肺がんと向き合った14年8カ月

「凛として生きる」 第1回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年11月
更新:2020年2月

  

鈴木 襄さん(社会保険労務士)

すずき のぼる 昭和21年6月茨城県生まれ。早稲田大学大学院経済研究科修士課程修了。昭和48年東京都庁入庁。平成19年3月監察員を最後に都庁退職。平成24年3月人材育成センター教授(非常勤)を退職後、埼玉県川越市で社会保険労務士を開業

<病歴> 平成15年3月:肺腺がんステージⅡの宣告。右肺上葉摘出手術。術後突発性心嚢内出血で手術 平成16年3月:縦隔リンパ節に再発。放射線治療及び化学療法を受ける 平成23年12月:左肺尖部に腺がん(原発)が見つかり手術。術後化学療法を受け現在に至る


最初に右肺にがんが見つかったのは、平成15年2月のことです。当時私は、東京都監査事務局に勤務していました。この年は東京都知事選が行われる年で、東京都議会が例年より1カ月程早く始まりました。

年明けから風邪気味でしたが、議会対応の準備などで忙しく、休みを取れる状況ではありません。職域病院であるC診療所の診察を受け、指示通り薬を飲んでいました。

2月10日に5回目の診察を受けた時です。

先生から、「長引いているので念のためレントゲンを撮りましょう」と言われました。このときから全てのことが変わりました。右肺にがんが見つかり、手術を受けましたが、翌年リンパ節に再発し、抗がん薬と放射線による治療を受けました。それだけではありません。平成23年12月に今度は左の肺にがんが見つかり手術を受けました。

今は階段や坂道での息切れで少しつらい思いをしていますが、ごく普通の生活を送ることが出来ています。振り返ると「よく生きているなあ~」と感慨が湧くとともに「たった今生きて在ること」を有難いと思うことがあります。

初めて肺がんになってから14年と8カ月が経ちます。この闘病記は、病気の経過と治療の経過、そして折々に感じたことなどをありのままに記録したものです。

漠然とした不安が大きくなるのを止められない

平成15年2月12日(水)

一昨日10日(月)に薬がなくなるので、C診療所へ行ったとき、先生の指示でレントゲン検査を受けた。検査の結果、先生から「右肺の上部が無気肺になっています。CT検査を受けて下さい。今日は取り敢えずこれまでと同じ薬を出しておきます」と言われた。

無気肺というのは、何らかの原因で肺に空気が入っていない状況だということである。それほど深く考えることもなく、議会が終わってから検査を受けることとした。議会は、3月上旬に閉会する予定である。それからでも遅くないだろうと考えていた。

ところが、今日昼前、先生から電話があった。

「CT検査の予約は、しましたか?」と聞かれ、「まだです」と答えた。

「共済組合A病院でよければ、私のほうで予約を取りましょうか」と尋ねられたので、「よろしくお願いします」と答えた。

それ程時間がかからずに、A病院でのCT検査の予約が明日の朝一番で取れたという連絡が入った。

先生から直接電話を貰うことなど、想像もしていなかった。ひょっとすると深刻な状態なのかと不安がよぎる。直ぐに上司に状況を報告した。

「健康が第一。身体のほうを優先的に考えて欲しい。仕事のことは一切心配するな」という上司の言葉が有難かった。

2月13日(木)

午前9時過ぎにA病院に着いた。受付を済ませ、待合室でしばらく待つ。風邪気味であるということ以外に特別な自覚症状はない。今はっきりしているのは、右肺の上部が無気肺になっていること、ただそれだけである。とにかく冷静になろうと考える一方で、漠然とした不安が、頭の中で大きくなっていくのを止めることができないでいる。

A病院での検査は比較的時間がかからず、昼前には職場に戻ることができた。

右肺に4㎝の腫瘍。ひょっとするともう戻れないかも知れない

2月17日(月)

C診療所受診。先週受けたCT検査の結果がA病院から届いていた。先生から説明を受ける。

「右の肺は、3つのパーツに分かれ、上葉、中葉、下葉となっています。その上葉に4㎝の腫瘍があります」

「この腫瘍が良性のものか悪性のものなのかは、CTの画像だけでは解かりません。はっきりさせるためには、呼吸器の専門医の診断を受ける必要があります。何処か病院の当てはありますか」

「いいえ、ありません」

「それでは、都立K病院を紹介しますが、よろしいですか」

「はい、よろしくお願いします」

K病院呼吸器内科あての紹介状は、明日受け取ることになり、職場に戻った。

2月21日(金)

紹介状とCT検査の結果を持ってK病院の呼吸器内科を受診する。C診療所の説明とほぼ同様の話があり、入院して詳しい検査を受けることとなる。1階の入院受付で入院の申し込みをする。ベッドが空き次第連絡をするとのことである。

午後職場に戻り、上司に報告し、そのまま仕事をする。

病院から連絡があれば、直ちに入院しなければならないのに、職場に戻れば、これまでと変わらない自分がいる。日常と非日常が背中合わせに在る。奇妙な感覚に心が揺れている。

2月25日(火)

午前中、K病院から明日入院するようにと連絡が入る。上司に報告し、明日から有給休暇を取得することで了解をもらった。

夕方、32階の食堂で、議会の委員会質疑終了の打ち上げがあった。7時頃散会になり、席に戻って念のため引継ぎ書を作成する。その最後に、「机の中、キャビネットの中には私物は一切置いていません。必要があれば、どのように処分して頂いても構いません」と付記した。後任者が決まっているわけでもないので、事前に相談しておいた通り引継ぎ書を封筒にいれ総務課長の机の引き出しに入れた。

午前零時過ぎ、誰もいない室内を点検し、消灯・施錠をし、タクシー乗り場へ向かった。車に乗り込むとき、少し感傷的な気分になった。ひょっとするともうここへは戻れないかもしれないと思いながら都庁第一庁舎を見上げた。

折角の資料を床頭台の引出しに

2月26日(水)

午前10時前にK病院1階の入院受付で入院の手続きをする。少し待っていると病棟の看護師が迎えに来てくれた。エレベーターで114病棟へ。17号室、6人部屋の入口近くのベッドに案内される。病室の人に挨拶し、パジャマに着替える。ベッドに座ると、昨日までとの落差に唖然とする。入院患者としての生活が始まる。

3月5日(水)

午後一番で、気管支鏡検査のため、内視鏡室へ。気管支鏡検査については、一昨日の3日に説明を受けた。気管支から肺の中へ気管支鏡を入れ、病巣の組織を採取するとのこと。同じ病室の人から気管支鏡の検査は「つらいですよ」「大変ですよ」と半分冗談交じりに脅された。

肩に注射をされ、椅子に座った姿勢で喉の麻酔を受ける。ベッドに横になるとアイマスクのようなもので目を覆われ、気管支鏡が口から入れられる。咳(せき)が出そうになりそれを我慢するのが少し苦しかった。それ以外は事前に聞かされていたほどの苦しさはなかった。検査が終わったあと、看護師から説明を受けていた通り、咳と血痰(けったん)は結構出た。しかし、喉の痛みはそれ程でもない。

一番苦しいと言われていた気管支鏡検査が終わり、幾分か気が楽になった。

3月8日(土)

昨日、骨シンチグラフィ検査が終了。骨シンチグラフィというのは、がんが骨に転移しているかどうかを調べる検査であることを同じ病室の人から教えられる。

これで全ての検査が終わった。4㎝の腫瘍は、がんに間違いないと思うようになった。覚悟して検査結果の説明を待とうと思う。外泊許可をもらって夕方自宅に戻った。

3月9日(日)

沼津から高校時代の友人がわざわざ自宅に来てくれた。彼は医者である。右肺に4㎝の腫瘍が見つかったときに真っ先に連絡を入れた。昨日のうちに外泊許可で今日は自宅にいることを知らせておいた。大学病院のホームページの写しなど肺がんに関する資料を持ってきてくれた。間もなく検査結果の説明があるのに予備知識が全くない私としては本当に有難いと思った。

彼は、その後高校時代の同級会に出席すると言う。私は、7時までに戻ることになっているので、同級会には出席せず資料を持って病院に向かった。

病室に戻って友人からの資料を読む。「肺がんの種類」、「肺がんのステージ」、「肺がんの治療」など肺がんに関する情報が詳しく載っている。

殆ど初めて知ることばかりである。診断が出る前に知っておくべき内容なのだろうが、読んでいて身が入らない。

「肺がんは治りにくい病気です」「肺がんは見つかったときにすでに進行していて手術できないものが半数以上あります」等の悪い情報ばかりが気になり、冷静に読むことが出来ない。かえって気持ちが動揺するばかりでどうしようもない。最後は、「どうせ、なるようにしかならない」と開き直って、折角の資料を床頭台の引き出しにしまった。

「5年生存率は、38.5%です」不安に押し潰されそうになる

3月11日(火)

夕方から家内と一緒に検査結果の説明を聞いた。

診断は、「肺腺がんです。手術ができるのではないかということで外科の先生に話しています」とのことである。

病室に戻る。やはりショックである。検査の途中から間違いなくがんだろうと覚悟を決めたつもりでいたが、いざ現実に告知を受けると覚悟なるものも何処かへ飛んで行ってしまう。深刻にならざるを得ない。これからのことを家内と相談しても手術は受けたくないという気持ちが先立ち、「一体どうなるのだろう」と不安だけが先行する。

ベッドの境のカーテンがスーと開いた。隣のベッドのYさんである。

「大変失礼ですが、今のお話は全部聞こえました。まず、とにかく肺がんに前向きに取組んで欲しいと思います。もし手術が出来るのならば、それは治癒(ちゆ)が見込めるかもしれないということなので、怖がらずにむしろ進んで手術を受けて下さい」

手術の適応にならなかったと言うYさんの言葉は、心に響いた。

3月12日(水)

午前中に呼吸器外科の先生から説明があった。

「肺腺がん、ステージはⅡのBです。リンパ節への転移は1カ所です。治療は手術が基本になります。右肺上葉切除とリンパ節廓清(かくせい)を行います」

テキパキと説明は進む。

「手術の所要時間は、3時間から4時間です。右上葉管状切除となる可能性がありますが、その場合気管支形成術が必要になりますので手術時間は2時間程度余計にかかります」。さらに「5年生存率は、データー上、38.5%です」

丁寧に説明してもらったが、なにやら大変なことになったという印象だけが残り、自分が置かれている状況を正しく理解出来たとは到底思えなかった。

それでも昨日のYさんの言葉もあり、「よろしくお願いします」と家内と一緒に深々と頭を下げた。

最後に煙草のことを聞かれた。

「吸っています」と答えると、直ぐ「一度退院して2週間完全に禁煙して来て下さい」と強い口調で言われた。喫煙していると、手術後に肺炎を起こす危険性があるそうである。

週末に退院し、3月24日再入院、3月27日手術と日程も決まった。

職場に連絡をし、今後は有給休暇ではなく、病気休暇に切り替えるよう手続きを依頼した。

3月15日(土)

一時退院で自宅に戻る。午後から、近くの雑木林の中を歩く。この1カ月の間に、自分の置かれている状況が一変したことを痛切に感じる。2月10日のレントゲン検査の前までは、日々仕事に追われる自分がいた。今は不安で満ち満ちた自分がいる。身体のこと職場のことそして家族のこと。子供2人は、未だ学生である。不安に押し潰されそうになる。

「今は余計なことを考えるのは止めよう。手術を受けることに全力を上げることそれだけを考えよう」とブツブツ呟きながら林の中を歩き廻った。

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