鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

幼き子を遺して逝く若き母親に思いを馳せ、NPOの立ち上げへ NHKアナウンサー・武内陶子/弁護士・髙井伸太郎 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2011年12月
更新:2019年7月

  

スキルス胃がんで夭折した元NHKアナウンサーが愛娘に遺したもの

かつてNHK「おはよう日本」6時台のキャスターを務めた小林真理子さんが、先頃、スキルス胃がんで亡くなった。43歳の若さだった。6歳になる一人娘・愛実ちゃんの心のケアを気遣った真理子さんは、幼い子どもをかかえながら、若くしてがんに倒れていく親たちの苦悩をサポートするNPO法人設立に、限られた余命を捧げて逝った。

 

武内陶子さん

「”残念なお知らせ”メールに動転して大泣きしました」
たけうち とうこ
91年NHK入局。松山、大阪を経て97年から東京アナウンス室。NHKニュース「おはよう日本」7時台、「わたしはあきらめない」司会、2003年には紅白歌合戦総合司会をつとめる。「スタジオパークからこんにちは」「日本の、これから」キャスターなどを担当

 

髙井伸太郎さん

「姉は、愛実ちゃんが20歳になるまでの毎年の誕生日カードも書きました」
たかい しんたろう
東京大学法学部卒。長島・大野・常松法律事務所パートナー弁護士。AIMS創立者である小林真理子の実弟。小林真理子死去後にAIMSの代表に就任

 

 

 

鎌田 實さん

「母親として、最後の力をふりしぼって書いたんだね」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

NHKを辞めて10年 今春に胃がんが発覚

2001年秋NYでの小林真理子さん

2001年秋NYでの小林真理子さん

鎌田  先日、小林真理子さんと都内の病院の緩和病棟で対談する予定でしたが、病状が急変して、遂にお目にかかることがかなわないまま、亡くなられました。真理子さんが設立に取り組まれていた、「がんで親を亡くした子供たちを支援する」ことを目的としたAIMSの顧問の1人として、何とか真理子さんに会っておきたかった……。

武内  私も本当に残念でした。鎌田先生とお会いするために、真理子さんも主治医の先生と相談して、薬を調整しながら、4時間前までがんばって、楽しみにしていたのですが……。

鎌田  陶子さんはNHK時代の髙井(旧姓)真理子さんと親しかったんですね。

武内  はい。「おはよう日本」を一緒にやった仲間です。三宅民夫さんと私が7時から担当していたときに、真理子さんが5時台6時台を担当していました。

「AIMSの顧問の1人として何とか真理子さんに会っておきたかった」と話す鎌田さん

「AIMSの顧問の1人として何とか真理子さんに会っておきたかった」と話す鎌田さん

鎌田  真理子さんはNHKを早く辞めちゃったんですか。

髙井  結婚して1年後の2001年に、義兄がアメリカに転勤になり、それを機に辞めました。NHKには10年ほどいたことになります。

鎌田  辞めて10年で、がんで亡くなったわけだ。NHKを辞めてからは専業主婦?

髙井  アメリカに5年滞在しましたが、その間はビザの関係で完全に専業主婦でした。日本に帰ってくる1年前に娘の愛実ちゃんが生まれました。帰国してほどなく、母ががんであることがわかり、姉夫婦が同居して介護に当たってくれました。母は抗がん剤も放射線治療もせず、食事療法をメインにしていました。2年間の療養生活でしたが、姉が献身的に介護してくれました。3年前に母が亡くなったあと、父の体調が優れない時期があり、父の体調管理も姉がやってくれていましたが、こんどは自分ががんになってしまって……。

鎌田  胃がんが見つかったのは?

髙井  今年4月です。

鎌田  それまでまったく症状はなかった?

髙井  そうですね。今年の冬にはスキーにも行ってましたし……。ただ、食べる量が若干減ったということはありました。また、定期的にやってもらっていたマッサージの人から、「お腹にちょっと水がたまっているんじゃない?」と言われたことや、「ダイエットしても痩せないわ」と言っていたことはあったようです。3月末に姉から「ご飯を食べにいらっしゃいよ」と言われ、実家で夕飯を食べたとき、「もしかしたら病気かもしれない。いま検査してるの」と打ち明けられました。「卵巣が腫れているの。その腫瘍が悪性の可能性は10パーセントぐらいらしいけど」と言っていました。

「残念なお知らせ」メールに動転して大泣きしました

鎌田  最初は卵巣でひっかかったんだ。

髙井  婦人科系の病気かなと思って、婦人科のクリニックへ行ったようです。そこで「卵巣が腫れているから、手術しなければならない」と言われて、大きな病院を紹介されました。そこでいろいろな検査に回されているうちに、消化器科で「これは悪性腫瘍の可能性があります。すぐ入院してください」と言われたわけです。その後、セカンドオピニオンを求めてがんセンターとかがん研有明病院で検査を受けた結果、「スキルス胃がん、ステージ4」と診断され、「卵巣、腹膜に転移しており、手術はできません」と言われました。

鎌田  卵巣の腫瘍と胃がんがつながる確率は、少しあるんですよ。

髙井  胃がんから転移する卵巣腫瘍の典型だったようです。

鎌田  その告知は本人がひとりで聞いたんですか。

髙井  いや、義兄と私が同席しました。姉もお医者さんに、「正直に言ってください」と言ってましたから、「このまま抗がん剤をやらなければ、余命3~4カ月です」と言われました。

鎌田  告知されたあと、武内さんにはすぐに連絡があったんですか。

武内  メールが来ました。「残念なお知らせ」というタイトルで、「いのちが限られていることがわかりました」と書いてありました。私はちょうど、娘が熱を出して救急病院へ連れて行っているところでしたが、信じられなくて、ロビーで大泣きしてしまいました。いのちが限られているとは、どういうことなの、大切な親友が私の前からいなくなってしまうのを、どうとらえたらいいの、と気持ちが動転しました。それで、主人に電話したら、「いやいや、まだやることはいっぱいある。悲しんでいてもしようがない。どうするか考えよう」と言われ、私もはっと我に返りました。

鎌田  武内さんのご主人、上田紀行さんは東京工業大学の准教授で、文化人類学者ですね。「癒やし」という概念を広めた人ですよね。

武内  上田の母が膵がんで7月に亡くなったのですが、1年3カ月自宅介護していた間、夫は徹底的にがんを研究していたんです。真理子さんの状況を聞き、夫は「まだやることがある!」と言って、いろんな治療法をアドバイスしたんです。

娘との時間を大切に自宅での療養に励む

髙井  上田先生にはそのとき初めてお目にかかりましたが、実体験に基づいて、いろんな療法を率先して紹介してくださるので、とても心強かったですね。

武内  がん治療は情報戦という側面がありますよね。いろんな治療法があっても、どれが自分に合った治療なのか、患者さんにはわからないんですね。たくさんの治療法を試すなかで、たまたま自分に合った治療法にヒットして、いのちを永らえるケースが多いということを、主人は統計的に把握して、さまざまな治療法を調べ上げたんです。

髙井  姉の場合は、標準治療としては、抗がん剤(TS-1)治療でした。そのほか免疫療法、温熱療法、気功、漢方など、いろんな治療法を試しました。その中で続いたのは免疫療法でした。

鎌田  その間、病状はさらに進みましたか。

髙井  7月半ばまでは、少しだけですが、出歩けました。7月半ば頃に、姉と愛実ちゃんと私の3人で、伊豆に1泊旅行に行きました。行き帰りの電車の乗り降りは車椅子で、向こうではホテルで座っているだけでしたが、旅行に行く気力はまだありました。それが最後の遠出でしたね。

鎌田  愛実ちゃんと一緒に過ごす時間は少なかった。

髙井  病院に入ってしまうと、愛実ちゃんと一緒に過ごす時間がとれなくなるので、なるべく自宅にいようとしていましたね。自宅で愛実ちゃんのバイオリンの練習を聴いたり、宿題や日記をみたりしていました。最後に入院したのが8月半ばで、それからは自宅に戻ってこられませんでした。

武内  真理子さんを見ていて、限られた命を迷いなく生きることの難しさを痛感しました。私の義母の場合は、81歳でしたから、もう覚悟はできていましたが、真理子さんは43歳で、愛実ちゃんがまだ小さくて、パパは会社が忙しいし、気がかりなことがいっぱいありました。第一、自分が死ぬということを、愛実ちゃんに話していいんだろうか、話すとすればどう話したらいいんだろうか、本当に悩んだと思います。それで私は、ワラにもすがる思いで、鎌田先生に相談したわけです。

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