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鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談
毎日新聞主筆・岸井成格さん VS 「がんばらない」の医師 鎌田實

撮影:向井渉
(2011年1月)

大腸がんを患った毎日新聞主筆がいまジャーナリストとして感じている使命感
がんをきっかけに「いのちの連鎖」を見つめ直しました

岸井成格さん

きしい しげただ
1944年、東京都生まれ。1967年、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業、毎日新聞社に入社。熊本支局を経て、政治部に勤務。ワシントン特派員、政治部副部長、論説委員、社長室委員、政治部長などを歴任した後、編集局次長、論説委員長、特別編集委員などを経て、2010年6月に主筆に就任。TBS系列の「サンデーモーニング」のレギュラーコメンテーターとして有名。主な著書に『大転換?瓦解へのシナリオ』『永田町の通信簿』など

鎌田實さん

かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

サンデーモーニングでパレスチナへの旅が紹介

鎌田 先日は「サンデーモーニング」で、私のパレスチナへの旅のことを紹介していただきまして、ありがとうございました。

岸井 どういたしまして。

鎌田 私は見ることができなかったのですが、友人たちから「見た、見た」と電話がかかってきました。
5年前にイスラエル兵に撃たれて脳死状態になったパレスチナの少年の心臓が、お父さんの承諾により、イスラエルの少女に移植されました。その少女は心筋症のために学校に行くこともできなかったのですが、移植により元気になり、学校にも行けるようになりました。将来は医師になって、人のいのちを救いたいと言っています。イスラエルとパレスチナ、憎しみ合っている国の間で、心臓の移植が行われると同時に、心のバトンタッチも行われた。その心臓移植はあの地に平和をもたらす一里塚になると感動して、私は今年の夏、移植を承諾したお父さんの気持ちを聞くために現地へ行ってきたのです。その話を岸井さんが「サンデーモーニング」で紹介してくださった(笑)。

岸井 あのときはチリの鉱山での救出劇が話題で、「究極の決断」がテーマでした。そこであの心臓移植の話をしたわけです。あとでみんなから、むりやり結びつけたなと言われました(笑)。しかし、尊い命の救出のドラマと究極の決断の底流は同じものですから私としては違和感なしに結びつきました。

鎌田 私はあのいのちのバトンタッチの話をアラビア語とヘブライ語の絵本にして、現地の子どもたちや若いお母さんたちに配りたいと考えています。

岸井 それは素晴らしいことですね。

がんを告知されたときピンとこなかった

鎌田 さて、岸井さんが最初にがんと診断されたのは、2007年11月ですか。

岸井 ちょうど3年になります。

鎌田 どういうきっかけで、がんとわかったんですか。

岸井 大学時代の仲間が定期的に集まる会がありまして、そこへ行ったら、「顔色が悪いぞ」「尋常でない顔色だ」と言われました。私も、最近よく顔色が悪いと言われていましたし、便通もあまり良くないので、多少気にはなっていたんですが、疲労から来ているんだろうなぐらいにしか思わなかったんです。でも、あまり「顔色が悪い」と言われるんで、「じゃあ、検診を受けてみるか」と言うと、そこにいた銀行の社長が、「いとこがクリニックをやっているから」と言って、その場で電話して予約を取ってくれ、そこから直ちに検診を受けに行きましたよ(笑)。

鎌田 で、結果は?

岸井 「がんの疑いがありますよ」と言われました。そこで改めて前田外科で内視鏡検査を受けたところ、「食道がん、大腸がん、両方の疑いがあります。すぐ入院したほうがいいですよ」と言われました。ところが、お節介な友人が、「セカンドオピニオンを取ったほうがいい」と言うものですから、その後、三田国際クリニックへ行き、前の2つのクリニックの検査データを見せたところ、「こりゃダメだ」ということで、そのまま白金の北里研究所病院に連れていかれました。すでに主治医も決まっていて(笑)、翌日入院しました。

鎌田 初めて正式にがんと言われたのは?

岸井 前田外科です。

鎌田 告知されたとき、どんな気持ちでしたか。

岸井 なんだかピンとこなかったですね。エッ! という気持ちはありましたが、いのちに関わる深刻な問題だという感じはありませんでした。当時は超多忙で、明日、明後日の出張のことばかり考えていましたからね。北里で精密な再検査をしたとき、進行性のがんで放っておくと危ないとわかりました。

鎌田 場所は?

岸井 S字結腸です。

鎌田 腫瘍の大きさは?

岸井 どれくらいでしたかねぇ。とにかく内視鏡が通らないで、腸閉塞が心配されるといろいろな話もありました。家族は聞いていたようですが(笑)。手術の結果、切ったS字結腸の長さは確か40センチでした。

水俣病・ハンセン病取材でいのちの問題を見つめた

鎌田 仕事はねばり強く執着するけれども、それ以外は無頓着なところがある(笑)。

岸井 ある。仕事以外は、体のことも、私生活のことも、家族のことも、ダメですねぇ(笑)。

鎌田 大雑把なんですね。

岸井 深刻に考えないから、いいこともありますね。深刻に考えたら、精神的に参ってしまう。

鎌田 医師を信頼して、あとはお任せという部分もあったでしょう。

岸井 ありました。細かく説明してもらいましたし、手術のタイミングが間に合えば助かる、と言われてましたからね。ただ、手術前には内視鏡が通らなくなって、女房はステージ4だと言われていましたから、家族は相当心配したようです。あとでステージ2だったと訂正されましたけれどね。
内視鏡が通らないという状態も、ラッキーなことに、手術の日の朝、破裂したんでしょうか、血便が一挙に出てきて解消されました。

鎌田 いずれにしても、家族は心配したけれど、ご本人はのほほんとしていた(笑)。

岸井 手術の前には、最後の晩餐だと言って、鮨だ、すき焼きだ、フグだと言って、美味しいものを食べまわりましたよ(笑)。手術室に行くときは、電車に乗ってバイバイするような感じでした(笑)。

鎌田 医師に「大丈夫だ」と言われたことを疑わないことも大事ですよね。

岸井 そう思います。それに、がんの先輩である筑紫哲也さんや鳥越俊太郎さんをはじめ、いろんな先輩や友人から、アドバイスをいただいたり、励まされたりしましたからね。

鎌田 もともとがんが見つかったのも、友人たちの「顔色が悪い」という指摘がきっかけだった。

岸井 鎌田さん流に言えば、いのちの連鎖とでも言うのでしょうか、がんをきっかけにそれを見つめ直しましたね。私が人生の中でいのちの連鎖を見つめたのは、今回が2回目でした。実は私は環境省(旧環境庁)の名付け親の1人なんですが、そのそもそものきっかけは、駆け出し記者の頃、先輩のお手伝いで水俣病の取材をしたことです。その後、やはり先輩のお手伝いでサリドマイド児の普通学校(小学校)への入学問題を取材し、ハンセン病患者を隔離収容していた熊本の恵風園の初公開にも立ち会いました。若い頃、連続してそういう取材を行いました。

鎌田 公害・医療問題の熱い取材をやる中で、いのちの問題を真剣に見つめてこられた。



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