鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

文句を言わない人間として死にたい。だから「納得」いくまで探る ノンフィクション作家・柳原和子 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●半沢裕子
発行:2006年8月
更新:2019年7月

  

9年前、卵管がんになったノンフィクション作家の柳原和子さん。一時は治ったかに思えたがんが2003年秋に再発。以来、何度も危機に遭遇しながら、その都度それを乗り越えてきた。そのエネルギーは、その秘密は、いったいどこにあるのだろうか。鎌田實さんに迫っていただいた。

 

柳原和子さん


やなぎはら かずこ
1950年生まれ。東京女子大学社会学科卒。世界各国を精力的に取材してきたノンフィクション作家。97年に卵管がんを患い、その闘病の渦中に、がんの長期生存者たちを取材し発表した『がん患者学』(晶文社)が波紋を投げかけた。2003年11月、肝臓に転移が発覚。その再発、さらに再々発の治療をめぐって様々な医師たちと議論を重ねながら格闘していく様子を綴った『百万回の永訣-がん再発日記』(中央公論新社)も話題に。著書に『「在外」日本人』(晶文社)、『がん生還者たち』(中央公論新社)、『私のがん養生ごはん』(主婦と生活社)など

 

鎌田 實さん


かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近発売された『病院なんか嫌いだー良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)『雪とパイナップル』(集英社)も話題に

再々々発。治療はもうやめようと思った

『百万回の永訣-がん再発日記』

『百万回の永訣-がん再発日記』
柳原和子著
中央公論新社 1,900円(税別)

本当のがん闘病は再発から始まるというが、本書は、まさにその再発に正面から立ち向かい、格闘した姿を、内面を見つめながら綴った魂の書。現在のがん医療の在り方を根源的に問い質している

鎌田 柳原さんは2005年末、がん医療に関する第3の著書、『百万回の永訣―がん再発日記』(中央公論新社刊)を出されました。そして柳原さんとお会いするのは3回目で、実は1月に対談をお願いしていたのだけど、治療計画と重なってしまいましたね。とても心配していました。

柳原 治療というか、ちょうど再々々発がわかってしまって。『百万回の永訣』が出た3日後に肝臓にがんが見つかり、暮れにラジオ波(焼灼療法)で焼きましたが、少し残ったため、1月にもう2回受けました。その間、全然予想もできなかった場所に、さらにひとつ見つかり、ラジオ波で焼いたのですが、これがCTガイド下で焼く過酷な治療となりました(笑)。約10回ほど刺したかな? 今も跡が残って消えない。1カ月後に治療結果の確認のためPET-CTを撮ったら、今度は脾臓に1個と、傍大動脈リンパ節に多発しているのが見つかりました。2月27日です。がんに侵略され始めたって実感しましたね。

鎌田 主治医は近畿大学消化器内科の工藤正俊先生でしたね。

柳原 そう。先生もつらかったと思う。「もう治療はいい」と先生に告げました。先生は翌日の夜に電話をくれて、「それは最も愚かな選択だと思う」とおっしゃるんです。結局、脾臓のがんはラジオ波で焼き切り、リンパ節の多発転移巣は放射線治療を選択し、今は再びキャンサー・フリー(がんが確認できない状態)です。

鎌田 本当に大変でしたね。でも、その話に行く前に、読者の皆さんに今までの経過を簡単に話していただけますか。1996年に卵巣にしこりが確認されていた。1年半後には胸水も腹水もいっぱいという状態で、がんが発見されたのでしたね。

柳原 そんな状態でも、胸水と腹水にがん細胞は見つからず、ステージとしては2cでした。ただ、腹膜播種があり、それが手術後に残ってこわかったのですが、術後の抗がん剤で消えた、という経緯でした。まあ、その後の経過を診ると、他臓器にもあったと考えていいでしょうが……。

鎌田 2なら、今の常識では可能性十分ですよね。ただ、卵巣がんがあって腹水・胸水がたまって、と考えると、きびしい感じがあったのでは?

柳原 心構えは4期でした。症状が重かったから……。衰弱と痛みと咳き込み、胸水を抜くための穿刺で一時的な呼吸不全になるなど、治療も激烈でしたから、そもそも過酷でした。しかも、手術で取りきれなかった。母親と同じ年齢で同じがんになったこともふくめ、9年間、一貫していつも最悪の事態を想定していました。

鎌田 柳原さんの場合、おかあさんの闘病と死以来、一貫して医療不信でしたものね。

柳原 母に関して、医療格差を痛感していたし、以後、仕事でも薬害エイズや医療過誤訴訟の人たち、筋ジストロフィーの子どもたちとも長い付き合いを続けてきたので、不信というより医療への批判的な見方が強かったですね。
と同時に、激烈な症状から始まったので、すべてのキーワードは「怖い」でした。医療も死も怖ろしい。この先どう生きていくかも恐怖。
お金もない。倒れて病院に緊急入院した日には、貯金通帳に200円しかなかった(笑)。その直前に出版した『「在外」日本人』はまあまあ売れていましたが、取材費の残ったお金も、薬害エイズの取材に全部使い込んでいたんです。見舞いに来た姉がめぼしい借金を返してくれて、さらに、友だちがカンパを集めてくれて、それで治療がやっと始まりました。
だから、最初に医師に聞いたのも、「治療費、いくらかかりますか」でした。いちばん怖かったのは、働けないままへたに生きてしまうことだった。何しろ、ただでさえ本が出せるのは何年に1冊、収入的には生きるのがやっと、という仕事のしかたでしたから。才能ないんですね(笑)。

鎌田 その上に大病だもんなあ。お金はたくさんかかった?

柳原 でも、私の他の本の取材費に比べたらそんなものかって感じでしたね。家族と友だちが3年分くらい支えてくれたので、結果を本に残そうと決めました。友だちへのたったひとつのお礼になるかなって。それが『がん患者学』でした。

4回続けて数値が動き、正常値でも再発を確信

写真:柳原さんと鎌田さん

鎌田 そして、手術を受け、抗がん剤のCAP療法をやって、6年半が過ぎたんだよね。

柳原 腫瘍マーカーが上がり始めたのは、発病から5年後、治療終了の日から4年後でした。

鎌田 微量に上がっていたのね。

柳原 その時点で日米5人の医師に相談しましたが、全員「無病生存率で3年を超えているのに、マーカーが上がっただけで再発とは考えにくい」とのことでした。

鎌田 ワンポイント的に上がった腫瘍マーカーはあてにならないから、一喜一憂しないほうがいいと思うけど、3回続けて上がり、4回目も上がったら、微増でもそれは危ないと思いますよ。

柳原 でしょう? 医師の見解より私の直観のほうが正しかったわけ。まあ、以後しばしばそうしたことがありましたけれど……。人間の直観ってものすごいです。あらゆるがんの専門家が「違う」と言っていました。

鎌田 ぼくが代弁してもしょうがないけど、医師の心の中には「再発したら同じだ」という気持ちはあったかもしれないね。4年くらい前までは、再発したら手がなかったから、そのことを気にして、免疫力が下がったりするほうがマイナスだと。

柳原 だけど、私の場合、結果から振り返ってみると、すごく抗がん剤の効くタイプだったでしょう。治療のやり方によっては、根治もありえた。まあ、そんなことを言う医師はいなかったです。 ともかく、正常値の範囲内なら、数字が動いても気にすることはない、という考え方は危険ですね。私の再発のときも、4が8になり9になり、13になり18になり、21まで行きました。これ絶対ですよ先生、って言ったけど、「35以下だよ。よくあるんだそういうの」というんです。
患者としての体験を積み重ねていくと、医学的な標準値ではない自分の正常値がわかってくる。標準値を患者に当てはめていくと、間違う場合があると思うんです。

鎌田 がんの種類によっても違うしね。

CAP療法=エンドキサン(シクロホスファミド)+アドリアシン(ドキソルビシン)+ブリプラチン(シスプラチン)の3剤併用療法

再発しても希望がある局所・全体治療の組み合わせ

鎌田 それに、やっぱりここ2~3年だよね。再発しても、がんの種類によっては完治がありえる、と考えられるようになったのは。

柳原 その基本は、繊細で緻密な、しかも個別性豊かな局所治療と全体治療の組み合わせだと思います。

鎌田 9割くらいの医師は、まだそれに気がついていない。

柳原 大きな大学病院の立派な先生たちも、多くがそう思いこんでいる。でも、そこでさじを投げられている患者がいかに多いか。私が残してきたのは、そうしたことの記録だと思うんです。

鎌田 結局、再発はどういう形で見つかったんだっけ。

柳原 肝臓に15個、骨盤に8×4と3×3センチ。骨盤内の結腸に近い位置の1つが門脈を通じて肝臓に転移した、という解釈でした。
初発のときには標準化されていないし、日本では使われていなかった抗がん剤をやったら一瞬がんが消えた。そうしたら再び骨盤に出たので、手術で取り、直後に肝臓に出たので、それはラジオ波で5個焼き、動注(化学療法)をやった。動注は2回で撤退。8カ月後くらいに肝臓にまた1個出て、追いかけて新しい位置に1個、1カ月後、脾臓と傍大動脈リンパ腺に多発転移が出た。というのが、おおよその経緯ですね。

鎌田 今回の転移が見つかる直前までのことが、『百万回の永訣』に書かれているね。

柳原 そう。肝臓の5個をやり終えて、消えたところまで。

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