静岡県立静岡がんセンター感染症科の取り組みを追う
感染症対策はがん治療を確実なものにするために必要
おおまがり のりお 佐賀県出身。 1997年佐賀医科大学卒。 聖路加国際病院で4年半の研修を行ない感染症科の仕事と出会う。 2002年渡米がん専門病院MDアンダーソンにて感染症科専門医になるための研修を行い、2004年2月帰国。 現在、県立静岡がんセンター感染症科医長 |
感染症科医長の
大曲貴夫さん
動きだした県立静岡がんセンター感染症科
毎朝、8時45分、県立静岡がんセンター(以下センターと表記)細菌検査室で行われるミーティング。テーブルを囲むのは、感染症科医の大曲貴夫さん、感染管理看護師の工藤友子さん、検査技師の佐藤智明さんと小貝麻子さんだ。
朝一番のこの会議で、昨日、菌の培養をセットした患者さんの、尿、便、痰、血液などの検査結果をまず把握することから、感染症科の1日は始まる。
センターの各科で治療を受けている患者に、発熱をはじめとする炎症など、感染症を疑われる症状が出たときに、細菌検査室にはさまざまな検査のオーダーが出される。
それらの検査の結果を一番先に把握し、感染症科としてのその日の治療に関する方針を決定し、情報を院内に提供するのが、この会議の目的だ。
検査の結果は、当然、担当医に戻されるシステムになっているが、感染症科医の大曲さんが緊急事態であると判断したり、今後の症状の悪化などが予測される場合には、すぐ担当医に直接、電話連絡を行い、素早い対応を要請することもある。「院内は電子カルテを使用していますので、検査結果によっては、僕がすぐカルテを確認し、電話アドバイスをしたり、担当医からの依頼に応じて僕がその患者さんのベッドサイドに行き、診察を行うこともあります」と大曲さん。
そのほか、この会議では、院内でおこっている感染症の流行の把握と対策も協議される。
例えば、がんで入院中の患者に、MRSA(耐性黄色ぶどう球菌)や*帯状疱疹にかかった人が出たというような情報が入る。すると、状況に応じて、院内での他の患者への感染を防止しなければならない。病室の調整や、医療スタッフのマスクやガウンの着用、感染症防止対策を踏まえたケア方法の徹底などについての方針を、ここで決定し、センターの関係部署に情報提供を行う。
センターには、感染症専門医である大曲さんの他に各診療科の5人の医師、3人の看護師、2人の薬剤師、検査師1人の、12人で構成される、病院長直属の感染管理チームがある。
このチームも定期的に会議を開き、感染症に関する情報や問題点を共有するシステムだが、日々の状況に対応するための方針は、会議で決定される。
「これからは、治療によるコントロールが可能になったエイズ患者などの慢性的な感染症を持つ患者さんと、がんの合併症をもつ患者さんにも対応していかなければならない時代ですね」と大曲さんは語る。
朝の会議が、20分ほどで終了すると、大曲さんは病棟の気になる入院患者のベッドを一人ずつ回りはじめる。
さらに各科の医師から、感染症が疑われる患者の診察依頼や相談も入る。食事の時間以外は、夕方までほとんど座ることもなく、ベッドサイドの診察に走り回る毎日である。
*帯状疱疹=幼児期などにかかった水ぼうそうのウイルスが神経系に潜んでいて、免疫力が低下した時に発症。顔など頭に近い部分に痛みが出ることもあり、治療のタイミングを逃すと、神経痛のような痛みが慢性化したり、後遺症を残す危険性もある。水分を含んだような比較的大粒の発疹ができるのが特徴
感染症医の仕事は全身をくまなく診察すること
「患者さんに『ええっ? そんなところまで診るんですか?』と、よくびっくりされるんですよ」という大曲さんの診察は実に念入りだ。
がん患者が感染症によって発熱を起こしていると思われる状態について、「どの臓器や部位に感染を起こしているのかを突き止めるのが僕の仕事です。とにかく全身を徹底的に診ます。例えば、口の中、虫歯、鼻水、喉、舌の裏側、皮膚に発疹や異変がないか? 水虫はあるか、実際に足の指の間に感染が起きている場合もあるのですから」と大曲さんは言う。
感染症科医の仕事は五感全部を使って、患者の全身に触れ、病変を見つけること、そしてその異変の原因を、膨大な専門データに照らし合わせて、予測することから始まるという。
「検査の数値だけでは読み取れない情報を、実際に患者の全身を見て、触れることから、見つけだすことは、感染症科医の鑑別診断に欠かせない独特な技術」だという。検査データの解析と、臓器別の診断をされることに慣れた現代人にとって、全身をくまなく観察するという古典的な手法が、最先端の感染症治療の基本であるというのは新鮮な驚きでもある。
「これまで、日本では、感染症の兆候があっても菌の培養を行わず、原因が特定されないまま、漫然と抗菌薬を投与していることが多く、そのために細菌学的な診断がつかないことが多かったと思います」と大曲さん。
感染症の治療の基本は、
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1. 念入りな診察で体のどこで感染が起きているのかを絞り込んで想定する。これに加えて血液検査の値や、X線検査の結果も、体のどこで感染が起きているかを突き止めるための重要な情報になる。
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2. そのために培養に出してから、想定に基づく抗菌薬を投与する。
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3. 培養結果によって、抗菌薬を再度検討し、決定する。
ことだ。
確定診断をつけることは、最適な治療を行うこと、病気の発症後に後遺症が残る、再発の危険があるなどの判断や、予防の判断に、不可欠だ。症状が治まればいいという考え方で、症状を抗生物質で治めてしまうと、今後のリスクも予想できないので危険がある。また、原因を特定しないままに症状を抑え込んでしまうことで、患者自身が自分のかかった感染症についての知識を持てないというデメリットもある。
感染症科医の白衣のポケットの中身
大曲さんが、いつもその白衣のポケットに忍ばせているのは、よく使い込まれた『SANFORD GUIDE FOR ANTHIMICROBI-AL THERAPY 2003』という米国版の感染症治療のガイドブックだ。この本は、臓器ごとによって異なる抗菌薬の使い方が網羅されている。「感染症科医のバイブルです」と大曲さん。
そしてもう一つのポケットには、自分が受け持つ患者さんに関する情報カードの束がある。
これは大曲さんが、1枚ごとにカルテから必要事項を書き出したもので、診察後のメモとして英語、日本語でさまざまな書き込みがなされている。
「今持っているカードは17枚。内容はほとんど覚えていますが、ベッドサイドで診察する感染症医にとってコンパクトな情報カードの携帯はとても便利」
そしてポケットから最後に取り出したのは、プラスチックの小ビンに入ったアルコール系の手指消毒剤だ。これはセンターの方針でスタッフ全員が持っている。ひとりの患者さんの診察を終えるごとに、洗面所に行って手を洗うことが基本だが、それができない場合に使う、医療従事者必携のすぐれモノだ。
感染症科医の「武器」は抗生物質
がんの症状はさまざまで、その免疫状態には個人差も大きく、一般論をいうのは難しいのだが、がん患者はその免疫状態の変化にともない特徴的な感染症が起きる。
このためがん患者の感染症の治療には、高度な専門知識が要求される。がん患者は感染症におけるハイリスクグループなのだ。
感染症科医の専門性を一言で分かりやすく言えば「病原体が人間に引き起こす病気に関する知識とそれを解決するための抗生物質の処方のスペシャリスト」ということになる。
抗生物質の処方は、何科でも日常的に行われており、多くの場合は一定の効力を発揮するので、これまで抗生物質の処方が適切か不適切かなどということはあまり意識されてこなかったのだが……。
「現在の日本の医療の一番の問題は抗生物質を『熱さまし』として使う医療現場の姿勢です」と抗生物質の安易な使用が、患者に大きな不利益をもたらしていることを大曲さんは指摘する。
治療法 | 特徴 | かかりやすい感染症 |
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化学療法 | 好中球という白血球が減少するため、健常者には感染症をおこさない菌による感染症がおこる | 緑膿菌などのグラム陰性菌と呼ばれる仲間、黄色ブドウ球菌、アスペル ギルスなどの真菌 |
放射線治療 | リンパ節にも照射がおよぶため、細胞性免疫、液性免疫 が下がる。 | あらゆる微生物による感染症 |
ステロイド療法 | 細胞性免疫が低下。リンパ球のCD4が低下。HIVの免疫状態に類似している | ニューモシスティスカリニ肺炎、クリプトコッカス、結核、サイトメガロウイルスなど |
白血病などで骨髄移植を行った時 | 免疫抑制剤を服用しているので、人工的な免疫低下に伴う感染症が起る。 | アスペルギルス、サイトメガロウイルスなど |
中心静脈ラインを挿入した時 | ライン感染などが起きやすい | 黄色ブドウ球菌、表皮ブドウ球菌、緑膿菌、カンジダなどの真菌 |