あけびの会
人の温もりを大切にし、 肺がん患者が勇気と自信を 持てるようにサポートしていく

文:藤井婦美子
発行:2005年4月
更新:2013年7月

  
藤井婦美子
代表の藤井婦美子さん

秋田県から肺がん撲滅を目指して

みなさんは病院へ行って「進行がんです。なぜもっと早く来なかったんだ」と言われたらどうしますか。健康だと自負し、銀座に料理店をかまえる傍ら、好きなスポーツにいそしんでいた兄がこの世を去って8年になる。享年52歳だった。東京の某病院で何日か過ごし、秋田に住む私を頼って来たときはまさに死顔だった。兄とその妻は私の目から見て、まさに「がん難民」だった。私の胸の中にはいつもこの光景が去来している。

そして私も肺がんと診断される。忘れもしない1999年8月、職場(病院)で「保健所に届けるため調べていたら、2年前の検査で主任さんがC型肝炎と結果が出ている」と内科の師長から言われた。2年前の検査結果に……知らなかった。B型肝炎は陰性という結果だったので、C型が陽性だったら当然結果が来ると思っていた。後悔してももう遅い。その年の12月から、インターフェロンの治療が秋田大学病院で始まった。副作用はとてもつらくて、まるであの世とこの世を行ったり来たりしているようだった。45本目にきて身体が悲鳴をあげだした。先生は、「これで中止にしましょう。何本やらなければならないというものではないから」と言った。

その1カ月後、職場の健診があり、私の胸部写真には淡い陰影の病巣が写っていた。それが肺がんの早期発見につながり、再び秋田大学病院にまいもどることになった。私の仕事は看護師、担当してくれた内科の先生は「婦美ちゃん、これは早期がんだからしかるべきところで手術すれば、88歳まで生きられる。しんぺいね(横手弁)」と言ってくれた。そして写真と紹介状を持って秋田大学呼吸器外科へ。

診断から告知、そして胸腔鏡での手術。これまでの自分はみんなに見守られ、幸せだったとつくづく思った。でも不安や孤独を感じたのは、退院してからだった。誰かと話したい、誰だろう、そうだ同じ病気を体験した人に会いたい。その思いから「同じ病気の患者同士が体験を語り合い、励まし合うことで、不安や心配を少しでも軽減したい」と、県内で初めての肺がんネットワーク「あけびの会」を立ち上げた。あけびを割って開くと、両肺にとても似ている。中に入っている無数の種は、希望の種。ツルはしなやかで強く、籠の材料にもなる。あけびのように「希望の種」をたくさん持ち、そのツルのようにしなやかで強い患者会にしたい、という想いを込めた。

あけびの会の活動は

(1)年2回の講演会
講師を務めてくれる秋田大学呼吸器外科の南谷佳弘先生の話はとてもわかりやすいと評判で、いつもご協力いただき感謝している。また秋田要約筆記の皆さん、秋田県南介護サポート「かがやきネット」の皆さんのご協力があればこそ、この講演会を成功させることができた。

(2)2カ月毎の患者、家族会
患者や家族でいろいろなことを話し合う。私が目指すのは患者同士が情報交換を重ねて、孤独感を軽減するとともに、病気と闘うあるいは上手につきあう術などを身につけるグループ療法だ。

そのためにファシリテーター(よい方向へ持っていくための指南役)の認定書をもらったり、がん患者と家族のためのサポートグループを運営していくための勉強を続けている。

(3)電話相談
電話相談では自分の病気体験と看護師としての専門性をいかしている。傾聴スキルをみがくように心がけ、前向きになれるようなアドバイスをするようにしている。手紙もよくいただくが、これは長い時間待っていただいていることが多い。

このほか、(4)他会との交流(5)新聞投稿(6)ホームページの公開などをしている。

ある日、「命を売っているところをしりませんか?」という手紙を受け取った。人は人の温もりを求める。このようなとき医療は単なる道具でしかあり得ない。「良く死ぬことはよく生きること」という言葉があるが、患者会はこの言葉の延長線上にあると思っている。私たちの患者会では、一度死の方向から生を見つめた仲間たちが、互いに情報交換をし合い、支え合い、死とどう向き合っていくか考えている。

これからも希望はあけびの種のように無数にあると信じて、活動を続けていきたい。昨年度は県からの助成を受け、講演会を行った。今年の秋も地域と行政と一体になり、「秋田県から肺がんを無くそう 肺がん撲滅を目指して!」をスローガンに、講演会を構想中だ。

秋田県肺がんネットワーク あけびの会

代表・藤井婦美子
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