患者を支えるということ11
歯科衛生士:口腔のケアを通して心もサポート ケアを行うことで術後の肺炎も減少
たかやなぎ なみ 2005年、東京歯科大学歯科衛生士専門学校卒業。その後、東京歯科大学市川総合病院 歯科・口腔外科に約4年間勤務した後、口腔がんセンターへ。2011年4月からは再び、歯科・口腔外科に戻り、患者さんの口腔のケアに努めている
口腔がんの治療はもちろん、がんの化学療法や放射線治療で重い口内炎などに苦しむ患者は多い。東京歯科大学市川総合病院では、専任の歯科衛生士が、がん治療による口腔環境の悪化や後遺症を専門的にケアしている。
がん治療専任の歯科衛生士
東京歯科大学市川総合病院には、「歯科・口腔外科」と「口腔がんセンター」に歯科衛生士が配属されている。歯科・口腔外科ではインプラントなどの歯科治療も行うので歯科衛生士がいるのはわかるが、がん治療に専任の歯科衛生士がいるところは、全国でもまだ珍しい。
市川総合病院に口腔がんセンターが設立されたのは、平成18年。口腔がんは、舌や歯肉、頬の粘膜、口腔底など口の中にできるがん。治療によって、のみ込みや咀嚼の障害など、さまざまな機能が損傷され、患者には負担の大きい治療だ。
これを総合的に治療、ケアしていこうと口腔がんセンターが生まれたのである。このとき、口腔外科の医師や看護師とともに歯科衛生士が配属された。
歯科衛生士というと、一般にブラッシングの指導や歯石をとるスケーリングなどを思い浮かべる人が多いと思う。がん治療でも、基本的には口腔のケアが専門。だが、その意味合いも役割も普通の歯科治療とは異なる。
「私たちは、がん治療が始まる前から口腔のケアを行うので、最初はがんの治療なのにどうして歯科衛生士なのか、と不思議に思う患者さんも多いのです」と、高柳奈見さんは微笑む。
高柳さんは、歯科衛生士として約2年間、口腔がんセンターに在籍し、今は歯科・口腔外科でさまざまながん患者の口腔のケアを行っている。
治療前から口腔のケアを徹底
手術などの治療方針が決定すると、入院前からケアが始まる。
「術中、術後の感染や誤嚥性肺炎*の予防、さらに口内炎などの合併症を軽くするた めに、治療前から徹底して口腔のケアを行います」と高柳さん。もちろん、歯周病や虫歯の治療も行い、歯科衛生士はスケーリングや機械を使ったクリーニングも行う。その上で、歯の磨き方を指導し、自分で口の中をきれいに清掃できるようにする。
「口腔内にがんがあると、歯ブラシで触れただけで出血することもあります。そういう場合はガーゼをあてて磨く方法を覚えてもらいます」
手術後は、痛みや手術の傷を恐れて歯磨きも十分にできなくなる。それに加えて、たとえば舌を再建するとしばらくは移植した皮膚に汚れが付着しやすく、溝に汚れがたまりやすい。そうした状態を、術前から患者にも説明して清掃の仕方を指導する。
化学療法や放射線治療を行えば、粘膜炎や味覚障害、唾液の分泌低下による自浄作用の低下などが起こる。とくに口腔粘膜炎、つまり口内炎は口腔がんに限らず、化学療法の副作用として悩まされる人が多い症状だ。
全体のがんの中で化学療法では約40パーセント、頭頸部がんの場合、放射線治療を行うと100パーセント口内炎が起こるという。
「痛みがあるので、麻酔薬をしみ込ませたガーゼを患部にあてて、小さなブラシやスポンジでケアするのですが、グレード3ぐらいになるとセルフケアは無理になります。麻酔薬や粘膜の炎症を抑える薬を入れてうがいを頻回にやってもらいます」(高柳さん)
いつごろ、どんな症状が出るかもあらかじめ伝えておく。
「口内炎は、放射線治療を始めて2週間目ぐらいから起こり、治療終了後も2~4週間続きます。化学療法だと2~4日後くらいに起こります。そういうことを伝えておくだけで、口内炎が出たときも安心していられたという患者さんもいますね」
*誤嚥性肺炎=気道に食物などが誤って入り、それが原因で起こる肺炎
術前から訓練を開始
さらに、一般の歯科衛生士と異なるのは、機能障害のケアも行っていることだ。
高柳さんは「手術の方法やその後の状態については医師・歯科医師から説明がありますが、その上で私たちも摂食嚥下障害に関して説明し、術後の状態に応じて摂食嚥下機能訓練を始めます」と語っている。手術によって、嚥下*の機能が損傷されることを見越して、まだ体に余裕のある手術前から訓練を始めるのだ。
息こらえ嚥下、呼吸によって痰や食物のかすを吐き出す方法などいろいろな手法があるが、たとえば「舌を摘出する患者さんならば、舌を左右にふる運動」などを行っているという。
*嚥下=飲み込むこと
術後の肺炎が明らかに低下
また、市川総合病院では、平成21年から食道がんの「多職種連携チーム医療」も本格的に開始した。食道がんは、首、胸、腹と手術も広範囲に及び、他のがんに 比べて術後の合併症がいまだに多い。以前から、多職種の人が治療に関わっていたが、それが食道がんチームとして機能することになり、ここに歯科衛生士も加わった。
チームに所属する土屋佳織さんは「感染予防のために、手術前から口腔のケアを行って口腔内の細菌減少につとめています。術後、患者さんが集中治療室に入っている間は毎日、一般病棟に移ったあとも3日に1度は病室を訪れて口腔のケアをしています。体が動くようになってきたら、少しずつ自分でブラッシングをしてもらいます。それが、リハビリにもなるので」と話している。
これだけきちんとケアをして、どのぐらい違いが出るのだろうか。食道がんチームは、興味深い調査を行っている。
歯科衛生士がケアに入ると、入らない場合に比べて術後の肺炎の発症率が、何と4分の1にも低下していたのだ。平均在院日数も、10日ほど短い。歯科だけではなく、リハビリ科などの多職種が携わった結果、平均在院日数の減少にもつながったのだ。口の中がきれいになって、肺炎などの感染が減った結果、退院も早くなるのでは、と考えられている。
実際に、食道がんチームでは歯垢を赤く染め出す薬を使って、気管挿管チューブの汚れ方も調べている。すると、歯科が術前に介入してケアした患者のチューブのほうが、はるかに汚染度が低いそうだ。気管挿管チューブは、口から気管支に挿入する管。口腔のケアを行うと、口の中の細菌数が減少して、チューブの汚染が少なくなるのである。徹底した口腔のケアが、肺炎や口内炎からの2次感染を防ぐことが証明された格好だ。
積極的にメンタル面をケア
このように、歯科衛生士が加わることでがん治療には実質的にさまざまな恩恵がある。だが、それだけではない。
「口腔のケアをして終わりではなく、いつもメンタル面のケアを心がけています。ケアを通して不安やいろいろな思いを吐き出してくれたら、と思うのです」と高柳さんは語る。
口腔がんも食道がんも、時として命を救うために大きな機能の損失を伴う。外見の変化を伴うこともある。したがって精神的なストレスははかりしれない。
そんなとき、毎日のように歯科衛生士は病室に通い、口腔のケアを通して触れ合う。そこで、手術前の自分の姿も、手術後のつらい時期も、やっと元気を取り戻して退院していく姿も全てを見て、身近でケアをしてくれるのが歯科衛生士なのである。
口腔がんセンターに在籍する清住沙代さんは「最初はあまり口腔のケアに熱心ではなかった患者さんも、口の中がきれいになると『ありがとう』と言われます。術後、病室で口の周りを拭いただけでもご家族に喜んでいただいて、こちらが感動しました」と語る。
心のサポートに職種は関係ない
今はそれぞれの職種の人が専門的なケアを行うと同時に、メンタル面でのサポートを志すことが多い。これまでの経験から奥井沙織さんは、「最終的には人間性、心のサポートに職種は関係ないと思うのです」と語る。
同じ治療や副作用でも、前向きな人も消極的な人もいる。受け止め方は人それぞれだ。こういうとき、奥井さんはこう話していた人もいたし、こう訴えた人もいると患者に話しておく。そうすると、「ああ、つらいと言ってもいいんだ」と思える。
「自分だけじゃないと思うと、患者さんは励みになるようです」と奥井さん。
奥井さん自身、「亡くなるときまでケアできるのは看護師だけ。歯科衛生士なんて必要ないんじゃないか」と思った時期もあった。しかし、今できる口腔のケアをすればいいのだと教えてくれたのも、患者だったという。
その人は、ずっとセルフケアをしていたので病室に行ってもただ話をするだけ。奥井さんは何もできない自分に無力感を抱いていた。だが、意識を失った最後の日 に口腔のケアをさせてもらった。そのとき、「ああ1から10まで口腔のケアをしなくても、できるケアをすればいいのだ」と、初めて得心したという。
まだがん患者に関わる歯科衛生士は少ないが、ケアを受ける患者とケアする側は、互いの関係の中で成長しあうものなのかもしれない。
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