鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

「人間は暗いところから生まれ、死ねばまたそこに帰って行く」という空海の哲学を知り、死の恐怖が消えた 小説家/脚本家・早坂 暁 × 鎌田 實

撮影●向井 渉
構成●江口 敏
発行:2009年9月
更新:2018年9月

  

「がん」で絶望の淵にあったとき、音楽に触れて魂の本音がほとばしり出た

テレビドラマ『夢千代日記』『天下御免』『花へんろ』や、映画『きけ、わだつみの声』などの作品で知られる脚本家の早坂暁さんは、今年8月、80歳になった。3年前に泌尿器系のがんと診断され手術。現在、リンパ浮腫の副作用に悩まされている。早坂さんは50歳になった頃、心筋梗塞に加えて胆嚢がんと診断され、死の恐怖にさいなまれ絶望の淵に立たされた経験が、がんと向かい合う今、こころの拠り所になっているという。日本を代表する脚本家・早坂暁さんの死生観を今回と次回の2回に分けてお送りする。

 

早坂 暁さん


はやさか あきら
1929年、愛媛県松山市(旧北条市)生まれ。旧制松山中学を経て、海軍兵学校に在学中に終戦。旧制松山高校を卒業後、日本大学芸術学部演劇学科卒業。業界新聞編集長を経て、脚本家に。主な映画に『夢千代日記』『きけ、わだつみの声』、テレビドラマに『天下御免』『夢千代日記』『花へんろ』『山頭火・何でこんなに淋しい風ふく』、著書に『公園通りの猫たち』『「戦艦大和」日記』(5巻)『花へんろ』(3巻)『ダウンタウン・ヒーローズ』など。新田次郎文学賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章など多数の授賞癧がある

 

鎌田 實さん


かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)

旧制高校最後の世代 医者になるつもりが……

鎌田 早坂さんが原作を書かれ、山田洋次さんが脚本・監督を担当された映画「ダウンタウン・ヒーローズ」、先日DVDを借りて観ました。とても面白かった。

早坂 そうですか。15年ほど前の映画です。ただ、僕としては少し不満でした。あの原作は僕の旧制松山高校時代の出来事を書いたものですが、原作に書き込んであった女性との話が、だいぶカットされていたのです。山田監督は真面目ですから、女を描くのは苦手なのかもしれませんね。
僕は愛媛県の旧制松山高校、山田監督は山口県の旧制宇部中学から旧制山口高校、瀬戸内海をはさんでお隣同士ですが、山田監督が僕の原作を読んで、「早坂さん、本当にこんなに遊んでいたのですか?」と訊くわけですよ(笑)。そこで僕が、「山田さんは遊ばなかったの?」と尋ねると、「僕は引き揚げ者で、ひたすら勉強してました」と言う。「つまらない青春だね」と、大笑いになりました(笑)。

鎌田 映画では、やくざに追われた女郎さんをかくまう場面がありましたが、あれは実話ですか。

早坂 実話です。ただ、映画では彼女が生まれた村に連れて帰りますが、実際はそうではありません。彼女が女郎屋に売られたことは、村の人もみんな知っています。彼女はそこへ帰るわけにはいかないのです。体を売らなくてもいい水商売を紹介しました。

鎌田 高校生が女郎さんを助ける。いい時代でしたね(笑)。

早坂 戦争に負けてすぐの大混乱の時代でした。戦前の古いものが残っているところに、新しい時代が来たという高揚感がありましたね。僕たちは旧制高校の最後の世代で、先生から「破廉恥なことさえしなければ、卒業だけはさせてやる」と言われていました。後がないというか、まあ楽しかったですね。
僕は理科の学生で、医者になるつもりでした。当時、松山高校から医者を目指す場合、王道は京大医学部か九大医学部ですが、それが難しい場合は、医専があった岡山大、徳島大を目指しました。僕も、大いに遊びましたが、勉強もしたんですよ。医者にはなれませんでしたがね(笑)。

鎌田 映画の中で高校生が芝居をやる場面があります。あの主役は早坂さんですよね。

早坂 ドイツ語の教科書を演題にしたものです。主役といえばかっこいいですが、若い娘に狂って最後は死んでしまう爺の役ですよ(笑)。

鎌田 芝居に興味を持っておられたんですね。

早坂 家が芝居小屋を持っていましたからね。他に田舎のデパート、料亭もやっていました。今は松山市に入っていますが、松山市の郊外の北条町という田舎町の財閥でした。北条町はもともと瀬戸内を望む漁港の町ですから、海は美しいし、魚も素晴らしい。

「夢千代日記」の原点は原爆直後の広島での体験

写真:最後の海軍学校生徒として入学当時の早坂さん
最後の海軍学校生徒として
入学当時の早坂さん

鎌田 早坂さんが脚本を担当された「夢千代日記」にしても、「きけ、わだつみの声」にしても、原爆の問題、広島の話が出てきますね。それは、早坂さんが松山から広島を見ていたということですか。

早坂 いや、僕は松山中学から最後の海軍兵学校に入っているのです。瀬戸内をはさんで松山の向こうが呉の軍港ですから、海軍はかっこいいと思い、海兵のネイビーブルーに憧れていましたから。当時は海兵に入るのは東大に入るより難しいと言われていましたが、僕らの年は、1年前倒しで4000人も新入生を採りました。だから、私でも入ることができたのです。しかし、僕が海兵に入った頃は、海軍も全滅状態で、海兵に入って6カ月足らずで戦争が終わったのです。もし戦争が続いていたら、僕も戦地へ引っ張られていたかもしれません。

鎌田 なるほど。だから原爆、広島のことを常に考えながら、脚本の仕事をされてきたわけですね。

早坂 僕は海兵から引き揚げるとき、広島に1泊しています。あのむごい光景に激しいショックを受けました。戦争は2度としてはいけないと思うと同時に、日本は負けたんだと痛感したのです。そして、こんな戦争をしたら人類は絶滅するぞ、と恐怖を覚えました。ちょうど雨が降っていました。その雨の中にポッ、ポッ、ポッと燐が燃えているのです。これはどんな景色なんだろうか、あの世はこんなだろうかと思いました。まだ15歳ですから、膝がガクガク震えました。

オバマ大統領夫妻に贈った原爆の惨状を描いた絵日記

写真:早坂さんと鎌田

鎌田 燐光が燃える場面は、早坂さんの作品にありましたね。

早坂 テレビで何回かやりました。しかし、映像で再現するのは不可能ですね。見渡すかぎりの廃墟の中で、燐が暗く小さく燃えている。見渡すかぎりの燐光……。そこに無数の死んだ人たちがいる。あまりにも無惨な死に方ですから、とても再現できないのです。太田川が死体で埋め尽くされている。それを引き揚げ、油をかけて焼くのです。その臭いが普通じゃない。それをまた、兵隊が土を掘り起こして埋めていく。その作業を行った兵隊たちも、放射能を浴びて死んでいきました。原爆で浴びた放射能は、遺伝子を通じて3代100年残りますよ。比治山の放射能影響研究所がいまもその調査を続けています。

鎌田 その調査はアメリカではなかなか発表できなかったそうですね。

早坂 発表しようとするたびに潰されてきたようです。オバマさんになってその道が開かれたと聞きます。私も広島の原爆に関するドキュメンタリーを作り、アメリカ国民に見せようとしたのですが、実現しませんでした。昨年、『少年少女のあの日あの時』という、原爆に遭遇した少年少女たちの絵日記を何冊か作り、オバマ大統領夫妻に送りました。どんな反応が出てくるか、楽しみです。

鎌田 オバマ大統領が広島に来て、原爆ドームなどを見ていただけたらいいと思います。

早坂 原爆が落ちたら人間がどうなるのか、それを見ていただかないことには話になりません。私はこの絵日記を北朝鮮にも送りたいと思っています。原爆をつくって撃ったら、必ず報復を受け、子どもたちがこうした悲惨な状態になる、ということを教えてあげたい。原爆の本当の怖さを彼らは知らないのです。

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