上手につきあうための悪心・嘔吐の管理術講座
悪心・嘔吐のメカニズムを理解しよう
つくだ まもる 横浜市立大学大学院医学研究科・医学部教授。 昭和50年横浜市立大学医学部卒。 専門は頭頸部がん。 神奈川県立がんセンター勤務を経て、現在横浜市立大学大学院医学研究科にて教授をつとめるほか、横浜市立大学医学部付属病院にて耳鼻いんこう科部長として診療にも従事している。 |
医学研究科頭頸部生体機能
病態医科学教授の
佃 守さん
悪心・嘔吐は生体の大切な防御反応のひとつ
がん化学療法による副作用の苦痛度をがん患者を対象に調査し、それを経年的に比較したデータがあります。これによると、20年前から現在まで変わらず悪心・嘔吐は苦痛度の高い副作用となっています。それだけがん化学療法の患者は、長い間にわたり受けた悪心・嘔吐に悩み続けてきたわけです。
症 状 | 1983(*1) | 1993(*2) | 1995(*3) | 98-00(*4) |
---|---|---|---|---|
嘔吐 | 1 | 9 | 3 | 11 |
悪心 | 2 | 2 | 1 | |
食欲不振 | 12 | 15 | ||
治療への不安 | 4 | 4 | 7 | |
家族・パートナーへの影響 | 10 | 6 | 8 | 1 |
仕事や家事への影響 | 11 | 8 | 4 | |
全身倦怠感 | 13 | 7 | 10 | |
うつ状態 | 14 | 5 | 9 | 12 |
(*2)Griffin AM, Butow PN, Coates AM, et al:Ann Oncol 7(2);189-195,1996より改変
(*3)de Boer-Dennert M, de Wit R, et al:Br J Cancer 76(8);1055-1061,1997より改変
(*4)Carelle N, Piotto E, Bellanger A, et al:Cancer 95(1);155-163,2002より改変
※ 表中の図表は苦痛度の順位を表す。
この悪心・嘔吐の定義について、佃守さんは次のように説明します。
「悪心(おしん)という言葉は、あまり一般的ではありませんね。悪心とはつまり「吐き気」のことです。そして嘔吐は「吐く」ことです。これらを専門的には「悪心・嘔吐」と表現します。この悪心・嘔吐は、毒物に対する生体の反応を考えればわかりやすいです。たとえば腐った食べ物を食べて吐いてしまう、というのがわかりやすい例ですね。これは生体が持っている防御反応なのです」 つまり、人間が生まれながらにして持ち合わせている、大切な反応といえます。
「自分の体に合わないものが生体に入ってきた場合、まず第一関門としてそれらをブロックするのが舌です。
舌の奥には苦味などを感じる中枢があり、そこで体に合わないものをブロックする、つまり「吐く」ことになります。では第二関門はというと、今度は小腸にある細胞が反応します」(佃さん・以下同)。
悪心・嘔吐のコントロールが確実な化学療法のキーポイント
この大切な生体反応も、がん化学療法の副作用で強い悪心・嘔吐が発生した場合はときに大変危険な状態になることもあります。
「強い嘔吐を放っておくと、人体から水分や電解質が奪われるとともに、めまいや脱力、血圧低下といった症状が現れて大変危険な状態にさらされます。がん化学療法の進歩の歴史は、この嘔吐による電解質異常と脱水、吐き気がきっかけとなる患者さんの不眠などをいかに克服するのかについての研究の歴史でもあるのです」
「悪心・嘔吐により状態が悪化したり、つらい状況が続いて治療への気力を失ってしまうことが、化学療法の完遂を妨げる大きな要因になることもあります。化学療法を安全かつ確実に行い、治療を成功させるためには、悪心・嘔吐などの副作用を可能なかぎり軽減する必要があります」
がんの化学療法はがんの領域や進行の程度によって、効き方が異なります。化学療法が奏効するがん種であっても、化学療法を最後まで完遂できなければ治療後の状態や予後が悪くなってしまいます。そのため定められた薬剤を設定された期間で完遂することが大きな目標になります。
ですから化学療法の完遂を妨げる悪心・嘔吐の克服は非常に重要となるわけです。
フェレットが教えてくれた悪心・嘔吐のメカニズム
実は、吐くという現象が生体の中でどのように引き起こされるのかがわかったのは、ごく最近の話なのです。
「面白いことに、吐くという動作をする生物の系統図があり、高等動物になるほど吐くようになります。人体の仕組みや薬剤の効果を確かめるための動物モデルとして、昔からマウスが使われていましたが、実はマウスは嘔吐の感受性が低く、あまり吐きません。そこで1983年ごろからフェレットというシロイタチが嘔吐のモデルとして使われるようになり、徐々に悪心・嘔吐発現のメカニズムがわかってきたのです」
研究の初期のころは、抗がん剤が体内に入るとまず直接吐き気の中枢を刺激するのではないか、と考えられていました。しかし、最近は小腸にあるクロム親和性細胞(EC cell)と呼ばれるものが、抗がん剤によりダメージを受けることがわかりました。
ダメージを受けたECcellはセロトニンという物質を放出。これが末梢の迷走神経上にある5-HT3受容体に取りこまれます。その刺激が末梢の迷走神経にそって、脳の第4脳室最後野にある化学受容器引金帯(CTZ)を介して延髄に入り、悪心・嘔吐の命令を生体に出す嘔吐中枢を刺激する。こうして「悪心・嘔吐」が発現するのです。
また、最近になってわかってきたのがサブスタンスPと呼ばれる物質です。これも化学療法を開始すると神経終末から放出され、タキキニンNK-1受容体に取りこまれたあと同様にCTZから延髄の嘔吐中枢を刺激することがわかってきました。
これらは、船酔いや車酔いが耳の神経から刺激が伝わって悪心・嘔吐が発生するのとはまったく異なった、がん化学療法独特のプロセスなのです。
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