小児がんで苦しむ子どもたちとその家族を救いたい
ゴールドリボン運動のさらなる推進への熱き想い
「ゴールドリボン・ネットワーク」
理事長の
松井秀文さん
小児がんの子どもたちとその家族を支援する「ゴールドリボン運動」は乳がんの早期発見・早期治療啓発活動のための「ピンクリボン運動」に比べ日本では歴史が浅く、患者数も少ないため、まだその認知度は低い。
そもそも「小児がん」については一般の認識も乏しく多くの誤解や偏見を生んでいる。
「がん保険」のアフラックは2006年11月より社を挙げて「ゴールドリボン運動」の推進に力を注いでいる。
なぜアフラックはこの運動に力を入れているのだろうか。
まだまだ認知度の低い「ゴールドリボン運動」
遺児奨学金の募金活動の先頭に立つ松井さん(左端)
一般的に15歳未満の子どもに発症する白血病、脳腫瘍、骨肉腫、悪性リンパ腫など47種類のがんを「小児がん」と呼び、子どもの病死原因の第1位となっている。現在、年間2500~3000人の子どもが新たに罹患しており、いまでも全国で約1万7000人の子どもたちが小児がんと闘っており、治癒率が向上したとはいえ、未だ年間約500~600人の命が失われている。成人のがんに比べて患者数が少ないこともあり、治療法や薬の開発研究がなかなか進んでいない現状も一方にはある。
さらに髪の毛が抜ける、身長が伸びない、透析が必要になる、義足の装着を余儀なくされるなど、さまざまな副作用や後遺症のため日常生活に支障をきたしたり周りの無理解からつらい思いをしたりすることが多々あるという。
そんな子どもたちとその家族への理解と支援のために生まれたのが「ゴールドリボン運動」だ。「ゴールドリボン運動」はアメリカを中心に小児がんに関する団体がゴールドリボンマークを使用し、小児がんの啓発、治療研究、精神的・経済的支援などを求める運動である。わが国では2006年2月に小児がんネットワーク「MNプロジェクト(小児がん経験者の会)」が小児がんシンポジウムを開いたのが最初の活動で、その後、アフラックや財団法人「がんの子供を守る会」、「南魚沼・音楽とゴールドリボンの会」などが独自にシンボルマークを作成しゴールドリボンの普及・支援活動に取り組んでいる。
企業として最初に「ゴールドリボン運動」の推進を積極的に始めたアフラックは「がんの子供を守る会」のゴールドリボン基金への支援や、2007年より小児がん理解促進を目的とした「ゴールドリボンウオーキング」に特別協賛をしている。2008年、六本木ヒルズで開催したイベントには約3000名が参加する盛況ぶりであった。支援の輪は、他の企業や個人などにも広がりを見せ始めている。
しかし、「ゴールドリボン運動」は日本ではその歴史が浅く、「ピンクリボン運動」のようには広く認知されていないのが現状だ。
自戒と反省をこめて運動を日本に定着させることに
そこで、この運動をさらに大きく推進させようとNPO法人「ゴールドリボン・ネットワーク」(東京都新宿区)が2008年6月に設立された。その理事長でアフラック相談役の松井秀文さんにその設立目的と今後の活動方針について話を伺った。
「従来から小児がんに対しては『家族の会』や『経験者の会』などいろいろな活動があったのですが、小児がんを治す薬を開発していくとか、生活の質を高めていくなど、総合的な観点で支援する運動や多くの人に呼びかける運動が少なかった。しかし、日本でもその必要があると考えたのがそもそもの始まりなんです」 2005年の秋だった。「ピンクリボン」のイベントに参加していた松井さんは、そこで、小児がん患児・家族のためのリボン運動を世の中に浸透させることが自分の役目だと改めて思ったという。
「がん保険の仕事をする中で、子どものサポートもしていましたが、私たちがお付き合いしている先生たちは大人のがんの専門の方ばかりだったので、子どもたちのサポートはしているのに小児がんの部分が抜け落ちていたのです」
松井さんは自戒と反省をこめてそう語る。
「日本で活動をするとして、ピンクリボンのような何か象徴的なものを自分たちで考えようと思いました。ところが、当時の社会公共活動推進課の担当者が調べたら、既にアメリカには『ゴールドリボン』というものがあるとわかったのです」
それならば、その「ゴールドリボン運動」を日本に導入し定着させていくことが大切だと考え、早速ゴールドリボンのバッチ作りから始めた。まず社内と代理店に1000円で寄付を募ったら「あっ」という間に1200万円が集まった。
「社員たちや代理店の方たちが一体となって社会貢献に協力するというのがこの会社の素晴らしさであり、強さなのです」
アフラックのなかに社会貢献の社風が定着している証拠でもある。しかし、アフラックだけの活動では経済的にも社会的にも自ずと限界がある。もっと広範な支援と広がりを求めて松井さんはNPOを立ち上げたのだ。
松井さんはこのNPOが取り組むべき課題は3つあるという。
「小児がんは種類が多いわりに患児の数が少ないので抗がん剤の開発が遅れています。それをサポートして小児がんをできるだけ治る病気にしたいというのが1つ。もう1つは小児がんは治癒しても半分以上の人が何らかの障害をもって生活していると言われています。この人たちのQOL(生活の質)を向上させる研究支援等も大切だと考えています。3つ目は小児がんという病気自体があまり知られていないため子どもたちが偏見や差別を受けていることがあります。そのためには小児がんの実態をもっと多くの人々に知っていただく必要があります。この3つの目的を柱に財団法人『がんの子供を守る会』等ほかの小児がん支援団体とも連携しながら活動に取り組んでいこうと思っています」
患者家族の手記に衝撃
松井さんは、なぜこれほどまでに小児がんの子どもたちとその家族のための支援に情熱を注ぐのか。松井さんは大学卒業後、川崎製鉄に就職、その後、損保会社に転職し、その1年目の73年秋、現在、アフラック最高顧問の大竹美喜さんからアフラックの「がん保険」の認可申請に協力してほしいと要請された。
しかし、今のように転職が当たり前ではない時代に続けて2回も転職するのはどうなのだろうかと迷い悩んだ。そんなとき、松井さんはある手記に出会った。それは「がんの子供を守る会」の会員で銀行員の父親が綴った数ページにわたる手記だ。
「その方のお嬢さんが2歳半から6歳まで白血病と闘って亡くなられたのです。当時、白血病は副腎皮質ホルモンの大量投与ぐらいしか治療法がなく、治癒率は数パーセント、不治の病とされていました」
手記には治療費が月に15~20万円かかり、父親から借金したり、会社から退職金の前借りしたりしてしのいでいると書かれてあった。昭和42年から45年のことだ。
松井さんは衝撃を受け、当時新橋にあった「がんの子供を守る会」の事務所を訪ね、他の会員の手記を読ませてもらった。その手記の中には、子どもの治療のために家を売ったという人までいて、松井さんはさらに衝撃を受けた。
「がんは病気との闘いであると同時に、経済力の闘いでもあるということを強く認識させられたのです」
このような子どもたちや家族のために何とか力になりたい。そこで、松井さんはアフラック設立に参画することを決断する。松井さんの原点はここにある。だから、松井さんがアフラックの社長になったとき、社会貢献プログラムの柱として「アフラック・キッズサポートシステム」を作り上げるのだ。
アフラックのキッズサポートシステムとは、「公益信託アフラックがん遺児奨学基金」と「アフラックペアレンツハウス」を基幹事業としている。
アフラックは1995年、がんで父母を亡くした高校生が経済的な面で進学を断念することがないようにとの思いから「公益信託アフラックがん遺児奨学基金」を立ち上げたのを皮切りに、2001年、小児がんなど難病治療のため首都圏の専門病院に長期入院や通院する子どもたちとその家族を支援する「アフラックペアレンツハウス」事業に着手する。
もう1度、生きてみようと思った
最後にNPOのホームページのトップに掲載してある絵について尋ねてみた。
「私たちも子どもたちの描く絵という手段でいろんな想いを伝えていければと考えて、今回NPOのために描いてくれた子どもさんの作品を載せているのです」
松井さんはいう。「2000年から毎年、アフラックでは財団法人『がんの子供を守る会』と協力して『小児がんの子どもたちの絵画展』を全国各地で開催してきています。何年か前ですが第一生命のギャラリーを借りて絵画展を開催したとき、絵の前で1時間以上、立ち続けていた男性がおり、私はその彼のことが気になっていました。彼が立ち去った後、ノートにはこう書かれていたのです。『自分は自殺を考えていたが、この子たちの絵をみてもう1度生きてみようと思った』と。がんと闘っている子どもたちの健気さが人の命を救ったのだと思いました」
この絵画展は、2008年からは、絵画だけでなく折り紙なども加え、「ゴールドリボン 心のメッセージ展」として続いている。「ゴールドリボン運動」が世間に認知され小児がんで苦しむ子どもたちや家族が救われる日が1日も早く来ることを願って止まない。
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