同じ時に入院した仲間や同病の患者と会を作る

がん検診を受けたから、今の私たちがある

「ひめやしの会」代表 田山地幸子
発行:2013年1月
更新:2013年4月

  

ひめやしの会
連絡先
TEL:0985-39-1260、
FAX:0985-39-1253
〒880-0122宮崎県宮崎市塩路2782-59

気軽に受けた検診で子宮頸がんが見つかる

思えば41年前、40歳が近いから、という気軽な気持ちで受けた巡回検診車の子宮がん検診が始まりでした。精密検査結果は「子宮頸がん」と、思いもかけないものでした。検診で早く発見できたことが幸いだったと、今では思っています。

検診から手術まであわただしい1カ月を過ごし、子宮と卵巣全摘出は5時間半もかかりましたが、6名の方から輸血を頂き、無事成功しました。

術後の経過は順調で、個室から6人部屋に移ることになりました。同室の方々とは同じ病気ということで、すぐに打ち解けることができました。さまざまな年齢でしたので、姉妹のような関係で、退院後も診察日を合わせて、帰りには食事をしながら、病気のことや日ごろの生活の愚痴や、自慢話など楽しく語り合う交流が続きました。

5年後、8人で温泉に1泊旅行に行った折、「婦人会の団体旅行ですか! とても楽しそうですね」と尋ねられました。そのとき誰かが大きな声で「いいえ、私たちがんグループですよ」。がんを克服できた喜びもあって、みんなで大笑いしました。30年過ぎても友達付き合いは続いています。

私が入院している間は、家族や周囲の温かい協力のおかげで治療に専念できました。しかし、術後さらに放射線治療を1日15分ずつ、合計32回受けなければならず、早々に退院とはなりませんでした。白血球数が低下すると治療が中断されるので、ときどき休みながらの治療となり、退院予定日も思うようにはいきませんでした。

当時小学生の娘が「お母さんのうそつき。何日になったら帰ってくるの」と、寂しさに耐え切れず発した言葉に胸が痛み、返事に困りました。

入院生活100日、ようやく退院できることになったときは、本当に嬉しかったことを覚えています。

平成3年に15名でひめやしの会を結成


「子宮頸がん予防の日」として、毎年4月9日は街頭キャンペーンを行っている。街頭キャンペーンでは、「早期発見早期治療」の大切さを伝え続けている

家は種苗店を営んでいるので、お客様に笑顔を心がけましたが、術後、更年期のような障害で、ときどき体調を崩すことがありました。気分転換に以前から好きだった鶏を飼うことにしました。日本愛玩鶏協会に入会し、チャボ3羽を飼い始めました。好きな鶏を見ていると頭痛が治り、日本中に鶏友ができました。

心にゆとりができたころ「宮崎がんを語る会」主催の講演会に参加しました。このことがきっかけとなり、多くの子宮がん患者の方々と知り合うことができました。この仲間たちと一緒に、平成3年11月に子宮がん経験者の会「ひめやしの会」を結成。当時、畑中あきえ代表と共に会員として会の活動に参加していました。会員は15名でした。

この会では、早期発見早期治療の大切さを伝えるために4月9日(子宮)を「子宮がん予防の日」街頭キャンペーンを毎年開催しています。

また、この会では結成以来「電話相談」として子宮がんに関する悩みなどを電話で受け付けています。自らの体験がお役に立つことを生きがいにして、楽しく頑張っています。

平成18年3月、第2回がん患者大集合が東京NHKホールで開催され、宮崎からひめやしの会3名が出席しました。木佐貫アキエさん、吉浦紘一さん、私・田山地幸子で、初めての全国大会でした。がん患者の方々や講師の方々と有意義な話ができ、会場は熱気で時間がすぎるのもわかりませんでした。

木佐貫アキエさんは、このときすでに肺がんで苦しんでおられましたが、夜の食事会にも出席されました。ここでは、今までとは違った賑やかさで、私たちも飲んで食べてあまりの賑やかさに、この人たち本当にがん患者なのかと元気の良さにびっくりでした。

次の日、宮崎に3人とも元気に帰りました。その後、4月9日のキャンペーンのとき、木佐貫さんはがんが進み入院されていたので、旦那さんが手伝ってくださいました。5月に木佐貫アキエさんがお亡くなりになりました。とても寂しく思いました。

平成19年4月ためしてガッテン「知って安心、子宮がん徹底予防術」に私がでましたが、とにかく何をしゃべったのか覚えていません。テレビなのであがってしまいました。でも人のためになればと思い、出演させていただきました。

検診のありがたさを感じながら


4月9日のキャンペーンのために、ボランティアの方々と一緒に用意したスターチスの花

36年過ぎたころ、入院時からの友人を訪ねて写真を撮り、皆さん元気で良かったと語り合いました。これも明るく、心を1つにして生きてきたからです。

子宮がんと共(友)に36年。私たちは昭和46年の夏、子宮がんになって出会った病室の友達、年齢は違っても「がん」という同じ病気で死を覚悟してどうせ短い命なら、せめて気持ちだけでも明るく楽しく接しようと、旅行や温泉に遊びに行き、集まるごとに愚痴や自慢話に花を咲かせて36年。家族の協力によって生きてきました。今もみんな元気ですが、年が年ですので、口だけは達者ですが、足や腰は弱くなってきました。

私たちは子宮頸がん検診を受けて、早期発見早期治療ができました。検診のありがたさを身にしみて感じました。検診で子宮頸がんを発見してから、今はもう41年。私も80歳になりましたが、生きている限り、尊い命をいただき何なりと人の役に立ちたいと思っています。

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