鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

がん体験、父の死を機に歌で一緒に人生を語り合えるようになりました 歌手・園まり × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
発行:2012年1月
更新:2019年7月

  

父・母・姉ががんに罹ったベテラン歌手が自らも乳がんに罹り、
歌手生活50周年を迎えた今、想うこと

今から約半世紀前、「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何も云わないで」など、相次いでミリオンヒットを飛ばした園まりさん。中高年にとっては、忘れられない女性シンガーのひとりである。園さんは4年前に乳がんと診断され、手術をした。更年期症状の不整脈にも悩まされ、苦悩の数年を送ったが、乳がん体験によって、歌心を一段と深めた園さんに鎌田さんが迫る――。

 

園まりさん

「一緒に人生を語り合えるのが歌手、音楽は素晴らしいと思えました」
その まり
昭和19年、横浜市生まれ。本名、薗部毬子。10歳で安西愛子に師事し、同31年、童謡歌手としてデビュー。同36年、渡辺プロダクションに入社し、翌年、中尾ミエ、伊東ゆかりと『スパーク3人娘』を結成。シャボン玉ホリデー(日本テレビ)などに出演。その後、「何も云わないで」「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「愛は惜しみなく」など、大ヒットを飛ばし、甘く囁くように歌う歌唱法で一世を風靡した。平成24年、歌手生活50周年を迎えテレビ、ステージ、ボランティアと多方面に活躍の場を広げてゆく

 

鎌田 實さん

「東北再生を応援するため、一緒にボランティアに行きましょう」
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、お年寄りへの24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

更年期症状の診察から乳がんと診断されるまで

「がんの多い家系なので、私もがんになるだろうと思って怖かった」と話す園さん

「がんの多い家系なので、私もがんになるだろうと思って怖かった」と話す園さん

鎌田  園さんはがんの多い家系だそうですね。

園  そうです。まず母が直腸がんになり、次に父が肺がんになり、そのあと姉が甲状腺がんになりました。ですから、遺伝子的に言って、私も絶対、がんになるだろうと思っていました。怖かったですねぇ。

鎌田  最初は更年期障害のような症状があって、ホルモンの薬を使った後に、一応がんの検査をしておこうと。

園  最初、更年期症状の改善を図るために婦人科を訪ねたら、先生からホルモンの錠剤を飲む療法や、ホルモンを補充するパッチをお腹に貼る療法を勧められました。でも、ホルモン療法は子宮頸がんや乳がんのリスクもある、と聞いていましたし、更年期症状がそんなに強いものではなかったものですから、当初、ホルモン補充療法はちょっと、と躊躇したんです。そこで、治療を始める前にがんの検診を受けることになったのですが、驚いたのは、乳がんの担当が婦人科ではなかったことです。

鎌田  そうなんです。女性の病気はつい、婦人科って思いやすいですね。一般的に、子宮がんや卵巣がんは婦人科で、乳がんは乳腺外科や胸部外科といって外科が担当します。

園  検診では、子宮がんは何ともなかったのです。乳がんのほうは、検診の予定日に、NHKの生放送の仕事が入ってきて、それを口実に逃げたんです。あぁ、良かったと(笑)。

鎌田  子どもみたいですね(笑)。

園  乳がんが発見されるのが怖かったんですね。結局、乳がん検診は半年遅れました。半年後になぜ乳がん検診を受けたかといえば、ホルモン剤の補充を1年間続けましたが、その間に、左胸の付け根が時々、ズキッと痛むんです。この痛みは何なんだろうと不安でした。

鎌田  お風呂に入ったときに、自分で触ってみる習慣は?

園  なかったんです。自分で触って、変なしこりが見つかったりしたら、イヤじゃないですか(笑)。

鎌田  おもしろい人だなぁ。病気があってもそっとしておきたいんだ。

園  そう。結局、触診ではわからなかったのですが、レントゲンを撮ったときに、右胸にいびつな影が写っていたんです。普通、陽性だったら、丸い感じの影が写るんですが、私の場合、いびつなへっこみが写っていて、その場で、「これは悪性の可能性がある」と言われました。その後、超音波、マンモグラフィをやり、最後にMRI(核磁気共鳴画像法)をやって、はっきりと、「乳がんです」と言われました。

リンパ節を取るときメスの音が聞こえた

鎌田  その診断された病院で手術を受けたんですか。

園  いえ。その前に、セカンドオピニオンを受けるべきだと思って、知り合いの方の紹介で、聖路加国際病院の中村清吾先生のところへ行きました。中尾ミエさん、伊東ゆかりさんとの3人娘のクリスマス・ディナーショーが終わった翌日、浅草にある中村先生の分院を訪ねました。平成19年の暮れのことです。そのとき、レントゲン写真をお持ちしたんです。中村先生は見た瞬間、「これは乳がんですね」と。ドキッとしました。中村先生の診断が最終判断だと思っていましたから……。それで、年明けからの仕事のスケジュールが頭に浮かび、「何とか早めに手術をお願いできれば、ありがたいんですけど……」とお願いして、1月初旬にリンパ節の細胞を取って検査を行いました。

鎌田  センチネルリンパ節生検ですね。

園  もうお正月も何もあったもんじゃない、という感じでした(笑)。リンパ節の細胞を取るときは、局所麻酔ですから、メスの音が聞こえるんですよ。ワァーッという感じでしたが、とても上手にやっていただいたので、終わったときは、ひとつの関門を乗り越えた気がしました。

鎌田  臆病なんですか。

園  (低い小声で)そうですねぇ。怖がりですねぇ(笑)。その後、左胸も診ましょうということで、MRIなどで調べていただいたら、「何だか、左にも影がある」ということでした。両方とも無くなっちゃうのかと思いました。そして、これも局所麻酔をして、大きな注射針のような器具で、左胸の細胞を吸い取っていただきました。

鎌田  細胞を取るのは痛かった?

園  怖かったですね。終わったあと、吸い取った部分を見せていただきましたが、ぶら下げられた姿は、まるで生のソーセージでした(笑)。その結果は1週間後に電話で教えていただくことになっていましたが、先生がお忙しいのか、なかなか電話がつながらず、悪いほうに考えちゃいました(笑)。

鎌田  やはり患者さんは悪いほうに考えるんだね。もう両側ともダメだと思った?

園  先生も困っちゃって、電話に出られないんだろうと(笑)。やっと電話が通じると、「大丈夫だったよ。良性だったよ」……、ホッとしました。あとで聞くと、乳腺症でした。

乳がんの切除手術は3泊4日で終わった

鎌田  それで、本番の手術はどうでした?

園  1月24日に入院し、25日に手術して、3泊4日で退院しました。幸い、早期の乳がんでした。ただ、私の場合は充実性乳がんで、触診ではわかりにくい乳がんです。手術の前までは、胸を切り取られる恐怖とはどんなものなんだろうと、とても不安でしたが、手術はアッという間に終わりました。麻酔が切れたとき、中村先生が手を洗っていらっしゃる姿を、冷静に見ることができました。先生から「無事に終わりましたよ」と言われたとき、本当に安心しました。

鎌田  手術は思った以上に簡単だった。

園  簡単でしたね。3泊4日で帰ることができたんですから。

鎌田  でも、最初に更年期症状で病院へ行き、その後、がんと診断されてから、手術に至るまでの日々は、やはり気分的に暗かったんでしょう?

園  それはそうですよ。手術直前には、精神的に不安定だったからでしょうか、血圧が急に180台に上がりました。

鎌田  ふだんは高くないんですか。

園  普通なんです。それが急に180台まで上がり、ナースの方が、「これは脳血栓か心筋梗塞の恐れがあるかも」と心配していました。嘘でしょう、これじゃあ私、踏んだり蹴ったりじゃないの、って思いましたよ(笑)。

鎌田  乳がんになるまでは、ずっと元気だったんですか。

園  元気でした。若いときに精神的な胃潰瘍になったことがありますが、薬は飲まなかったですね。胃カメラは、いちばん細い管でもノドを通らず、「痛い、痛い」と言って逃げ出しました(笑)。歌手なのに、声帯が細いらしいです。あとは、親と一緒に暮らしていましたから、3食きちっと摂って、ずっと元気でした。ただ、家族が次々にがんになっていく様子を見ていて、うちの家系はこってり系の食事、洋食系が好きだったのかな、と思いました。

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