震災に負けない特集・オストメイトたちの声
ストーマ装具を失った患者たちの不安の声にどう対処したか 被災地のオストメイトたちの危機はこうして解消された!
未曾有の大災害。地震、津波、原発の三重苦に苦しめられている人もいる。これら被災者の方々にどう声をかけ、何をすればいいのか、戸惑ってしまう。「がんばれ」「がんばろう」の言葉が広がっているが、被災者たちの、家族を失い、家を失い、町や村を失った境遇に思いをはせれば、そうストレートに言えるものではない。落胆しているところへ鞭を打つ形になるからだ。そうではなく、がんばるのは、被災しなかった、あるいは被災の軽かった私たちだ。私たちこそがんばって彼らにサポートの手をさしのべればいいのだ。それを考える意味で、今回、震災特集を組んだ。被災者の方々、被災されたがん患者さんたち、どうか、震災に負けないでほしいと願って。負けなければ、希望が見えてくる。そしてその先には復興がある。

被災地のストーマ装具の
流通に奮闘した
我妻正一さん
津波で流された! 原発の一時避難指示が一転家に戻れなくなった! 慌てて家から飛び出してきたため、予備のストーマ装具がない……。 被災地におけるオストメイトたちの不安の声だ。 これらの声に看護師、装具メーカー、協会らはどう対処したか。
切実なオストメイトたちの悩み
4月中旬の日曜日。陽光に包まれた避難所はのどかさに満ちていた。喫煙所で紫煙をくぐらせながら談笑する男性たち。大型犬を散歩させる中年夫婦……。
福島県郡山市の大規模催事施設ビッグパレット──。ここでは同じ福島県東部の富岡町を中心に、約2000人の避災者が不自由な仮住まいを余儀なくされている。しかし最悪の状況を脱した安心感からか、人々の表情にはどこか突き抜けた明るさが漂っているように見える。
被災したのはがん患者さんも例外ではない。なかでも強いストレスを感じていたのは、大腸がんや膀胱がんの患者さんで、ストーマ保有者(人工肛門)となり、ストーマ装具を付けたオストメイトの方々だった。正確な人数は定かではないが、この施設にも数名のオストメイトの方が暮らしている。
ある女性保健師はドアに張り出された「ストーマ相談受け付けています」という張り紙を見ながら、「避難生活が始まって、すぐに3人の大腸がん患者さんが装具を切らしたと相談にみえました。でも翌日には代理店の担当者が訪ねてこられて、大事に至ることはありませんでした」
オストメイトなら誰でも臭いの悩みを痛感しているし、集団生活では、それ以外に入浴や装具交換時の洗浄の問題も派生する。それより何より、震災発生直後には、予備の装具を持たない人も少なくなかった。
「津波でストーマ装具が流された」「慌てて避難したために、予備の装具がない」などの影響のためだ。
装具の使用可能期間はせいぜい2~3日。それ以降に訪れる事態を考えると、気が気でなかったに違いない。
そうした、人にはなかなか言えないオストメイトの方たちの危機はいかにして回避されたのだろうか。
営業所に利用者が殺到した

ウエル・カムサポートセンター。個人を対象にしたストーマ装具の販売を手がけている販売店だ。その郡山営業所長が我妻正一さん。福島県全域での装具販売を受け持っている。県内の各病院の皮膚・排泄ケア認定看護師と連絡を取り合いながら、退院後の患者さんをサポートするのだ。
地震発生時も、彼は県内のある病院を訪問していた。同社では阪神・淡路大震災の経験から、災害対策マニュアルが作成されていたこともあり、その後の行動に迷いはなかったという。
「震災に関する情報から、被災者が県内各地に避難することが予測できました。そこで地域の皮膚・排泄ケア認定看護師と連携し、地域ごとに装具流通の拠点となる病院を決めました。そのときには、当社が他のメーカー(用品協会)との窓口になることも決定していました。さらに県庁の保健福祉課にも相談し、オストミー協会とも連絡して対策を練り、テレビで装具入手に関するテロップを流す段取りも決めました」
ちなみに郡山地区の装具流通拠点は同社の営業所である。
避災者が避難所が集まる郡山市に到着したのは震災直後から。そして原発事故の被災者も続々と詰めかけた。それから数日間、我妻さんは大わらわの日々を送る。
16日には何社ものメーカーから用品協会を通し、第1弾の救援物資として900人、10日分の装具や消臭剤、洗浄クリームが営業所に送り届けられた。さらに27日には第2弾として1500人、10日分の装具が届けられる。ちなみに洗浄クリームは、断水で装具が洗えないときに使用する。
同じ日にはテレビなどで情報を入手したオストメイトたちが装具を求めて営業所に殺到した。1日あたりの来訪者は20~30人。我妻さんはその1人ひとりの話にじっくりと耳を傾ける。そして、その合間を縫って拠点病院に配送の手配をし、さらに郡山周辺の避難所を訪ね、配達がてら状況をチェックする。もちろんそうした緊急業務に並行して、既存の利用者にも対応しなければならない。
大阪本社や東京支社の助っ人の力を借りて、我妻さんは何とか難局を乗り切ったという。
「夜遅くまで役所の人たちと打ち合わせた後、深夜に既存の利用者の方に装具を届けたこともありました。でも利用者の方の苦労を考えると、泣きごとはいえません。水がなくて交換がうまくできなかった人もいるし、避難所で臭いが気になると指摘された人もいましたからね」
手続きの遅れに一抹の不安が
装具が迅速に届けられたことによるものだろう。避難所となっている郡山市のビッグパレットでは、オストメイトの相談者が訪れたのは最初の数日間だけだった。我妻さんの仕事も平穏を取り戻している。しかしまだ予断は許されない。
「余震や原発事故の影響で、避難の長期化や避難所を転々とされている方も多くおります。そのために福祉関係などで、手続きに遅れが生じることも考えられます。それがトラブルにつながらなければいいのですが……」
我妻さんの懸念が杞憂に終わり、オストメイトたちにとって落ち着いた日々が続くことを祈りたい。