鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

「この病気と闘うぞ。絶対勝つぞ」 “根拠なき成功への確信” がありました 前宮城県知事・浅野史郎 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2013年2月
更新:2018年9月

  

成人T細胞白血病リンパ腫(ATL)をミニ移植で乗り切った、前宮城県知事の闘病の極意

1993年から、3期12年間にわたり宮城県知事を務め、現在は慶応義塾大学総合政策学部教授の浅野史郎さんは、2009年に成人T細胞白血病リンパ腫(ATL)のミニ移植手術を受け、現在、徐々に仕事に復帰中である。ATLは白血病の中でも難治性が高い病気だといわれているが、浅野さんはミニ移植で何とか乗り切った。その背後には夫人の献身的なサポートと、ご自身独自の人生観があった。浅野さんと旧知の間柄である鎌田實さんが、浅野さんを自宅に訪ね、闘病の極意を聞いた。

 

浅野史郎さん

あさの しろう
1948年2月8日生まれ、宮城県仙台市出身。東京大学法学部卒業後、厚生省(現厚生労働省)に入省、生活衛生局企画課長などを歴任。1993年11月、宮城県知事に当選し、2005年11月まで、3期12年間務めた。2006年から慶応義塾大学総合政策部教授。2004年にHTLV-1ウイルスに感染が判明し、2005年にATLくすぶり型と診断される。2009年にATLが急性転化し、国立がん研究センターでミニ移植を受けた。近著に『運命を生きる―闘病が開けた人生の扉』(岩波ブックレット)がある

 

鎌田 實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

献血の検査でわかったATLウイルスの感染

鎌田 浅野さんは2009年に急性白血病と診断されたわけですが、ある程度、心の準備はできていたのですか。

浅野 成人T細胞白血病(ATL)はHTLV-1というウイルスに感染して起きる、珍しい病気です。感染していることは、2004年にわかっていました。

鎌田 感染がわかったのは献血のときですか。

浅野 そうです。献血で採血したあと、日赤の職員が知事室(宮城県)にあわてて飛んできて、「知事、大変です。HTLV-1に感染してます。献血できません」と言うんです。聞いたこともないウイルス名ですから、最初はHIV(エイズウイルス)と勘違いし、「身に覚えがない」と思ったぐらいです(笑)。よく話を聞くと、HTLV-1の陽性の人は、日本に120万人ほどいらっしゃるという。それを聞いて、「なんだ、そんなに多いのか」と思い、真剣に心配することはなかったわけです。

鎌田 そのとき、HTLV-1に感染した人の3~5%程度が、ATLを発症するという話は聞いたんでしょう。

浅野 聞いたかも知れないけど、よく憶えていません。全部聞き流しちゃった(笑)。そこでそのままにしていたら、私も危なかったかもしれません。翌年、偶然に母親が血小板減少症で入院し検査をしたら、HTLV-1に感染していることがわかり、家族も検査しました。私の姉2人は陰性でした。「ところで史郎はどうなんだ」と言われて、「あっ、そのウイルス名、聞いたことがある」と思い出し、「俺、陽性だよ」って答えたんです(笑)。

そのことは妻にも言ってなかったので、「どうしてそんな大事なこと、言わなかったの」って、叱責されました。そして、東北大学の血液内科で改めて夫婦で調べてもらったところ、妻も陽性だったことがわかると同時に、私がATLを発症する5%に入っていることが判明し、不幸中の幸いと言いますか、早期発見、早期治療ができたわけです。

鎌田 それは良かった。しかし、献血のときにHTLV-1ウイルスが陽性だと判明した場合の患者さんへの伝え方には一考の余地がありますね。聞き流されたで済む話ではありません。

浅野 いや、私も問題意識を持っています。私が厚生省時代に同期だった日赤副社長にも言いましたが、献血のときに調べるのはいいのですが、陽性とわかった人に対するフォローは、もう少ししっかりやるべきです。最近は特別対策として、公費で妊婦さんの検査をしています。陽性だったら、授乳を止めなくてはなりません。ただ、これから子どもを産もうとしているお母さんに、「あなたは陽性ですよ」と言えば、パニックになりますよ。ただ単に、「ATLウイルスが陽性ですから、授乳できません」と伝えて済む話ではない。

これは一種の危機管理の話です。私が言っているのは、パニックには、ウェル・インフォームド・パニックと、ノン・インフォームド・パニックがある、ということです。正確でわかりやすい情報が伝わっていたら、患者さんはそれほどパニックにはならないけれど、情報が伝えられなかったり、中途半端でわかりにくい説明しかない場合には、患者さんはパニックになる。どうしていいか、わからなくなり、不安だけが残ります。

くすぶり型ATLで東京マラソンを完走

鎌田 2005年にATLが発症していることがわかり、それから態勢を立て直されて治療を続けられたわけですが、その間に白血病化する兆候のようなものはあったんですか。

浅野 その可能性があるかも知れないということで、ずっと検査を続けていたんです。私自身は、検査をやるのは念のためで、発症するとは全然思っていませんでした。実際、最初の2年間ぐらいは、兆候は何もなかったんです。2008年の夏過ぎ頃から、インターロイキン-2などの数値が上がってきて、少し危機感を持ち始めました。そして、2009年5月25日に正式に急性白血病の発症を告知されたわけです。

鎌田 白血球数は上がったんですか。

浅野 それほど上がらなかったと思います。実は、ATLのがん細胞は花びら型をしていますが、私の場合、その細胞は見つからなかったのです。

鎌田 じゃあ確定診断はできなかったのですか。

浅野 最初、「くすぶり型が発症している」とは言われました。くすぶり型とは何か、よくわからなかったのですが、「くすぶり型で一生を終える人が大半です」と言われ、それほど心配はしなかったんです。実際、私はその告知をされる2カ月前、東京マラソンを完走しています(笑)。その頃自覚症状はゼロですし、闘病生活に入ってからも、自覚症状ゼロですよ。

鎌田 2007年には東京都知事選にも出られましたからね。ご自身の意識の中でも、ATLに対する意識はあったと思いますが、多分大丈夫だろうと。

浅野 そこまでも思わなかった。全然、意識していませんでした。そこにはやはり確率の問題があったかも知れません。HTLV-1が陽性でATLを発症する人が5%程度、さらに急性転化まで行く人となると1000人に1人の割合です。となれば、普通、自分は999人のほうへ入ると思いますよ。ですから、2009年に急性転化を告知されたときは青天の霹靂ではないけれども、すごいショックでした。

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