小児がんへの理解を深めるために
まず理解する―そこから始まる新たな小児がん医療

取材・文:常陰純一
撮影:向井渉一
発行:2008年6月
更新:2013年4月

  
写真:ゴールドリボン

2008年4月10日(土)午前10時。快晴の下、小児がんの子どもたちを支援するために六本木の街を歩く啓発イベント「ゴールドリボンウォーキング2008」(主催:ゴールドリボン事務局)が六本木ヒルズ、アリーナ広場に前年の参加人数の倍をはるかに上回る約3000名の参加者を集め、盛大に開催された。
「ゴールドリボン」は小児がんへの理解と支援の広がりを願う世界共通のシンボルマークでアメリカを中心に多くの団体が啓発、治療研究助成、精神的・経済的支援を行っている。

前回の2倍以上の参加者が集まった

写真:約5キロの距離をウオーキングする参加者の皆さん
約5キロの距離をウオーキングする
参加者の皆さん

その朝、東京の流行発信地六本木ヒルズ(東京都港区)のアリーナ広場では、ふだんはなかなか見ることのできない光景が繰り広げられていた。広場の中央にはゲートがしつらえられ、その周囲にはいくつものテントが張られている。ここそこでジャージやジーンズ姿の家族やカップルがなごやかに談笑している。

まるで地域の運動会のような趣きだ。もちろん、そうした人の輪の真ん中にいるのは、心なしかいくぶんか頬を紅潮させているようにも見えるこどもたちだった――。

午前10時――。

「位置について、はいスタート」

主催者の声に促されて、広場を埋め尽くしていた人たちが、一斉にゲートをくぐって歩き出し始める――。

2008年4月12日、小児がん患者を支援するゴールドリボンキャンペーン事業の一環として、前年に続いて「第2回ゴールドリボンウォーキングチャレンジ」(特別共催アフラック)が開催された。

六本木ヒルズから赤坂地区を周回する約5キロをウォーキングしようというイベントだ。ウォーキングの後には、女優宮崎あおいさんの小児がん患者の参加者への千羽鶴贈呈や医師と患者さんのミーティングなど、盛りだくさんのプログラムが組まれている。あるいは、日ごろなかなか体を動かす機会に恵まれないこどもたちにとっては、文字通りの意味で、運動会のような意味合いがありそうだ。

今回の参加者は一般参加を含めて約3000名――。前回の2倍をはるかに上回る盛況ぶりだ。ゴールドリボン事務局のスタッフで、このイベントを共催しているアフラックの広報部長でもある綾部真琴さんは、ゲートから人波が遠ざかっていく姿を見届けながら「少しずつですが、ゴールドリボンの理念が浸透してきているようです」と声を弾ませる。

小児がんというと誰もが思い浮かべるのが白血病だろう。しかし、実際にはわかっているだけでも47種類のがんがあり、日本では毎年2500人(推定)のこどもたちが、それらの病気にかかっている。現在の患者数は約1万7000人。大人のがんとは違って治癒率が高く、6~7割の患者が病気を克服している。しかし、それでも毎年5~600名のこどもたちが命を落としているのもまた事実だ。

「日本では、まだまだ小児がんの治療体制が整えられていません。治療の中核として用いられる抗がん剤はわずか8種類しかないし、何より、この病気を扱う医師が不足しています。大人のがんに比べると患者数がずっと少ないこともあってか、地方では一般の病気を扱う小児科医ががん治療も行なっているほどで、これではとても十分な治療は行えません。現状を打開するには、地域ごとに治療センターをつくるなどの対策が不可欠です。そのためにも、何より、多くの人たちに小児がんについて理解してもらいたいのです」

こう語るのは、ゴールドリボン運動に参画し、この日もトークイベントに参加している国立がん研究センター中央病院第2領域外来部・小児科医長の牧本敦さんである。

3年前の2月、「国際小児がんデー」の開催を機に、「がんの子供を守る会」やその兄弟組織で、小児がん患者経験者でつくられている「みんな仲間プロジェクト」とともにアフラックがこの運動に参画したのも、同じ思いによるものだ。

「アメリカの小児がんの治癒率は80パーセント以上。それに比べると、日本の治癒率はまだまだ低い。小児がん経験者のQОL向上とともに治癒率をもっと高められればと願っています。そのために少しでも多くの社会的な支援が得られればと思って、活動に協力しているのです」(綾部さん)

成人してから小児がんを発症

写真:ウオーキングチャレンジに参加の親子づれ
ウオーキングチャレンジに参加の親子づれ

午前11時過ぎ――。10時に出発した参加者がポツポツと会場に戻り始めている。何人かに話を聞いた。家族連れでゲートに帰ってきた少年はすでに病気を克服していた。

「中学3年生になったばかり。7年前に横紋筋肉腫という病気を治療しています。今日は家族イベントで、弟と一緒に両親につき合ってあげることにしたんです」と、傍らの男の子と一緒に明るく笑う。

会場中央にしつらえられた特設ステージの脇で休んでいた女性にも聞いてみた。江頭翠さん――。佐賀県出身。2年前東京の大学を卒業した直後に小児がんの一種であるユーイング肉腫を発症したという。成人後に小児がんを発症する稀有なケースだ。その後、国立がん研究センターでの手術、抗がん剤、放射線による治療で小康を得たものの数カ月後に再発、現在も抗がん剤による治療を続けている。

「患者仲間がゴールドリボン運動でがんばっています。私も何とか協力したいと思い、ウォーキングに参加することにしました。2、3日前までは体調が芳しくなかったのですが、こうして歩いてみると、とても気分がいいですね」

現在は、闘病しながら自分の居場所を探しているとも江頭さんはいう。

「大人になってからがんになった人たちは、仕事や家庭があるし、こどもには学校がある。でも学校を卒業してすぐ、がんになった私には帰っていく場所がない。これからいろいろ模索して、自分の居場所を探したいと思っています。今回のイベント参加がそのきっかけになればいいのですが……」

小児がんには、こんな悩みがつきまとうこともあるわけだ。

同情よりもさりげないサポートを

写真:宮崎あおいさんから贈呈された千羽鶴を手にする患者さん
写真:宮崎あおいさんから贈呈された千羽鶴を手にする患者さん
宮崎あおいさんから贈呈された千羽鶴を手にする患者さん

写真:トークイベント
小児がんについてのトークイベントに参加のパネラーの皆さん
(右から佐藤真海さん、根岸智美さんの母、京子さん、牧本敦さん)

江頭さんと話している間に、特設ステージでは宮崎あおいさんの小児がん患者の参加者への千羽鶴贈呈、「和太鼓」実演と、次々にイベントが繰り広げられている。

話を終えて、ふと見上げると、壇上では、小児がんについてのトークイベントが行われていた。参加しているのは牧本さん、小児がん患者で、アテネ・パラリンピックで走り幅跳びに出場した佐藤真海さん、それにやはり小児がん患者で、この夏、北京で開催されるパラリンピックにやはり走り幅跳びで出場することが決まっている根岸智美さんの母親、京子さんの3名だ。一部を抜粋、要約した。

司会 珠美さんの場合はどうしてがんが見つかったのですか。

根岸 学校で視力検査を受けたときに、よく見えなかった。それで眼科医を訪ねているうちに、病院で精密検査を受けたほうがいいといわれ、じっさいに行ってみると、胚細胞性の脳腫瘍が見つかりました。眼科医のなかにはまつげが長すぎるから見えないのではといわれることもあったし、精神的な原因を指摘されることもありました。今、振り返ると、やはり小児がんは、ほとんど理解されていないと感じます。

佐藤 私は6年前、チア・リーグの練習をしているときに、足の骨に痛みを感じました。知らないうちにどこかけがをしたのかしら、と思っていた程度でしたから、骨肉種と診断され、足を切断しなければならないと告げられたときは本当にショックでしたね。ただ私の場合は、それならそれで仕方がない、新しい環境の中で前向きに生きていこうと割り切って考えることができたように思います。

司会 私たちは小児がんの患者さんたちに力をお貸しできればと思っています。じっさいにどうすればいいのでしょうか。

根岸 うちの娘は人から「かわいそうやね」といわれるのが大嫌いです。ふだんはそっと見守っていて、本当に必要なときにさりげなくサポートしていただければと思います。

牧本 そのとおりですね。そして、そのことを実現するためには、もっと社会全体が小児がんについて理解することが必要でしょう。私たち医療の専門家、そして企業、一般市民が互いに協力し合いながら、知識や理解の輪を広げていくことが大切でしょうね。

――牧本医師は、小児がんはすべてのこどもが罹患するリスクを持っているという。他の誰でもない。自らのこどもをも含めた社会全体の問題として、私たちは小児がんについて考えてみる必要があるだろう。そして、そのことこそが小児がん医療を整備していくうえでの出発点になるに違いない。


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