありがとうございます。いろいろご尽力いただいてありがとうございます」
翌朝、タクシーで病院に向かう。いかな「しわいやケチ兵衛」といえどもここはタクシーです。陣痛こそなく人相風体は怪しげではありますが、お腹だけ見たら出産間近なのは明らかです。
婦人科にチェックインしてあまり待つことなく呼ばれる。担当してくださるのは初診で診察室をお借りしたH女医先生。
「お腹に太い針を刺し、溜まった水を30~40分かけてゆっくり抜きます」