がんの転移はここまで解明されている
がん転移のメカニズムとは、打開策はあるのか
東京大学名誉教授
東京医科歯科大学
分子腫瘍医学非常勤講師の
渋谷正史さん
がん治療において、がん転移の問題は常にひとすじ縄では解けない大きな課題となってきた。がんの転移はどういうタイミングで起こるのだろうか、どのように始まるのか……。
がんの転移に対する疑問は次から次へとわいてくる。現在、こうしたがん転移のメカニズム、そして食い止める策は見つかりつつあるのだろうか。
東京大学名誉教授の渋谷正史さんにお話をうかがった。
転移しない腫瘍と転移する腫瘍がある
がんは悪性腫瘍と呼ばれることがある。この悪性腫瘍という言葉が何を意味しているのか、ということから話を始めることにしよう。がんの転移について理解するためには、まずここから整理していく必要があるようだ。東京大学名誉教授で分子腫瘍学が専門の渋谷正史さんは、転移のメカニズムを解説するに当たって、腫瘍とは何か、良性・悪性とはどういうことか、ということから説明してくれた。
「腫瘍というのは、まわりの状況に関係なくどんどん増殖してくる病変のことです。正常組織なら、一定の大きさにしかなりませんが、腫瘍は増殖し続けるのが特徴です」
確かにがんは腫瘍なのだ。だから、どこまでも増殖を続ける。しかし、腫瘍のすべてががんというわけではない。腫瘍には、良性腫瘍と悪性腫瘍とがあり、良性腫瘍はがんとは呼ばれない。さて、良性と悪性を分けているのは、どのような性質なのだろうか。
「悪性腫瘍は離れた臓器に転移したりする性質を持っています。そのため、最終的に患者さんの命に関わる状況になるので、悪性とされているのです。それに対し、良性腫瘍は転移を起こしません。その場で大きくなるだけなので、ある程度の大きさになれば本人も気づきますし、手術で取り除いてしまえば、それで完治したことになります」
どうやら、良性腫瘍の良性とは、転移などを起こさない性質のことらしい。代表的な良性腫瘍である子宮筋腫を考えてみると、転移しなければ怖くないということがよくわかる。子宮筋腫も腫瘍だからどんどん大きくなるが、たとえ大きくなっても、手術で取り除いてしまえば、きれいさっぱり治ってしまうのだ。
その点、悪性腫瘍と呼ばれているだけあって、がんは転移を引き起こす。転移を起こさなければ、子宮筋腫と同様、大きくなるまで放置しても構わない。
しかし、がんの場合、放置すると、大きくなるだけでなく、離れた臓器に転移を起こしてしまう。こうなると治療が難しく、命に関わるような状況を招いてしまうことになる。
がんが良性腫瘍と違って怖い病気なのは、転移を起こすからなのだ。――ということは、転移を防ぐことができれば、がんは怖い病気ではなくなるのかもしれない。
新しい血管ができて転移しやすくなる
がんは転移する性質を持っているが、がん細胞が誕生したときから、その性質を持っているのだろうか。もしそうなら、がんはどんなに小さな段階でも転移を起こしそうだが、実際にはそうでもないようだ。
「がんがいつから転移する性質を持つかというのは、非常に難しい問題で、はっきりしたことはわかっていません。ただ、がんであっても、多くのものは、小さな段階では転移しません。がんの種類にもよりますが、だいたい直径1センチ前後までは、転移していないことが多いですね。もちろん例外もあって、たとえば膵臓がんは、小さくても転移が起こり、1センチの段階では、まず間違いなく転移が起きています。
しかし、そういった例外を除くと、がんはある程度の大きさになってから、転移する性質を持つようになると考えられます」
小さなうちは転移が起きず、ある程度の大きさになってから転移するようになるのはどうしてだろうか。実は、がん細胞をとりまく環境に、変化が起こってくるのだという。
「がんの直径が数ミリより小さいときは、組織の中にある普通の血管を流れる血液から、酸素や栄養を受け取っています。しかし、もう少し大きくなると、がんのかたまりの中に新生血管という新しい血管ができ、そこを流れる血液から酸素と栄養を取るようになります。こうなると、流れ込む血液が多くなるため、がんの増殖はそれまでより速くなります。また、がんのかたまりの中にたくさんの新生血管ができることにより、がん細胞が血流に乗って流れて行きやすくなります。つまり、新生血管がたくさんできることが、がんが転移するようになる1つの原因になっているのです」
普通の血管から栄養を取る
普通の血管から新しい血管ができ、
そこから栄養を取る
がん細胞が新生血管に入り込み、やがて血流によって運ばれる
がんの転移は、がん細胞が運ばれていく経路によって、大きく2つに分けられる。がん細胞が血液に乗って運ばれる血行性転移と、リンパ液で運ばれるリンパ行性転移である。血行性転移は、がんのかたまりの中に新生血管ができることによって、起こりやすくなるのだ。
「新生血管を作るのに、がんは血管新生因子と呼ばれるタンパク質をたくみに利用しています。血管新生因子にはいろいろな種類がありますが、なかでも重要な働きをしているのがVEGF(血管内皮増殖因子)です。がんがこの因子を放出することで、新生血管ができてきます」
VEGFにはいくつかのタイプがあるのだが、がんの血管新生に深く関わっているのは、VEGFファミリーの中のVEGF-A。この因子は、胎児の血管が形成されるのにも関わっているという。
がんはある程度大きくなると、あたかも突然スイッチがオンになったように、血管新生因子を出し始める。それによって、がんのかたまりの中に新生血管ができ、血行性転移が起こるようになるのだ。
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