震災に負けない特集・玄侑宗久「地震・津波・フクシマ」を語る

型にはめた支援ではなく、人と人とのつながりを重視した支援を 未曾有の大災害から考える人間の本質的な生き方とは

発行:2011年6月
更新:2013年9月

  

未曾有の大災害。地震、津波、原発の三重苦に苦しめられている人もいる。これら被災者の方々にどう声をかけ、何をすればいいのか、戸惑ってしまう。「がんばれ」「がんばろう」の言葉が広がっているが、被災者たちの、家族を失い、家を失い、町や村を失った境遇に思いをはせれば、そうストレートに言えるものではない。落胆しているところへ鞭を打つ形になるからだ。そうではなく、がんばるのは、被災しなかった、あるいは被災の軽かった私たちだ。私たちこそがんばって彼らにサポートの手をさしのべればいいのだ。それを考える意味で、今回、震災特集を組んだ。被災者の方々、被災されたがん患者さんたち、どうか、震災に負けないでほしいと願って。負けなければ、希望が見えてくる。そしてその先には復興がある。

写真:玄侑宗久さん

被災者、そして支援者は、復興に向けてどのように歩みを進めたらよいかについて語る、玄侑宗久さん

げんゆう そうきゅう
1956 年、福島県三春町生まれ。臨済宗妙心寺派・福聚寺住職。慶應義塾大学中国文学科卒業後、さまざまな仕事を経験し、京都・天龍寺専門道場に入門。01 年、『中陰の花』で第125 回芥川賞受賞。

原発避難者も多く身を寄せる福島県三春町に福聚寺はある。住職を務め、作家でもある玄侑宗久さんはここで、何を感じ、現状をどのように見つめているのか。

地域性を生かした仮設住宅の建設を

今回の大震災は岩手、宮城、福島、茨城、千葉と東北・関東地方の広域にかつてない被害をもたらしました。そして今、多くの近隣地域で被災者を対象にしたさまざまな取り組みが進められています。私が暮らす福島県三春町もその例外ではなく、被災者のための仮設住宅の建設が急ピッチで進められています。

でも私は、そうした取り組みに一抹の不安を禁じ得ません。

政府を中心とした今回の取り組みでは、おそらくは10数年前の阪神・淡路大震災後のノウハウを生かそうとしているのでしょう。しかし、それが果たして今回の震災の実情に即したものなのか。

私には、現在私の周囲で進行している震災後の取り組みは、あまりに事態を単純に捉えすぎているように思えてならないのです。

被災者にとって喫緊の問題となっている住まいの問題1つをとってみても、そのことがよくわかります。現在進められている仮設住宅の建設は、地域事情を無視しているように思えてならないのです。

私は少しでも被災者の力になれればと思い、三春町の避難所にしばしば足を運んでいますが、そのたびに避難してきた人たちの表情の明るさに驚かされ、また胸をなでおろしています。なぜ、あれほどの被害を受けたのに、こんなに明るさを保っていられるのか。そう考えて避難所を見渡したときに、気づかされたのが人と人との関係の穏やかさ、和やかさということです。

避難所の厳しい生活のなかで、彼らは新たなコミュニティを構築しているのです。

東京や大阪などの大都市では、無縁社会という言葉に象徴されるように、希薄な人間関係のなかで個人が孤絶した状態で生きている。しかし、東北地方では事情はまったく違っています。ここでは人は互いにつながりあった有縁社会で生きているんです。だからこそ殺伐としているのが当たり前の避難所生活のなかでも、人は笑顔を向け合い、互いの関係を深められているのです。

私は仮設住宅の建設を進めるうえでも、こうした人と人とのつながりをうまく活用すべきではないかと思っています。率直にいって、とくに福島県の場合は避難生活がどれだけ長期化するかわからない。それなら避難所で形成された新たなコミュニティを前提とした集落を建設することも考えられるのではないでしょうか。

たとえば避難所に暮らす人たちにそのまま、仮設住宅による集落に移動してもらうというのも1つの方法でしょう。いずれにせよ人と人のつながりを大切にする東北人の生き方を尊重し、老若男女、いろいろな人たちが集う生活の場が実現すれば、それは素晴らしいことでしょう。

個々の仮設住宅それぞれに風呂やトイレが必要だとは限らない。それよりむしろ、多くの人たちがともに食事をしたり、お茶を飲んで会話を楽しむことができるスペースがあったほうがいいようにも思うのです。

そうした新たな生活空間の創造は、プライバシーの尊重を何よりも優先する都市からの発想だけでは困難でしょう。そこには被災者と同じ価値観を持つ東北人の目線が必要なのです。

同じ被災地でも、福島県に潜む根深い問題

もっとも福島県の場合にはその前に考えなければならないやっかいな問題が潜んでいます。実は同じ被災地域でも、岩手や宮城と福島では、状況がまったく違っているのです。

岩手や宮城の場合は、被害は地震とその後の津波によるものでした。もちろん被害は甚大で、被災者の苦痛は、筆舌に尽くせないものがあるでしょう。しかし、それらの地域での被害がいわば一過性のものであるのも事実です。つまり、復興のための準備が整えば、現在、各地に避難している人たちは、また自分たちの町に戻ることができるわけです。

ところが福島では地震、津波に加えて原発の破壊による放射性物質汚染の問題が重なっています。そのために福島の海岸沿い、浜通りと呼ばれる地域に暮らしていた人たちは岩手や宮城の人たちのように、おいそれとは郷里に戻れない。国会議員のなかには、放射性物質汚染が解消するには、10年は必要だという人もいるほどです。そして、そこには実にさまざまな根深い問題が潜んでいるのです。


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