がん治療も自分で選ぶ時代に~菅原文太の膀胱がん治療体験に学ぶ~ 菅原文太(映画俳優) × 中川恵一(東京大学医学部放射線教室准教授)

撮影●板橋雄一
構成●髙橋良典
発行:2012年12月
更新:2019年7月

  

日本を代表する映画俳優の菅原文太さんが膀胱がんを発症し膀胱全摘を覚悟した。しかし、人工膀胱の袋を見た文太さんは……。幸運な出会いの末、膀胱温存療法に辿り着く。そんな文太さんの貴重な体験を踏まえ日本のがん医療が抱えている問題点について東大准教授の中川恵一さんと縦横に語り合ってもらった。

 

菅原文太さん


すがわら ぶんた
1933年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学第2法学部中退。1958年新東宝からデビュー。1961年松竹へ移籍。1967年東映に移籍。1969年『現代やくざ 与太者の掟』で初主演。1973年から始まった映画史に残る深作欣二監督の『仁義なき戦い』シリーズで日本を代表するスターとなる。1974年スタートの『新・仁義なき戦い』シリーズや1975年『トラック野郎』シリーズもヒットした。2009年より山梨県で「竜土自然農園 おひさまの里」を始める。現在、ニッポン放送『菅原文太 日本人の底力』のパーソナリティを務める

 

中川恵一さん


なかがわ けいいち
1960年東京生まれ。1985年東京大学医学部卒。同年東京大学医学部放射線医学教室入局。1993年東京大学医学部放射線医学教室助手、1996年専任講師、2002年准教授。2003年東京大学医学部付属病院緩和ケア診療部長(兼任)。著書に『がんのひみつ』、『死を忘れた日本人』(朝日出版社)、『がんの練習帳』(新潮新書)など多数。厚生労働省「がん対策推進協議会委員」、「緩和ケア推進検討会構成員」同「がん検診企業アクション」アドバイザリーボード議長、日本放射線腫瘍学会理事

放射線と抗がん剤だけで治せるとは知らなかった

中川 文太さんが膀胱がんに罹って筑波大学付属病院泌尿器科の赤座英之先生(現東京大学先端科学研究センター特任教授)のもとで膀胱を温存する治療を始められたのが2007年4月ですよね。約3カ月入院されて無事、退院された。それから5年以上経ったわけですね。がんというのは5年間再発しなければほぼ治ったと考えていいですね。ただ文太さんみたいに袋を着けないで膀胱がんを治された方は本当に少ないですよ。

菅原 少ないですか、やっぱり。

中川 少ないです。というかほとんどいないといっていいですよ。

菅原 こんな良い治療がどうしてなのかね。外国でもそう?

中川 そうですね。手術が圧倒的に多いです。泌尿器科の先生って外科の先生ですよね。外科の先生の仕事は手術することです。だから、赤座先生は例外中の例外の先生です。

文太さんのようなステージ2の膀胱がんの場合、赤座先生の見立てによると大体、半分ぐらいは温存できると言われていましたね。ただ現実にはほとんどの方が膀胱全摘になっているんですね。

普段、車を買う場合でも皆さん少しは勉強して購入するじゃないですか。でも、がんの治療についてはまったく知識がないまま多くの方は本番に突入しています。放射線治療があるなんて文太さん知らなかったんじゃないですか?

菅原 放射線の治療があることは知っていた。ただ、自分のがんを臓器を摘出せずに放射線と抗がん剤だけで治せるなんて知らなかった。がん研有明病院ではそんな説明はまったく無かった。まして赤座先生のような先生がいるなんて夢にも思わなかった。

中川 赤座先生の所に患者さんがたどり着ければ、文太さんのような方の半分近くが袋を着けずに済んでいるという現実があります。そのことがあまり知られていないんですよね。

だから今日、文太さんとお話させていただく主旨は臓器の温存、あるいは治療法の選択の可能性を患者さんに知っていただきたいという点にあるんです。

膀胱温存療法との幸運な出会い

中川 文太さんがそもそも私のところにセカンド・オピニオンを求めに来られたのは2007年3月。鎌田實先生のご紹介でしたよね。最初に東大でお目にかかったときは文太さん暗かったですよね。いまと全然違いますよ。

菅原 それはそうだよ。いのちにかかわることだから誰だって暗くなる。晴天の霹靂で驚いたの何のって、当初は相当参ったね。

中川 そのときはがん研有明病院で手術をすることを決めてらっしゃったんですよね。でも、そうすると人工膀胱になる。それが嫌だとおっしゃっていましたよね。

菅原 誰だって躊躇すると思うよ。だって、人工膀胱って見てみたらコンビニの袋と変わらないじゃない。もう少し精密なものだと思っていたから。ただ袋に糊を付けてぶら下げるだけのものなんて医療にも遅れているジャンルがあるんだな、とガックリきました。そんな袋を付けて生き延びたとしても「そんな暮らしは楽しくないな」と思ったね。でも、それ以外に方法がないんだったら「仕方ないか」と半分は往生して手術の日程も決め、輸血のための自分の血を取っておいた。

しかし、どうにも釈然としないので私の番組で2回ほどご一緒した鎌田實先生に相談したんですよ。親切な先生でね、2~3日経って返事があった。10人ぐらいの先生に打診してみてくれたらしい。そしたら「9人までの先生は切るしかないと言っているが、1人の先生だけがどうなるか分からないけど来てみてください」という医者がいる、という話だった。そのたった1人の先生が中川先生だ。

中川 そうでしたね。文太さんの場合、標準治療であれば膀胱全摘です。でも「袋をぶら下げて生きていたくない」というお話を伺ってそれなら陽子線治療がいいのではないかと当時、筑波大学泌尿器科にいらした赤座先生をご紹介させてもらいました。

東大にはそもそも陽子線の装置がありませんし、筑波大の赤座先生は陽子線治療で温存療法の実績を挙げていらっしゃいましたからね。

ニッポン放送「日本人の底力」日曜日AM5:30~
2000年3月、国内で初めての大学付属の陽子線治療施設として筑波大学付属病院陽子線医学利用研究センターに日立製作所の装置が導入された。 実際の治療開始は2001年から

最後の仕上げは陽子線治療で

菅原 それで筑波大学病院の放射線科を訪ねたら僕と同じ姓の菅原先生が「日本一の先生が待っています」といって連れていかれたのが赤座先生だった。東大ほどの大学に陽子線治療装置がないのもビックリしたね。しかし筑波で良かった。田園都市で治療中も風景で心が和んだね。

中川 文太さんは筑波大に約3カ月間入院して温存療法の治療を受けられました。抗がん剤を足の動脈から患部に直接注入する動注化学療法を3クール、それと併せて放射線を23回照射、それが終わって最後の仕上げに陽子線を照射する治療です。

金属を患部の所に置いてそこを目がけてピンポイントで照射するんです。それを11回照射します。これが赤座方式です。X線は光なのでがん細胞を照射しても突き抜けて他の部分にも当たるので副作用が出ることが多い。ところが陽子線は質量があるのでがん細胞のところで止まるので副作用が出にくいんです。

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