患者を支えるということ8
医学物理士:狙ったがんを確実に照射するために必要不可欠な存在 放射線治療に関する患者相談も
おざわ しゅういち 1971年生まれ。2001年に立教大学大学院理学研究科博士後期課程修了(理学博士)。その後、理化学研究所や日本原子力研究開発機構で研究員を務めた後、医学物理の道へ。2006年から2年間、アメリカへ留学した後、現職に
放射線治療のポイントは、必要な量の放射線をがんの病巣に正確にあてること。この放射線治療の基本を実現するのに不可欠なのが医学物理士だ。順天堂大学医学部付属病院順天堂医院がん治療センターの医学物理士・小澤修一さんによると、「米国では医学物理士が病院にいないと放射線治療ができない」という。
治療法の進歩とともに高まる重要性
欧米に比べると、放射線に対するアレルギーが強かった日本でも、ようやく放射線の照射法が進歩し、がん治療に大きな比重を占めるようになってきた。
ところが、欧米との大きな違いは「医学物理士」の存在。アメリカ留学時代、小澤さんはよく「医学物理士がいないで、どうやって放射線治療をするのか」と、聞かれたという。日本では、まだ馴染みの少ない専門家だが、欧米ではそれぐらい放射線治療にはなくてはならない存在なのだ。
小澤さんによると、医学物理士は「放射線治療の品質管理と研究開発」が仕事だという。簡単にいうと、医師が計画したとおりに放射線が、目的の部位に指示どおりの線量で照射されるか、放射線があたってほしくない部位に照射されないか、専門的な計算を行い、シミュレーションをしてみる。必要なら修正を行い、いくつもの照射方法を作り、ベストな方法はどれか、提示することもある。
さらに放射線照射機器の精度を管理して、計画どおりに放射線が照射されることを確認するのが医学物理士なのである。
このことからわかるように、医師は医学の専門家ではあっても、治療機器や放射線物理学の専門家ではない。医師が処方した線量の放射線治療が、本当に正しく実施されるかどうか、その質を担保するのが医学物理士なのである。
「天才的な医師が1人いても、放射線治療はうまくいかないのです。仮に、医師の処方と医学物理士の精度管理が完璧であったとしても、実際に放射線を照射する技師がいい加減なあて方をしたら良い治療にはなりません。それぞれの専門家のバランスがとても大事なのです。放射線治療は、その場で結果が出る治療ではないので、治療が計画どおりできたのかどうか、すぐにはわかりません。そこが怖いところなのです」と、小澤さんは語っている。
放射線にもそれぞれ特徴や個性がある
放射線治療の歴史は、いかにがんの病巣に集中して放射線を照射するか、その追求の歴史だったといってもいい。そのためにさまざまな照射方法が工夫さ れてきた。たとえば、強度変調放射線治療(IMRT)もその1つ。放射線の照射強度を変えながら、多方向からがんの部位に放射線を集中させる。
小澤さんによると高度な照射法になるほど、医学物理士の重要性も増してくるという。そもそも放射線治療機器というのは、「いわばソフトウエアです。ワードや エクセルと同じでマニュアルを参考にすれば誰でも使えるという1面もありますが、きちんと治療に使えるようにするまでには何カ月もかかる」という。買ってすぐに使えるわけではないのだ。
放射線にも特徴がある。電子線は体表の比較的小さながんを得意とする。エックス線は体を通過するので、どの部位のどんな大きさのがんにも照射できるが、同じエックス線でも「質」があるのだという。検査に使われるのはきれいな画像がとれるタイプ。治療に 使う場合は照射部位をコントロールしやすいタイプのエックス線を使うのだそうだ。さらに、メーカーや機器によって、それぞれ少しずつ個性が異なる。
自分の病院にある治療機器から出ているエックス線にはどんな個性やクセがあるのか、その質をコンピュータに登録する。照射線量の分布を示す等高線は、本当に正しい値を示しているのか。実際にチェックしてみると、登録してあったデータと違っていたこともあるそうだ。
精密な治療ほど誤差の影響は大きい
そして、こうした誤差は、高度な放射線治療法になるほど、響いてくるという。
「たとえば、単純に2方向から照射するような場合は、放射線ビームのデータが多少ずれていて、事前に行ったシミュレーションと少し違っていても治療ではそれほど大きな差にはなりません」と小澤さん。
もともと精密に病巣を狙った治療ではないから、多少の誤差は許容範囲なのだ。
ところが、強度変調放射線治療や最近注目されている強度変調回転放射線治療、画像誘導放射線治療(CT画像などで病巣を確認して、そこに集中して放射線を照射する方法)になると、ピンポイントで部位を狙って照射するため、誤差があった場合の影響が大きいという。
たとえば、わずかなデータの誤差によって放射線の照射位置がずれると、病巣からはずれて治療の効果が失われたり、違う部位に放射線が集中して副作用が生じることもあり得るというのだ。
実は、日本で医学物理士の存在が注目されるようになったのも、こうした放射線治療の進歩が大きく影響しているという。
2000年ごろ、新しい放射線治療機器が普及するに従い、医療事故が相次いで報告されるようになったのである。照射量が過剰だったり、少なすぎるという事故が重なった。装置に登録したデータが間違っていたために、過剰な放射線が照射され、命を失った患者もいたという。
これを契機に、関連団体が協力し、「放射線治療品質管理機構」が設立され、放射線治療品質管理士の認定資格が作られたのだ。
研究一筋から医療畑への突然の転身
小澤さんが、医学物理士になったのもちょうどそうした流れの途上だった。
小澤さんは、原子物理学を大学院で学んだ後、30代半ばまで研究一筋の道を歩んできた。物理学者としては、ごく普通の道程だ。「ほとんど研究室に隔離された生活をしていたので、人と接することはあまりありませんでした」と笑う。
それがある日、医学物理士として陽子線治療を担当する先輩に誘いを受けた。
「日本には医学物理士がいないから、頭角を現すことができるかもしれないよ」
その言葉に惹かれた。
「医療のことは何も知りませんでしたが、僕の物理学者としての知識が病気の治療に応用できる。それならば、やりがいのある仕事がしたかったし、海外で教育を受けた医学物理士の先駆者になれることも魅力的でした」と小澤さんは語る。
ちょうどそのころ、順天堂大学では医学物理学講座を立ち上げようとしていた。そこで、順天堂から放射線治療の研修のために、医学物理士の先進国であるアメリカに2年間留学。日本人として初めて米国認定医学物理士臨床研修プログラムを修了したのである。
といっても、医療に関しては全くの素人。「研修プログラムがあるので、素人でも全く構わないと言われましたが、一緒に研修を受けた留学生は2人とも医学畑出身。かなりハンディがあったので、つらかったですね。最初の1年間は装置の品質管理のしかたを習っても、その意味が全くわからなかった」と小澤さんは振り返る。それでも、1から新しいことを学べるのは楽しかった。
こうして、小澤さんは帰国後医学物理士として、順天堂でがんの放射線治療の精度管理を行うようになるのである。
放射線治療に関する患者相談も
順天堂医院には、現在3人の海外研修を受けた医学物理士がいて、教育も行っている。そういう意味では先進的に放射線治療を行っているので、「乳房温存手術後の放射線治療も、一般的にはそこまで厳密に照射しているわけではないのですが、ここでは強度変調放射線治療に近い高度な方法で行っています」と小澤さん。
肺は放射線に弱い臓器なので、肺がんに放射線を照射し、正常な肺にもたくさん放射線があたる場合は副作用が起こる可能性が高まる。医師に相談されて、強度変調放射線治療を使って出来るだけ正常な肺に放射線が当たらないように工夫したこともある。患者は副作用もなく順調に経過し、医師にも喜ばれた。
患者支援活動の一環として放射線治療に関する患者相談も行っている。放射線をあてても大丈夫なのか、放射線治療はどのように行うのか、何で何回も繰り返して放射線をあてるのか、など質問は多岐にわたる。医療スタッフや患者に喜ばれることも、患者の疑問や不安に答える仕事も楽しい。しかし、やはり研究者としては「新しい照射機器の開発」が今の夢だ。
強度変調放射線治療など、近年の新しい放射線の照射法は、欧米の医学物理士が開発してきた。しかし、昔は日本からも新しい照射法が提案され、開発がされていたという。現状の放射線治療でも、陽子線や重粒子線治療 では日本が世界をリードしている。
小澤さんは「工学や物理の分野から優秀な研究者が放射線治療業界に入ってくれば、新しい装置の開発も多いに可能性がある と思います」と期待している。
日本の医療物理士を世界で通用する資格に
今、日本で放射線治療を行っている施設は800余りといわれているが、そのうち医学物理士がいる施設は1割程度。それも都会に集中しているというから、治療の精度管理という点では、問題を抱える施設も多そうだ。
小澤さんによると「医学物理士自体は、日本全体で500人ぐらいいるのですが、実際に医学物理士として現場で働いている人は数十人しかいない」という。実は、日本の場合、医学物理士の資格を持っていても、技師として働いているケースが非常に多いのだそうだ。なお、医学物理学会ができたのは、日米ともに約50年前。もともとは基礎物理学出身者が中心だったが、日本では医学物理士を放射線技師や医師も取得できるようになったので、会員の数だけが増えてしまったのである。このままでは、あまりに欧米とあり方が違うので、何とか日本の医学物理士を世界で通用する資格にしたいと活動しているところだ。
医学物理士の重要性をもっと知って
放射線治療の土壌も欧米とは違うという。アメリカでは医学物理士がいないと放射線治療はできないが、日本では放射線治療の精度管理を放射線技師が行ってもいいことになっている。さらに、医学物理士を育てる教育プログラムも日本では不十分である。こうした背景の違いが、現場で働く医学物理士の増加を阻んでいるのである。
今のところ、医学物理士だけを対象とした診療報酬も認められていないが「陽子線など粒子線治療は、医学物理士がいないと正確な治療ができないという認識が大きいんです。これが突破口になるのでは」と小澤さんは期待する。
せっかく放射線による治療法が進化しても、それを実際の治療に生かす専門家がいなければ宝の持ち腐れも同然ではないだろうか。
「まずは、日本の放射線治療における医学物理士の認識を世界のレベルまで引き上げ、新しい照射装置を開発したい」と小澤さん。ちなみに、順天堂医院では前立腺がんの患者さんに強度変調放射線治療を行っているが、現在半年待ちの状態だそうだ。
同じカテゴリーの最新記事
- 高齢者乳がんに対する診療の課題 増える高齢者乳がん~意思決定支援を重視した診療を
- 乳がん体験者ががん患者を支える 患者の悩み、必要なサポートとは?
- 納得した乳がん治療、療養生活を選ぶために アドバンス・ケア・プランニングの取り組み
- 乳がんサバイバーの職場復帰:外来通院中の患者さんを対象に意識調査 職場復帰には周囲の理解と本人の自覚が大切
- 診療放射線技師:治療計画から機器の管理まで幅広く行う 患者さんの不安を取り除くことも大切
- 義肢装具士:失った手足を取り戻し、日常生活を支援 早期訓練で、患者さんもより早く社会復帰へ
- 理学療法士:訓練ではなく日常を楽にするがんの理学療法 患者さんの体と思いに寄り添う
- 臨床研究コーディネーター:薬の開発を患者さんの立場からサポート 医師、製薬会社、患者さんの橋渡しを担う
- 音楽療法士:がん患者さんの心と体を癒やす音楽療法 身心の調子に合わせた選曲が大事
- 管理栄養士:細やかな心配りで、がん患者の「食べる」を応援 患者の約7割は、その人に応じた個別対応