鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

進行性大腸がんで死を意識し、怖いものがなくなりました 元経済産業省キャリア・古賀茂明 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2012年3月
更新:2018年9月

  

大震災・原発事故と未曾有の国難状況から日本再生を願って立ち上がった元経産省キャリア

経済産業省の現役幹部が、霞ヶ関の崩壊を実名で証言した衝撃本『日本中枢の崩壊』――。著者の古賀茂明さんはその後退官し、テレビなどマスコミの寵児となる一方、大阪府市統合本部入りするなど、東奔西走の日々を送っているが、5年ほど前に大腸がんの手術を受けた。鎌田實さんが、大腸がんのこと、原発事故、発送電分離問題などについて、直球で聞いた。

 

古賀茂明さん

「自分はがんの手術をしたことで、怖さの感覚が変わったのだと実感しました」
こが しげあき
1955年、長崎県生まれ。東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。大臣官房会計課法令審査委員、産業組織課長、OECDプリンシパル・アドミニストレーター、産業再生機構執行役員、経済産業政策課長、中小企業庁経営支援部長などを歴任。2008年、国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任し、急進的な改革を次々に提議。審議官解任後、経産省大臣官房付を経て、2011年9月、退官。同年12月、大阪府・大阪市特別顧問に就任。主な著書に『日本中枢の崩壊』『官僚の責任』など

 

鎌田 實さん

「古賀さんの遠慮のない発言は、1度は死ぬかも知れないと意識されたことと関係してますか」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

進行がんだと言われて死を意識しました

5年生存率は何パーセントと言われても、どう受け止めていいかわかりませんでした

「5年生存率は何パーセントと言われても、どう受け止めていいかわかりませんでした」と話す古賀さん

鎌田  古賀さんが書かれた『日本中枢の崩壊』(講談社)など、霞ヶ関の改革を訴えられた本が注目を浴び、テレビのコメンテーターとして引っ張りだこです。また、大阪府・大阪市の特別顧問に就任されたりして、昨年9月に経済産業省を退官されたあともお忙しいようですね(笑)。

古賀  無職になりましたが、かえって忙しくなりました(笑)。

鎌田  しかし、官僚時代は朝から晩まで働かれたんでしょう。日本の官僚はよく仕事をしますからね。

古賀  たしかに一生懸命仕事をします。ただ、それが本当に国民のためになっているかどうかは別物ですね(笑)。

鎌田  さて、古賀さんは2006年に大腸がんの手術をされていますが、もしかしたら命が……と思いませんでしたか。

古賀  私の場合は最初から、「肝臓に転移している可能性が高い」と言われて、普通の手術日とは違う別の日に、朝から夜中まで手術できる準備までしてもらったのですが、手術後、先生から「全て取りましたが、進行がんだからこれからしっかり治療しなくてはいけませんよ」と言われていました。自分の感覚では、半分以上、死ぬのかなと思っていました。結果的に、肝臓への転移はなかったのですが、リンパ節への転移がありました。そして、5年生存率は何パーセントだと言われました。何パーセントだと言われても、どう受け止めていいのかわからないわけですが(笑)、死を意識したことは確かです。

鎌田  そもそも大腸がんの発見に至る最初の症状は、どんなものでしたか。

古賀  下血です。便器がワイン色に染まりました。その前に、何となく胃が痛いのかなという感じはありました。それが大腸がんの症状だったのかどうかはわかりません。私は下行結腸のいちばん上の部分に立派ながんができていたわけですが、そういう場合、胃が痛むことがあるんでしょうか。

鎌田  がんが何となくわかることは多いですね。下部の通過障害のために、上腹部に症状が出ることはあります。古賀さんの胃の痛みも、そういうものだったんでしょうね。

がんが見つかってもすぐに手術しない官僚

古賀  仕事が忙しい時期がずうーっと続いていましたので、そのストレスで胃が痛いのかなと思っていたんですが、ある日突然、下血したので、あれーっと思って……。それで病院に行ったのですが、最初、「古賀さん、これは早期がんではなく、進行がんの可能性が高いですよ。どうしますか」と言われました。「どうしますか」と言われたって、困りますよね(笑)。

「手術が必要なら、早くやってください」と頼み、すぐ入院することにしましたが、念のために、「それ以外の選択肢があるんですか」と訊いたんです。すると、先生は「役人の方はがんが見つかっても、仕事が忙しいのですぐに入院することはできない、とおっしゃる方が結構多いんですよ」と言われました。命より仕事を優先する、ということなんでしょうかね。これは美談かも知れないけれども、おそらくそういう人も後で考えると、なんて自分はバカなことを考えたんだろう、と思うんじゃないでしょうか。

鎌田  霞ヶ関の中枢で仕事をしている人たちは、本当に命懸けで働いている人が多いですからね。ぼくの知っているのは数人ですけど、国民のためにいい仕事をしています。

古賀  それだけ自負心、プライドを持っていますからね。自分がやらなければ動かないと思っているんですよ。私も、自分が病気になったら大変なことになると思っていた時期があります。しかし、実際そんなことはないんです(笑)。中小企業などは別ですが、霞ヶ関のような大きな組織は、どんなに中枢にいる人が倒れても、代替は可能なんです。

鎌田  手術のときは何日間ぐらい入院したんですか。

古賀  私が自分で治すなどと言い張って、病院側の指示に従わなかったのが悪かったんですが、腸閉塞を併発したりして、10日から2週間の入院予定が、1カ月以上かかってしまいました(笑)。

鎌田  いま大腸のほうは大丈夫ですか。

古賀  もう手術から5年が経ちまして、検査は半年に1度ですね。リンパ節への転移がありましたから、完全に無罪放免とはいきませんが、表面的には問題なしです。最初、抗がん剤を服用していたときは気持ち悪かったりしましたし、薬を飲むたびに、自分はがんなんだ、いつ再発するかわからないんだと、片時もがんを忘れることはありませんでしたが、最近はほとんど忘れています(笑)。

がんで死を思って怖いことがなくなった

鎌田  『日本中枢の崩壊』などを読むと、古賀さんは怖いもの知らずと言いますか、経産省の官僚として言いづらいことをどんどん発言されていますよね。それは、進行性の大腸がんになり、1度は死ぬかも知れないと意識されたことと関係していますか。

古賀  手術をし、抗がん剤治療を行い、年中検査をしながら、「死ぬかも知れませんよ」と言われ続けていたことは確かですが、それによって自分が変わったという意識はありませんでした。ただ、死ぬかもしれないと思ったときに比べたら、ほかに何も怖いことはないという気持ちは出てきましたね。

それを実感したのは、仕事上のことではなく、2年前に左耳が突発性難聴になったときです。確かに耳鳴りがして大変でした。しかし、以前突発性難聴だった友人から、深刻そうに「それは大変ですねぇ」と言われたとき、私は、がんで死ぬことと比べたら、耳が聴こえなくなったとしても怖くない、と思っていたんです。そのとき、人間にとって大変なことというのは、その人の状況によって変わるんだなと思い、自分はがんの手術をしたことによって、怖さの感覚が変わったんだと実感しましたね。

鎌田  しかし、もともと古賀さんは、がんになる前から、普通の官僚とはちょっと違っていましたね。

古賀  その違いは自分でもよく認識していました。自分としては、普通の官僚とは違う生き方をしたほうが楽しいという気持ちがあり、それで成功したことも結構あります。最後の頃は、私自身の感覚が変わったということもありましたが、それよりも日本全体が保守化したことによって、私自身が官僚として目立っていったという感覚が強かったですね。

欧州の現状を知り発送電分離を問題提起

鎌田  パリのOECD(経済協力開発機構)に課長として出向されていたとき、今回の原発事故後に話題になっている、電力の発送電分離を主張されたということですが、あれは何年頃ですか。

古賀  1997年頃です。当時の事務次官には認められていましたが、その下の局長・部長クラスの中には、私のことを嫌う人が出始めていました。OECDへ出向したのは、そういう時期です。

鎌田  私は1991年から、チェルノブイリの子どもたちに対する医療支援に行くようになり、一般の人たちよりは日本の原発や電力業界の問題点を知る立場になりました。そして、発電と送電を一手に取り仕切る電力会社が、総括原価方式によって電力料金を決めるシステムができました。どんなにムダなことをしても、原発をつくるために地域にお金をバラまいても、経費にできる。その上に利益分を上乗せして電気代を決める甘いシステムです。テレビや新聞、雑誌に流す膨大な広告費でマスコミに原発のリスクを取り上げづらくさせました。政治家には献金と票集め、官僚には天下りポストを用意しました。うまくできているのです。

原発の安全PR費まで電力料金に上乗せしている実態はおかしいと思いながらも、それに異議を申し立てるには難しい空気がありました。古賀さんは現役のエリート官僚の立場にありながら、発送電分離を主張されたわけですが、よく言えましたね。このとき、発電と送電の分離を行い、電力の自由化を行っていればと思うと残念です。怖くなかったですか。

古賀  発送電分離の話はOECDの中でしていたことで、私が新聞記者に話したことが間接的に記事として出たんです。私の名前は出ていないし、ワンクッションあるから大丈夫だろうという気持ちもありました。しかし、経産省(当時の通産省)内では「こんなことを言う奴は古賀しかいない。すぐに日本に呼び戻してクビにしろ!」というような大騒ぎになったようです(笑)。

私は電力の専門家ではありませんが、競争のないところには絶対におかしなことが起きる、という確信がありました。当時、電力業界の人たちと話し合いをする機会もありましたが、「これはまずい。腐っている」という印象を受けたことが何回かありました。そして、OECDへ来てみると、OECDでも、ヨーロッパ各国でも、発送電分離の議論が活発に行われている。日本では水が淀んでいるかのように、まったくその議論が起きない。それで、日本はおかしいという確信を持って、電力の本来のあり方を問題提起することに踏み切ったのです。

鎌田  古賀さんが問題提起をされた1997年当時、政官財に発送電分離に聴く耳を持つ人がいて、少しでもその方向に舵を切っていたら、今回の原発事故を防ぐ1つのキーポイントになっていたかも知れない。発送電分離が行われれば、再生可能エネルギー、自然エネルギーの開発によって、日本はドイツに負けない新エネルギー大国になっていたはず、原発依存度も下がっていたと思います。

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