震災に負けない特集・がん体験者、名取市長復興メッセージ

大震災で学んだ、弱者の視点に立った新たなまちづくりを 末期がんを乗り越えたその力を今度はまちの復興へ

発行:2011年6月
更新:2013年9月

  

未曾有の大災害。地震、津波、原発の三重苦に苦しめられている人もいる。これら被災者の方々にどう声をかけ、何をすればいいのか、戸惑ってしまう。「がんばれ」「がんばろう」の言葉が広がっているが、被災者たちの、家族を失い、家を失い、町や村を失った境遇に思いをはせれば、そうストレートに言えるものではない。落胆しているところへ鞭を打つ形になるからだ。そうではなく、がんばるのは、被災しなかった、あるいは被災の軽かった私たちだ。私たちこそがんばって彼らにサポートの手をさしのべればいいのだ。それを考える意味で、今回、震災特集を組んだ。被災者の方々、被災されたがん患者さんたち、どうか、震災に負けないでほしいと願って。負けなければ、希望が見えてくる。そしてその先には復興がある。

佐々木 一十郎さん
宮城県名取市長の
佐々木 一十郎さん

ささき いそお
1950年、仙台市生まれ。98年に、上咽頭がんの4期で、リンパ節の複数転移が発覚。その後、化学放射線療法を受ける。がん治療後、名取市長選に出馬。04年より現職。現在、2期目を務める

3月11日の東日本大震災から1カ月──。ここ宮城県名取市でも、死者は900名近くに及んでいる。 「震災の深い傷を乗り越えながら、弱者の視点を大切にして、新たなまちづくりをしていきたい」。 10数年前に4期の上咽頭がんでも決して諦めることのなかった、名取市長の佐々木一十郎さんは、こう力強く答える。

1時間のタイムラグが生かせなかった

一刻も早く海岸部の人たちを避難させなくては──。

震災が発生したとき、私はすぐにそのことに思いを馳せていました。そのとき私は市庁舎で市の幹部たちと会議の真っ最中でした。そして、揺れがおさまると、その会議を中断し、急きょ災害対策本部を立ち上げ、災害対策本部会議を開催しました。この地域に暮らしている人なら誰でもそうでしょうが、私はそれまでにも何度となく、地震を経験しています。しかし、今回の地震では、その横揺れの振幅の大きさ、また体にかかる圧力のすさまじさがこれまでとはまったく違っており、大災害になると直感しました。そしてすぐに、地震後に訪れるであろう津波にいかに対処するかを考えていたのです。

何より重要なことは直接的に被害を受ける閖上、北釜など海岸地区の人たちを迅速に避難させること。幸いにして、名取市では津波被害に備えて防災行政無線を取り入れており、市内の沿岸部各所にスピーカーが設置されています。その無線装置を利用して、くり返し避難を呼びかけました。

写真:壊滅した名取市の閖上地区

壊滅した名取市の閖上地区。がれきはすでに撤去されていて、更地のような状態になっていた。ここに人々の生活があったとは思えない光景だ

結果的にみると地震発生から津波の到来までのタイムラグは約1時間。それだけの時間があれば、ほとんどの人たちが避難を終えることができたと考えられます。しかし、現実はそうではありませんでした。8メートルという想定外の津波が押し寄せてきたのです。すぐに3名の消防隊員が乗った消防車が沿岸部一帯で津波の注意を呼び掛けました。しかし、結果的には車ごと波に飲み込まれてしまいました。市民の消防団員は17名が亡くなり、今も2人が行方不明になっています。

住民は名取市だけで、884名を上回る尊い命が失われることになりました。避難が遅れた理由はさまざまでしょう。家族の救助に手間どった人もいれば、大切なものを取りに自宅に戻った人もいるでしょう。なかには大規模な津波など押し寄せるはずがないと思っていた人もいるかもしれません。いずれにせよ多くの人命が失われてしまいました。そのことを思うとただただ無念です。

災害に強いまちづくりとは

写真:震災前の町の様子

佐々木さんが震災前の町の様子を写真で見せてくれた。下は震災後の閖上地区

私たちの暮らす名取市は、古くは古墳時代にはこの地方の中心であり、江戸時代では宿場町などいくつもの顔があります。名物として知られているのは、仙台名産の笹かまぼこや、江戸前寿司のネタとなる「日本一の赤貝」などの海産物です。

今回の震災では漁港で、海産物生産の拠点でもあった閖上地区が壊滅的な被害を受けております。すでに一部の人たちは、漁業復旧・復興のために漁船を手配していますが、元の状態に戻るには、何年もの歳月が必要でしょう。

もっとも今回の震災で新たなまちづくりを進めるうえで、防災面からの検討が必要であるとの課題が見つかったことも事実です。もっとも基本的なことは災害をどう受け止めるかということでしょう。

名取に限らず私たち日本人は長い歴史を通して、自然と折り合いをつけながら生きてきました。自然は豊かな恵みを施してくれると同時に、恐ろしい災厄をもたらす元凶でもあります。その自然とどう向き合っていくか。たとえば高い障壁を築き津波に抗するのも1つの方法であろうし、災害の影響が軽微に終わる場所を選んでまちをつくることも考えられます。それはこれから市民とともに考えていくべき事柄だと思っています。

もっとスムーズな行政の対応を

写真:安否を確認する市民のメモ

名取市役所内の様子。安否を確認する市民のメモがたくさん貼られていた

また今回の震災では非常時の行政の対応が必ずしもスムーズなものではないことも明らかになりました。

たとえば津波の後、被災者救出に向かう際に燃料が欠乏しており、そのことを政府の関係機関に訴えました。すると遠隔地でガソリンを補給してくれという。そんな時間の余裕はないし、そこまでの燃料をどうするのか。とても非常時の対応とは思えませんでした。想定外の災害なのに、なぜ状況に応じた行動がとれないものかと、考えざるを得ませんでした。

そしてもう1つ、課題として残ったのが被災者への支援のあり方ということです。今回の震災では、日本全国から支援の手が差し伸べられ、同じ名取市の人たちからも、食糧支援、住まいの提供などさまざまな援助が行われています。

それはとても尊くありがたいことです。しかし、必要なところに必要な支援が届いていない状況があったのもまた事実で、多くの人たちの善意を生かしていくために有効な支援システムの構築もこれからの課題の1つでしょう。もちろん被災者への診療活動の拡充など、医療面での課題も残されています。

私は10数年前に上咽頭がん4期の診断を受けており、末期でありながら、決して諦めることはありませんでした。そのときを乗り越えたように、これから被災者を含めた市民とともに名取のまちを建て直していきたい。震災の深い傷を乗り越えながら、弱者の視点を大切にして、新たなまちづくりを進めていきたいと思っています。


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