鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

悪ガキは、排除するのではなく、眼差しを向けてあげると変わる 作家/僧侶・玄侑宗久 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●半沢裕子
発行:2006年2月
更新:2018年9月

  

がんという病気は、医療だけで治すのはなかなか難しい面がある。そこで、今回は現役の禅宗の僧侶であり、芥川賞作家である玄侑宗久さんをお招きして、鎌田さんと語り合っていただいた。玄侑さんは、禅宗の修行を積まれ、その方面の知識が豊富なばかりでなく、大脳生理学や量子物理学などにも精通し、人間の生き方の根本について、深い洞察力と胆識を持っておられる。わかりやすく、示唆に富んだ彼の語りをどうぞ。

 

玄侑宗久さん


げんゆう そうきゅう
1956年、福島県三春町生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒。さまざまな仕事を経験した後、京都、天龍寺専門道場に入門 。現在は臨済宗妙心寺派、福聚寺副住職。『中陰の花』で芥川賞受賞。著書に、『水の舳先』『アミターバ=無量光明』『実践!「元気禅」のすすめ』CDブック『無量光明の世界』などがある
公式ホームページ
http://www.genyu-sokyu.com/

 

鎌田 實さん


かまた みのる
東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、管理者に。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(ともに集英社刊)がベストセラー。最近発売された『病院なんか嫌いだー良医にめぐりあうための10箇条』(集英社新書)『生き方のコツ 死に方の選択』(集英社文庫)『雪とパイナップル』(集英社)も話題に

染みついたガンバリズムが、日本人を不幸にしている

鎌田 推測ですが、毎年60万の方ががんと診断を受けて治療を開始し、300万くらいの方が再発を心配しながら暮らすようになり、毎年30万人の方ががんで亡くなっている。今や日本人の2分の1が、一生のうち何らかの形でがんに出合うといわれています。
今日は玄侑宗久さんにお会いして、がんに関わらざるを得なくなった方たちが元気の出るお話が聞きたいと思って来ました。と同時に、人間はいつか死が来たとき、どうすれば自分の中でうまく折り合いがつけられるのか。それについてもうかがいたいと、楽しみにしています。

玄侑 実は、2001年に芥川賞をいただいたとき、私、ある雑誌に「がんばらない」というタイトルでエッセイを書いているんですよ。受賞したらみんながんばるわけですが、私はがんばらないというスタンスで行きたいということを書きました。その後、先生の『がんばらない』というご本を知りまして、同じ発想をされる方がいらっしゃるととても嬉しかったし、だんだんこういう方向に行くんだろうなと思いました。
「がんばる」は、日本人の中に有形無形に忍び込んでいる考え方です。「がまん」も同じです。仏教で「我慢」は、無常である「我」を固定的な実体と錯覚することから起こる、ある種の高慢さを意味するので、がまんはいけないことですが、日本の儒教的道徳の文脈の中では、「頑張って我慢する」ことがあまりにも強調されています。
私は小説も書きますが、禅宗の僧侶です。禅はどちらかというと道教に乗っかっています。儒教と道教は実にバランスが取れていて、片方は頑張り、片方はがんばらない。そもそも、道教のもとになっているのは、長寿の技ですからね。諸子百家としていろいろな君主に売り込むための、技術の1つなんです。たとえば穀物を食べないとか、呼吸法とかね。それも含めて道教に乗っかったのが禅。ですから、道教的な考え方をするんですよ。
禅も日本の中では、やがて儒教的に変質していきます。儒教は権力に奉仕する公務員の養成マニュアルを作り上げましたから、権力はどうしても儒教を尊重するんですね。道教的な禅も日本で生き残っていくためには、儒教に染まらざるを得ず、禅宗の坊さんの中にも、ガンバリズムがすごく強い方もいます。でも、私は禅の話をするとき、道教寄りに話したいという気持ちがあって、がんばらないというのもその延長上にあるんです。
というのは、日本国民の中にガンバリズムがアメーバのようにしみこんで、それが不幸をわざわざ作っている、という気がしてならないんですよ。

お医者さんは病気の専門家。さらに、元気の専門家であってほしい

鎌田 玄侑さんはご本でも繰り返し、「がんばる必要はない」と書かれていますね。よくわかりました。また、『がんサポート』の読者の方たちにヒントになるなと思ったのは、自分の病気に耳を傾けて、病気の意味を聞こうと書かれていること。それから、たとえば言葉で頭の中を操作してやれば、血液の循環をよくするといったことができるんじゃないかと書かれていたことです。

玄侑 現実には、先生こそ患者さんたちに接すべきときに接しておられるわけで、私などは残念ながら過去形で接するのが殆んどです。ただ、仏教、とくに禅には、安心するための身体を作り出す技術があります。そうした技術をぜひお伝えしたい気持ちがあります。
今、言葉の話が出ましたが、人間が言葉を使うようになったことが、気の流れをどれだけ妨げ、体全体として見ても、どれだけのエネルギーが言語脳によって使われてしまうか、という感じがします。
今の世の中は何でも言葉にしないと納得しませんが、私は言葉以前の感覚をもっと大事にしたいと思います。でも、そのためには、言葉のない状態の脳をわさわざ作る必要があります。瞑想などはその技術です。
たとえば、言葉を考えていると、意識は必ず頭にあります。意識のあるところに、重心があるわけです。ですから、意識を別な場所、たとえば指先やお尻の下にもってきます。これは慣れれば誰でもできることですが、意識をお尻の下にもってくると安定感が増します。重心が低くなって全身の毛細血管も開くし、血流もさかんになる。頭に言葉を浮かべた状態は自然治癒力が減少し、本来備わった元気が発揮されない状態だと思いますね。
それに関連して思うのは、お医者さんは病気の専門家ですが、病気にくわしいということは、健康のためにはかなり不利なのではないか、ということです。

鎌田 (笑)うんうん。

玄侑 糖尿病の専門医が糖尿病になりやすいのも、イメージに引っ張られるといった影響があるんじゃないかと思います。病気にくわしいことは大切です。でも、患者さんが本当に欲しているのは、元気の専門家。元気に精通し、元気を放射するようなお医者さんが、もっといてくださればなあと思いますね。

鎌田 いいですねえ。たしかに、お医者さんに会っていると、患者さんがどんどんエネルギーを吸い取られていくとか、病院に行けば行くほど、元気がなくなっていくということはありますね。とくに日本の医療現場には。

玄侑 そもそも西洋医学は、まったく元気を相手にしていません。私の友人で、小説にも出てくるお医者さんがいます。彼は西洋医学で手術の名人と言われた人ですが、今は東洋医学にはまって、大抵の整体的なことは自分でやっていますよ。

鎌田 東洋医学にもたくさんいいところがある。

玄侑 私も腰の調子がおかしいと、彼のところに行きます、すると、外科医ですからレントゲンを撮り、撮った上でそこに立ってみろという。で、立つと、「あごがズレている」。あごがずれ頸椎がずれ、腰まで来てると言うんですよ。言われるままに横になると、口の中に指を突っ込んで一瞬あごを外し、また入れてくれる。

鎌田 え、ほんとに外れるの?

玄侑 ええ、瞬間ワザですけど。首の凝りなんか、一瞬にしてなくなります。左右のバランスが、どれだけ崩れていたかですよね。西洋と東洋の垣根も、そういう形でなくなってくれたらありがたいと思いますね。

鎌田 たしかに、西洋医学には予防という言い方はありますが、元気を学問的に勉強するというのはなかったですね。

玄侑 本来持っている自然治癒力を回復するのも大事ですが、それ以上の元気を養うとなると、東洋にはかなり優れた考え方があります。もっとも、今は大学でも東洋医学を教えるようですね。

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