9割の人が日常生活に支障のないレベルまで回復
悩まないで!! 前立腺がん術後の尿失禁に「人工尿道括約筋手術」

監修:荒井陽一 東北大学泌尿器科教授
取材・文:祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2010年10月
更新:2013年4月

  
荒井陽一さん
東北大学泌尿器科教授の
荒井陽一さん

子宮頸がんや子宮体がんを対象に行われる「広汎子宮全摘術」は、がんの根治術として確立している術式ですが、手術後に「排尿障害」が起こりやすいといわ痛みなどの症状はなくても、日常生活の障害が非常に大きい尿失禁。
前立腺がんの手術後、重い尿失禁に苦しんでいる人も決して少なくない。これまで日本ではあまり対策がなかったが、東北大学泌尿器科教授の荒井陽一さんによると「人工尿道括約筋を使えば、9割以上の人が日常生活に支障のないレベルまで回復する」という。

尿失禁でうつになる人も

「前立腺がんの手術後、1~3パーセントの人が重い尿失禁になると推計されています。そのために、うつになったり、ひきこもりになる人もたくさんいるのです。なかには自殺した人までいます。健康だからこそつらいのです」と、東北大学泌尿器科教授の荒井陽一さんは深刻な現状を話しています。

前立腺がんは、今日本でも、高齢化を背景に急速に増えているがん。米国では、すでに男性がかかるがんのトップですが、日本でもあと10年で欧米並みに増え、肺がんについで2位になるといわれています。

それと同時に増えているのが、前立腺の全摘術です。

「泌尿器科学会で数年前に調べたときに、年間1万7000件の手術が行われていましたから、今は2万件ぐらいあると思います」と荒井さん。そのうち1~3パーセント、つまり毎年200人から600人に、重い尿失禁が残るとみられているのです。

勃起障害と尿失禁は、前立腺がんの手術後に起こる代表的な合併症です。勃起障害は、勃起機能をつかさどる神経温存術が普及して減ってはきましたが、どちらも男性にとっては大きなダメージです。しかし、両者の大きな違いは、「勃起障害によるダメージは、患者さんの性生活に対する希望にもよりますが、尿失禁の場合は毎日のこと。だから、なおさらつらいのです」と荒井さんは話しています。

前立腺全摘出後に現れる尿失禁

前立腺は、膀胱の下にあって尿道をくるむように存在するクルミ大の臓器です。

「男性の場合、膀胱の出口を閉める括約筋と前立腺は、区別が難しいほど近くにあり、前立腺だけを取るのはなかなか難しいのです。ほんのわずかなことで括約筋を傷つけてしまうこともありますし、がんの浸潤部位によっては一部括約筋を含めてよけいに取らなくてはならないこともあります」と荒井さんは説明しています。

[前立腺の位置]
図:前立腺の位置

尿失禁には、年齢や肥満など合併症の有無も影響しますが、もともと前立腺の全摘手術は排尿のしくみを障害する手術といえるのです。

そのため、手術の直後(排尿のための管を抜いた直後)には、多かれ少なかれ、尿失禁があります。荒井さんたちが行った実態調査では、術後3カ月から半年ぐらいは尿漏れパッドが必要な人が多いのですが、半年から1年もたつと、パッドも1日1枚ぐらいになり、9割の人は必要なくなるといいます。残りの1割の人もそのほとんどはパッド1~2枚程度ですが、1~3パーセントに重い尿失禁が残ってしまうのです。

「大人の場合は、量が多いし、パッドをしていても臭いを気にしてひきこもってしまう人が多いのです」と荒井さん。膀胱に尿がたまらず、絶えず流れだすので、皮膚のかぶれなど、人にいえない苦労も多いといいます。

[前立腺全摘後の尿失禁]
図:前立腺全摘後の尿失禁

放置されてきた男性の尿失禁

ところが、これまでこうした尿失禁に対して日本では系統だった対策はとられてきませんでした。

「年間200人から600人といっても、各県に数名というレベル。1つの病院や医師あたりで考えると、数年に1人経験するかどうかというレベルでしょう」と荒井さんは語っています。

医師自体、経験に乏しく、どうしていいかわからない、がんの手術をしたのだから仕方がない、というのが一般的な認識だったのではないかといいます。

[男性尿失禁の治療]
図:男性尿失禁の治療

男性の場合、女性と違って尿失禁の治療法も、日本ではあまり研究されてこなかったといいます。もともと、解剖学的に男性には尿失禁という症状が少ないのです。女性の場合は、妊娠出産後、あるいは加齢によって、クシャミをしたり、重いものを持つなど、腹筋に力が入ったとたん漏れてしまう腹圧性尿失禁が珍しくありません。しかし、男性は「前立腺があるので、腹圧に耐えられるようにできている」のです。

そのため、女性の尿失禁には尿道をつり上げるような手術も確立され、重症でも効果が認められています。これに対して、男性の場合、軽症ならば女性と同じように骨盤底筋体操や薬物療法、尿道にコラーゲンを注入する方法もありますが、括約筋が障害されて起こる尿失禁は、あまり効果は期待できません。尿道をつり上げるような手術も、女性のように確立されていないのが実情です。

そのため、重い尿失禁もほとんど有効な治療法がないまま、放置されることが多かったのです。

生理食塩水の移動で圧を調整

とはいえ、治療の手段が全くなかったわけではありません。「日本で知られていなかっただけ」というのが、正しい表現でしょう。

米国では、実は30年以上も前に「人工尿道括約筋」が開発されているのです。1970年代から治療に使われ、1982年に現在のモデルの原型が完成しました。今では「米国では、教科書にも載っている男性重症尿失禁治療のゴールドスタンダード」だといいます。

人工尿道括約筋といっても、本当に括約筋のような筋肉があるわけではありません。

人工尿道括約筋は、合成樹脂から作られた器具で、尿道を締める小さなリングのような「カフ」と、締めつける圧を調節する「コントロールポンプ」、「圧力調整バルーン」という3つの装置からできています。これがそれぞれ管で繋がっています。

普段は尿道に巻き付けたカフに生理食塩水が充満していて尿道を圧迫、尿道を締めつけることで尿漏れを防ぎます。つまり、ちょうど尿道括約筋の役割を果たしていることになります。

膀胱に尿がたまって尿意を感じたら、トイレで陰嚢に埋め込んだコントロールポンプのボタンを皮膚の上から押します。すると、カフの生理食塩水が膀胱の近くに設置したバルーンに移動。尿道を締めつけることで尿漏れを防いでいたカフですが、そのカフの圧力が緩むことで、尿道から尿が排出されるしくみです。あとは、そのまま放置すればバルーンにたまった生理食塩水が2~3分で自然にカフに戻り、また尿道を圧迫して尿漏れを防ぐわけです。

簡単なしくみですが、実にうまく考えられています。

人工尿道括約筋を開発した米国のアメリカン・メディカル・システムズ社(AMS社)では、顕微鏡を使って1つひとつ手作りをしているそうです。

手術は、会陰部に4~5センチ切開を入れて、尿道にカフを設置。恥骨の上にも切開を入れて、ピンポン玉ほどの大きさのバルーンを膀胱の下に入れます。そこから、陰嚢に長さ2センチほどのコントロールポンプを入れて終わります。

実際には、生理食塩水の充填や回路の設定などに結構時間がかかるそうです。

人工尿道括約筋が使えるのは、手術から6週間後です。尿道に巻いたカフ周囲の炎症がおさまってから初めて使えるようになります。

[人工尿道括約筋の原理]
図:人工尿道括約筋の原理


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