鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

「無理しない・我慢しない・がんばらない・自然体」で行こうと思うようになりました 女優・倍賞千恵子 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2012年2月
更新:2019年7月

  

「寅さん」の妹・さくらが乳がんと脳動脈瘤を患って最近、思うこと

SKD(松竹歌劇団)から映画界に転身し、「男はつらいよ」シリーズで寅さんの妹・さくらを演じた倍賞千恵子さんは、10年前、乳がんの手術を受けた。倍賞さんが乳がんを乗り越えた背後には、名曲「下町の太陽」に通底する、下町特有の明るさがあった。「ほどほどがいい」という心境に辿り着いた倍賞さんに、「がんばらない」「いいかげんがいい」の鎌田實さんが聞いた――。

 

倍賞千恵子さん

「最近は何事も、ほどほどがいい、ですね」
ばいしょう ちえこ
昭和16年、東京都北区生まれ。童謡歌手SKDを経て、昭和36年、松竹映画にスカウトされ、映画デビュー。山田洋次監督の「下町の太陽」に主演以来、山田作品に欠かせない女優となり、「男はつらいよ」シリーズ49本に、寅さんの妹・さくらとして出演した。主な出演作品に「家族」「故郷」「幸せの黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」「駅 STATION」など。また歌手として、「下町の太陽」「さよならはダンスの後に」「さくら貝の歌」「忘れな草をあなたに」などのヒット曲がある。平成17年に紫綬褒章受章

 

鎌田 實さん

「がんばったり、がんばらなかったり……。いいかげんが大事です」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

患者さんと握手すると自分が励まされる

鎌田  私の『がんばらない』という本がドラマ化されたとき、妹の美津子さんに私の奥さん役をやっていただきました。私の病院やその周辺にしばらく滞在され、ロケをされましたよ(笑)。

倍賞  そうでしたか。お世話になりました(笑)。

鎌田  倍賞さんは2001年冬に乳がんが発見され、乳房温存手術を受けられたわけですが、がんのことを語られるようになったのは、2005年ぐらいからですよね。

倍賞  私、隠していたわけじゃないんです。訊かれれば答えていました。その後、山田邦子さんたちとスター混声合唱団を立ち上げようとしていたときに、邦ちゃんもがんになって、いろいろ相談を受けたんです。それがきっかけとなって、自分のがんについてお話するようになりました。

鎌田  ピンクリボン運動などに参加し、乳がん患者さんを助けなければと思って、ひと肌脱いだということかなぁと思っていました。

倍賞  そんな大上段なものではありません(笑)。ただ、スター混声合唱団に入って、病院のロビーなどで歌うと、入院中の患者さんたちがとても感動してくださるのです。そういうときに、その場をお借りして、私の乳がんの体験談をお話させていただくことが多くなりました。話を終わって、患者さんたちと握手をすると、とても力強く握り返されます。病院に行くたびに、むしろ私たちのほうが励まされるくらいです。

北海道で雪かきをし乳がんが発見された

鎌田  2001年に北海道で雪かきをしたときに、肩が凝ったのがきっかけで、乳がんが発見された。

倍賞  はい。雪かきをした日の夜、横になったら、何だか腕が痛いんです。あまり気にはしていなかったんですが、翌日、目薬が切れたので、中標津の病院に行きました。ちょうどエコーが専門の先生だったので、「先生、私、ここにしこりがあるんです」と言うと、すぐに診てくださいました。そして、「レントゲンも撮ったほうがいいね」と言われ、日曜日をはさんで月曜日に、レントゲンを撮ってもらいました。

一応、レントゲン撮影が終わったと思ったら、「気になるところがありますから、アップを撮ります」。はっきりおっしゃらないので、「何なんですか」と訊くと、「乳がんらしきものがあります」。主人が「5段階でどれくらいですか」と言うと、「3です」という答えでした。そして、注射器で細胞を……。

鎌田  細胞を取って調べる細胞診ですね。

倍賞  「それではっきりするんですか」と訊くと、「(がん細胞に)当たればわかります」(笑)。「えぇーっ!」という感じでした。それで、細胞を取ってもらって、留萌のほうに仕事に行きましたが、結果が気になって、気になって、食事もまずくて喉を通らないくらいでした。留萌から帰って、結果を聞きに行ったら、「何もありませんでした」。私も主人も涙を流さんばかりに喜びました。

しかし、やはり気になって、東京の主治医の先生にも診ていただこうと思い、中標津の病院で調べた私の資料をいただいて東京に戻り、診ていただきました。先生は触診してすぐ、「チコちゃん、これは20パーセント、がんの可能性があるね。ちゃんと調べよう」と言われ、調べてもらったら、「やっぱりある」ということでした。

鎌田  東京の病院では生検をしたんですね。

倍賞  取りました。それで、がんであることがわかり、ある大学病院を紹介していただいて、翌日、入院しました。そして、あらあらと思っているうちに手術が終わり、10日で退院でした(笑)。

鎌田  乳房温存手術でしたね。

倍賞  はい。その後、後々のために放射線治療もやったほうがいいということで、放射線治療に通いました。

鎌田  ホルモン療法、抗がん剤治療は?

倍賞  ホルモン剤は一時のみましたが、合わないので止めました。抗がん剤はやっていません。

手術台で涙ながら歌った「下町の太陽」

鎌田  手術のとき、手術台で歌ったそうですね(笑)。

倍賞  家族に「バイバイ!」と言って手術室に入ると、看護師さんが「何か音楽でもかけましょうか」と言われるので、「クラシックでも」とお願いしました。そこへ男性の先生たちが入ってこられて、「どうですか?」と声をかけてくださいました。「大丈夫ですよ」と答えると、ひとりの先生が、「ぼく、倍賞さんの歌、好きでねぇ」と。「じゃあ、歌いましょうか」と、「下町の太陽」を歌ったんです(笑)。

鎌田  そのときはもう手術台の上?

倍賞  そうです。「下町の太陽」を歌っているうちに、麻酔が効いて意識が朦朧としてきて、気がついたときには、手術は終わっていました(笑)。

鎌田  麻酔はアッと言う間に入りますからね。でも、その先生、患者さんを乗せるの上手ですね。

倍賞  でも、看護師さんの手を握りながら歌っているとき、突然不安になって、ボロボロ涙が出てきたことは覚えています。そこまでは、ちゃんと歌ってました。

鎌田  プロフェッショナルだなぁ。

倍賞  私、4年ほど前に、動脈瘤りゅうもやっているんです。そのときも手術台で歌いました(笑)。「ICU」という私の歌があるんですが、「♪点滴、はずしましょう~」という歌詞があるんです(笑)。「点滴はずしちゃっても、いいじゃない。世界の誰よりもあなたを愛しているんだから」という内容の愛の歌なんですが、手術台で歌うにはふさわしくない歌でしたね(笑)。

鎌田  おもしろい人だな。笑ってはいけないけど、笑っちゃう。カテーテルによる治療ではなく動脈瘤の手術をされた?

倍賞  破裂する前に手術を受けました。私そのころ、レジの前で2度も続けて財布を落っことしたんです。そのことを友人に話したら、「それっておかしいねぇ。1度脳神経外科へ行って診てもらったほうがいいよ。私も一緒に行ってあげるから」と言われました。それで軽い気持ちで彼女と一緒に中標津の脳神経外科に行き、CTを撮ってもらいました。結果を聞きに行ったとき、彼女は「大丈夫だった~」と笑顔で出てきたんですが、私は「どちらで手術をなさいますか」と言われ、「はぁーっ?」と(笑)。

CT画像を見せていただきましたが、あちこちにポチョン、ポチョンと瘤こぶが写っていました。先生は「切らなくてもいいんだが、たしかに瘤はあるし、やったほうがいいかな」と言われました。それでまた、CTの写真などのデータをもらって来て、東京で手術を受けたんです。

鎌田  瘤の大きさは何ミリぐらいだったんですか。

倍賞  6~7ミリだったかな?

鎌田  手術するかどうか、微妙なところですね。

倍賞  絶対破裂しないとは言えないわけですし、瘤があることがわかってしまったわけですから、手術してもらおうかなと思いました。

鎌田  手術はカテーテルを入れて?

倍賞  (大腿部の付け根を指さして)ここから入れてもらって……。

SKDに入ってから歌と踊りに熱中した

鎌田  そのときも頼まれて、歌を歌ったんだ。

倍賞  いえ、そのときは自分から、「歌、もしよかったら歌います」と言って(爆笑)。

鎌田  いいな、いいな。こういうの最高。サービス精神が旺盛なんですね。

倍賞  「あなた、いい加減にしなさい」って、主人に言われたんですけど(笑)。

鎌田  歌が好きなんですね。

倍賞  好きですね。私は5人兄弟姉妹の次女ですが、3人姉妹のなかで、いちばん歌が好きなのは姉です。カラオケに行くと、マイクを放さないタイプです。ただ、姉は歌の才能はありません。いちばん声質が良いのは私、男性のような低いキーで、声質が悪いのが妹(笑)。

鎌田  倍賞さんはひところ、いい歌をいっぱい歌っていましたよね。

倍賞  キングレコードに所属して、いっぱいレコーディングしましたから。「下町の太陽」「さよならはダンスの後に」、それから昔から歌われていた「さくら貝の歌」「忘れな草をあなたに」などがヒットし、テレビでも歌いました。

鎌田  古い話ですが「さくら貝…」は、昔、歌声喫茶で歌ったことがありました。

倍賞  「さくら貝…」や「忘れな草…」は、私の歌のように思っている人もいらっしゃいますが、昔からある歌です。そうしたヒット曲は、今でもコンサートなどで歌っています。

鎌田  もともとSKD(松竹歌劇団)で歌って踊っていらっしゃったんだから、歌も踊りもお手のものだ。

倍賞  歌も踊りも、好きになったのはSKDに入ってからですね。ただ、SKDも自分で選んだ道じゃなかったんです。SKDに入る前から童謡歌手をやっていたんですが、みんな両親が選んでくれた道です。SKDに入って歌って踊っている間に、こんなに面白いことないなって思いました。ダンス、ギター、三味線、タップ、クラシックバレエ……、ありとあらゆるレッスンを受けましたが、それが面白くって、面白くって、本格的に好きになりましたね。そして、歌って踊っているうちに、映画界からスカウトされて、映画の道に入ったわけです。

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