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肺がんと向き合った14年8カ月

「凛として生きる」 第2回

編集●「がんサポート」編集部
(2017年12月)

鈴木 襄さん(社会保険労務士)

すずき のぼる 昭和21年6月茨城県生まれ。早稲田大学大学院経済研究科修士課程修了。昭和48年東京都庁入庁。平成19年3月監察員を最後に都庁退職。平成24年3月人材育成センター教授(非常勤)を退職後、埼玉県川越市で社会保険労務士を開業

<病歴> 平成15年3月:肺腺がんステージⅡの宣告。右肺上葉摘出手術。術後突発性心嚢内出血で手術 平成16年3月:縦隔リンパ節に再発。放射線治療及び化学療法を受ける 平成23年12月:左肺尖部に腺がん(原発)が見つかり手術。術後化学療法を受け現在に至る

思いもしなかった自律神経失調症と診断

10月15日(水)

復職してから2週間が経つ。4月1日付で総務局行政監察室に異動になっていたが、当面は差し迫った案件はないようである。

仕事で無理をしているわけではないのに体調が思わしくない。身体がとてもだるく、朝起きるのがつらい。当日の朝職場に電話をし、有給休暇を取ることが何回かあった。職場に迷惑を掛けていると思いつつもどうしようもない。

9カ月休んだという負い目と再発すれば再度長期に休まざるを得ないという身体への不安からか職場の中で疎外感を感じてしまうのである。職場にいるだけで強いストレスを感じてしまう。

入院中知り合ったSさんの言葉を思い出す。

「鈴木さん、病院にいると周りは皆同じような病気で入院しているのだから安心していられますが、職場に戻ると孤独になりますよ。精神的につらくなりますよ。職場は、健康な人の集まりですから」

復職後はこの言葉の重みを実感する日々である。

今日、定期観察でK病院を受診した際、復職してからの状況を先生に話すと精神科を受診するように指示があり、その場で予約を入れてくれた。

10月30日(木)

先週、K病院精神科を受診し、カウンセリングを受けた。処方された抗不安薬を服用しながら勤めには何とか行っている。とくに体調が良くなっているわけではない。これまでのだるさに加えて、ここ数日は長女のことを思い出してボロボロと涙をこぼすことが多くなった。

長女明日香は、4年ほど前の平成11年3月、旅行先のバンコクで客死した。現地の日本領事館から連絡が入り、取るものもとりあえず、家内とバンコクへ飛び、病院の霊安室で娘と対面した。翌日、荼毘(だび)に付し、お骨にして連れて帰った。娘が生まれ育った川越の連繋寺(れんけいじ)の講堂で告別式のみを執り行った。

告別式に参列して頂いた先輩から「鈴木、あと親としてできることは、泣くことだけだぞ」と言われた。

暫らくはよく涙がこぼれた。それでも三回忌を終えたころから、少し落ち着いてきた。娘の死を受け入れ始めていた。

しかし、最近はまた涙が止まらない。娘が通っていた幼稚園、小学校のそばを通るだけで、あるいはテレビドラマを見て何かの拍子に娘を思い出すと、途端に涙が出るような状態が続いている。

川越の連繋寺

精神科の受診の際、このことを話すと無理はしないように、つらければ暫らく休むようにと勧められ、診断書を書いてくれた。病名は「自律神経失調症」と書かれていた。

これまで自分は精神的にタフな人間であると思っていた。今回も肺がんが見つかってからの7カ月、何回か心が折れそうになったときも懸命に乗り越えてきた。やっと復職出来たと思った矢先に、今度は自律神経失調症で心も身体も思うように動いてくれない。情けないと思う一方でなんとかしなければという強い焦燥感に苛(さいな)まれている。

11月13日(木)

精神科を受診してから1週間頑張って出勤してきた。しかし、本当に身体がだるい。昨日診断書を提出し、思い切って今日から病気休暇を取得した。

K病院精神科を受診。病気休暇を取ったことを報告する。先生からは日常生活で心がけることを3点指摘された。朝起きたときに、日光を浴びること。ウォーキングなどの軽い運動を行うこと。そして出来る限り規則正しい生活をすることである。

1月8日(木)

年が明け、平成16年となる。今年初めてK病院精神科受診。自律神経失調症は快方に向かっていて、昨年12月には職場に復帰することが出来た。また、今日は、今後は月1回の通院でよいこととなり、1カ月分の薬を処方された。

会計を済ませた後、呼吸器内科にYさんを見舞う。昨年暮れに見舞ったときは「年末から新年にかけて家に帰ります。病院には、4日に戻るつもりです」と言っていた。

病室にいないので看護師に聞くと、「1月4日に病院に戻って来られたのですが、2日後に亡くなりました」とのこと。Yさんは、常に前向きに厳しい治療に耐えていた。彼から弱音を聞いたことは一度もなかった。ご自分の病状を正確に把握していたので、もしかすると何もかも覚悟の上で、最後となるかも知れない正月をご自宅でご家族とともに過ごされたのではないかと想像し胸が熱くなった。

昨年3月私が、肺がんを告知されたとき手術を受けるように背中を押してくれた人である。それからも本当に多くのことを教えて頂き、多くの勇気を頂いた。せめて線香だけでもあげたいと思ったが、住所も電話番号も聞いていないことに気がつき、ひどく後悔した。

2月6日(金)

K病院精神科受診。先生から「薬は、1日おきに服用するように」との指示があった。最近では朝も以前と同じように起きられるようになった。気持ちに張りが感じられ身体のだるさはほとんどなくなった。

自律神経失調症は間違いなく良くなっていることを実感できるようになった。

昨年10月15日、最初に変調を訴えたとき、すぐに精神科を受診するよう手配してくれたことを本当に有難いと思う。

娘の誕生日、まさかの再発の告知

3月23日、長女明日香の1日入園日。次女真央香も一緒に

3月17日(水)

今日は次女真央香の誕生日である。病院の帰りにケーキを買って帰ることを約束して家を出る。

午後2時半頃、診察室に呼ばれる。先週木曜日に受けたCT検査の結果の説明を受ける。

「右肺側の縦隔のリンパ節に1.5cm大の腫瘤があります。再発の可能性が高いと考えられます」

「再発の場合、手術で取れませんか」

「心臓から出ている太い血管と気管に近いこと、去年の手術後の癒着が間違いなくあることから手術は困難です」

「手術出来ない場合、5年生存率はどの位ですか。」

「10%を少し超える位です」

余りのことに体中に衝撃が走った。言葉が出ない。説明を受け止めることが出来ないでいる。

「再発かどうかを確定させ、また治療方針を決めるために必要なので、PET検査を受けて下さい。T医科大学附属病院の予約を申し込むということでいいですか」

「よろしくお願いします」

やっとのことでそれだけを言った。

その場でT医科大学附属病院に電話し、4月1日の予約を取ってくれた。PET検査申込書を受け取り、診察室を退出した。抗がん薬の治療まで受けたのに再発とはどういうことなのか。体から力が抜けていくような気がした。未だ再発と確定したわけではないと自分に言い聞かせるのだが、気持ちが落ち込んでゆくのをどうすることも出来なかった。「冷静になろう、冷静になろう」と口の中で何回も繰り返しながら帰りの電車に乗った。

池袋でケーキを買い、夕方家に着く。家内は五目寿司を作っていた。

「どうでした?」という問いに「後でゆっくり話すよ」と言って、夕食の支度を待った。

夕食のあとケーキを食べるときに、昼間先生から説明された内容を静かに話し始めたが、途中で涙がこぼれてしまった。私が帰ってきてからの態度がいつもと違い、何かあると家族も感じていたらしい。皆の頬に涙が流れている。

折角の娘の誕生日に家族皆につらい思いをさせてしまう。親として情けない。

3月18日(木)

朝から身体が動かない。職場に電話して、有給休暇を取る。1日寝床の中で過ごす。

寝床の中で父のことを考えていた。父は、昭和60年6月に末期の肝臓がんが見つかった。兄弟で話し合い、父には肝硬変と説明することにした。1年半の闘病生活のあと肝臓がんで亡くなった。

この間1度も自分の病気について私達子供に聞くことは無かった。今となっては父が病気のことをどう考えていたかを知る由もない。しかし、今の私には父が自分の病気について不安で夜も眠れないときがあったのではないかと容易に想像することができる。

私の場合は、再発の話をしたとき家族が一緒に涙を流してくれた。父の場合もきちんと肝臓がんであることを説明し、父が悲しめば一緒になって悲しむべきだったのではないかと思う。子供として1年半に及ぶ父の闘病生活の間、本当に父に寄り添うことが出来たのだろうかと反省すること頻(しき)りである。

4月1日(木)

年度が替わることもあり、今日から改めて病気休暇を取得する。

午後からPET検査を受けるためT医科大学附属病院へ行く。検査はそれほどつらいものではなかった。最初に静脈から薬を投与され、1時間程度安静にしたあと撮影が行なわれ、その後30分ほど休んで終了である。検査が終わった後簡単なコメントがあった。

「CTの画像で腫瘍があるところに、集積があり、再発にほぼ間違いないと思います。主治医にはレポートを書きますので、詳細は、主治医から聞いてください」

新宿行きのバス停のそばに桜が咲いていた。今年は例年より開花の時期が早いようである。ほぼ満開である。何も考えずに桜に見入っていた。何本バスを見送ったか覚えていない。辺りが暗くなり始めたころ、やっと腰を上げてバスに乗り帰宅の途についた。

今、目の前にある現実をしっかり受け止めよう。

4月8日(木)

K病院受診。先生の手元にPET検査の結果が届いていた。

「縦隔のリンパ節への再発で間違いないです。画像上再発は1カ所だけですので、放射線治療と化学療法の対象になります。入院が必要ですが、来週の月曜日に入院でどうですか」

「わかりました」

詳しい治療方針は、入院した日に説明を受けることとなり、12日に入院する手続きをして帰宅した。

縦隔(じゅうかく)のリンパ節への再発で手術の適用がないことから、昨年よりもさらに厳しい状況にあることは十分理解している。3月17日に説明を受けた直後は数日間本当に落ち込んだが今日は比較的冷静に話を聞くことができた。

再発した以上覚悟を決めて、しっかりと治療を受けようと思った。

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