オーストラリアがん瞑想セミナー体験記
“至福体験”を日本にも広めたい

文:寺田佐代子 乳がん患者会「わかば会」代表
発行:2006年9月
更新:2018年11月

  

寺田佐代子さん

てらだ さよこ
1956年6月12日生まれ。私立南山中高、短大卒業。現在愛知県刈谷市在住。30代は児童英会話教室の講師。40歳から施設にて介護職員。43歳のときに乳がんになり手術。術後は、訪問介護ヘルパーとして週に2日程度働いている。2003年3月に乳がん患者会「わかば会」を発足し、現在に至っている。


私がイアン・ガウラーを知ったのは、手術を受ける前だったような気がする。私は乳がんの手術を1999年12月に受けた。左乳房を全摘、リンパ節も取った。浸潤性乳管がんで、リンパ節転移はなかった。術後は抗エストロゲン剤のタモキシフェンを5年間服用。放射線治療、抗がん剤治療はなかった。しかし、術後「がん」への恐怖や不安感が消えることはなかった。

手術を受け、「これからどうやって生きていこう」という悶々とした悩みのなかで、ガウラーのプログラムに、漠然とではあるが、行きたいなあと思っていた。ところが術後7年目、50歳を前にして「絶対行きたい」という思いが強くなった。現地にメールを書き、受け入れてもらった。今思えば無我夢中で、冒険的な飛び込み方だった。

2006年5月22日。私はガウラーのプログラムに参加するため、オーストラリアに旅立った。

がんサバイバーのイアン・ガウラー

写真:セミナーのプログラムと小冊子
セミナーのプログラムと小冊子

イアン・ガウラーは骨肉腫で右足を切断、そして半年で転移・再発。「2~3週間の命」と医師に言われたが、自ら考え出したメディテーション(瞑想)を実施。がんは消えた。発病から30年。メルボルン郊外で、がん患者対象に「10 days Life & Living」を主催し、セミナー用のGawler Foundationと呼ばれる宿泊施設をもつ。がん患者のセルフヘルプグループの先駆け者である。

5月22日午後2時、空港からチャーターバスに乗った。現地に到着したとき、イアン・ガウラーは玄関で出迎えてくれた。私は彼に駆け寄り、英語で自己紹介をした。彼は「Welcome! Sayoko! You speak good English.」と私の肩を抱き、微笑んでくれた。

実際に会ったガウラー氏は実に素晴らしい存在だった。笑顔が素敵。彼が熱心にがん患者にコミットするのは、彼のプログラムががん患者のQOL向上に役立っている。しかも何人ものサバイバーがいることから、「もしかしたらアナタも救える」という、がん仲間への愛が原点にあるように感じた。ピアサポート(患者同士の支え合い)。がんを克服した自分の体験を、多くのがん患者に伝えたいと願っていた。

「10 days Life & Living」プログラムに参加して

写真:カンガルーの親子と仲間たち
カンガルーの親子と仲間たち。この大自然には心から感動した

写真:メディテーション
メディテーション。サンクチュアリと呼ばれる瞑想部屋

写真:Gawler Foundationの広大な庭で
Gawler Foundationの広大な庭で

素晴らしい大自然のまっただ中にGawler Foundationはあった。広大な敷地に野生のカンガルー、小鳥もたくさんいた。朝の空気は新鮮だった。そんな中で1日目が始まった。参加者は私を入れて36人。そのうちがん患者は31人。5人の方がパートナーと一緒に参加している。まだ手術前の方が4人。多くは術後1~2年の方だった。

メディテーション(meditation)。この聞きなれない言葉。座禅やヨガに似ている。目を閉じ、静かに力を抜いて、体の緊張をほぐす。次に、心の中の思いや迷いを吐き出し、良いイメージに集中し(好きな景色とか)、ゆったりすることだった。メディテーションの時間は45分ほど。やってみると案外簡単で心地よい。「サンクチュアリ」と呼ばれる、窓からの光があふれている瞑想部屋で行う。音楽を流すこともあった。1度は、ハープの生演奏のなかで行った。

体験してみてやっとわかった。 「究極のリラックス」「自分で自分を癒すこと」「どこでもできる」「心を自由に解放する」「体を自然にバランスよく保つ」そういうことだった。

ガウラーはこのメディテーションでがんを克服したが、その医学的根拠は立証できていない。しかし彼は、瞑想によって自分の細胞の隅々までリラックスさせると、筋肉の緊張がほぐれ、免疫力が上がると言っている。

「さあ、目を閉じて……」という合図と「さあ、目をあけて……」という声かけはガウラーやスタッフが行い、みな一緒に瞑想した。私は1度だけ「真っ青な空」をみた。たしかに「瞑想の世界」だった。たった数秒だったが、とても美しく感動的な景色だった。それ以後、「あの空が出てこないかな」と期待しながら、瞑想の時間を楽しみにしていた。ガウラーに「それが瞑想の楽しみのはじまり」といわれたが、確かにそう思った。

メディテーションは庭でも行った。指導者のもと、体を動かしながら(太極拳のような)、大地と空を感じながら腹式呼吸で行った。セッションで座っている時間が多いので、真っ青な青空に真っ白な雲が流れゆくなか、体を動かすのが気持ちよい。空気もおいしく、周りの景色も素敵なので、本当に気持ちのいいものだった。

自分の気持ちが明確に

写真:セッションは毎回、この部屋で行われた
セッションは毎回、この部屋で行われた

セッションは1日3回。ある日のセッションを紹介しよう。

「今あなたの心で恐怖となっているのは何ですか?」「今あなたがしてみたいことは何ですか?」というテーマについて、ペアを組んで交互に5分間話す。1人が話している間、相手は聴くだけ。これを3回。時間にして30分ぐらい。

思っていることを吐き出すと、自分の気持ちに気がつく。漠然としていた不安が具体的になり、したいことが明確になった。そのあと、ガウラー自身の話を、おもしろおかしく10分程度。

その日のセッションの最後に 「あなたが、あと3カ月で死ぬといわれたら、何をするか10個書きなさい」と言われた。がん患者に向かってそんなことをズバリ言われると、「えっ!」と思うが、ガウラーはがんを克服した人。健康な人が言うのと受け取り方が違う。最後にペアになり、書いたことを発表し合う。私も「そうか、私はこういうことがやりたいのだな。ひとつずつ実現させていこう」と思った。

このようなセッションがテーマを変えて毎日あった。何かを教えるのではなく、参加者に自問自答させながら、気づきをうながし、成長させていくやり方だった。テーマは他に「愛」「死の準備」「イメージ」「good thinking」などについてだった。

プログラムのスタッフはガウラーの他に常時3人いた。あとは、特別なセッションをするために、医師、栄養士、オペラ歌手も訪れた。

プログラムは朝から晩まで、実に無駄のない時間配分。そして、がん患者のニーズに答え、効果的に患者の気持ちを引きあげていく。それは緻密に計算され尽くしたもの。がん克服者のガウラーだからこそ創造できた内容だと感じた。

そしてその目的は、がん患者が自らの心の内にあるものに気づき、仲間たちと分かちあい、話し合い、「生」とか「愛」について考える。自分の人生を「がんだから……」といって諦めたり、嘆くだけではいけない。自分の心をときほぐし、メディテーションによって心身をゆったりと癒し、ポジティヴにイメージし生きることを大事にしてほしい……ということだった思う。最初はがん患者特有の暗く憂いのある顔の参加者も、日を追うごとに笑顔が増え、顔つきさえよくなっていった。


医学的症例解説

イアン・ガウラーに関する症例報告が The Medical Journal of Australia(オーストラリア医学雑誌)、第2巻、433ページ(1978年)に掲載。

男性患者は、25歳時に骨肉腫に対する大腿中部での下肢切断術を受け、その11ヶ月後に受診した。直径約2cmの大きさの骨様腫瘤を肋骨、胸骨および腸骨稜に認めた。そして、血痰を伴う咳を伴っていた。患者は、痰の中に細かい骨が混じっているように感じると訴えた。両肺に肉眼的なサイズの陰影が確認された。専門医に余命2~3週といわれていた。患者は職業柄(獣医師)、自分の病気の病理や予後をよく理解していた。その後2年半たった現在、患者は他州に引っ越して、もとの職業を再開した。

この若者は異常なほどに強い生への望みを有し、通常の医療以外のさまざまな代替医療の助けを求めてきた。針治療、マッサージ、フィリピン信仰療法の受講、按手(手を置くこと)、インド式ヨーガなどである。彼は短期間の放射線治療と化学療法を受けたが、それらの治療を中断し、ドイツ人医師、マックス・ゲルソンにすすめられた食餌療法・浣腸療法を続けた。この治療は、1940年代の米国で悪評を得た代物だった。これらに加えて、彼は前述したメディテーション(瞑想療法)を厳格に維持した。事実、彼は毎日1~3時間の瞑想を実行していた。

あと2つの要因が重要と思われる。彼は、その後妻となる女性から篤い支援とサポートを受けていた。彼女は彼の感性や必要性にとても感受性豊かであり、彼の瞑想とマッサージ・按手による癒しを手助けして何時間も一緒に過ごした。

今ひとつ重要な要因は、彼自身の心の状態である。私が出会ったいかなる東洋の神秘論者にも勝る、たぐいまれな心の穏やかさを有していた。何が転移を消褪させたのかという私の質問に対して、彼はこう答えた。「それは私たちの命だと思います。私たちの命を経験する道のりです」。いいかえれば、患者は強く深い瞑想の効果を彼自身の命の経験すべてに注ぎ込んでいたように思われる。多くの観察者にとって、彼には不安感が異常に少ないことが明白だった。このことが、副腎皮質ホルモンのレベルを下げて彼の免疫系を活性化していると考えられた。

アインスリー・メアレス
(Ainslie Meares, M.D.)

[この報告ののち、彼は活動性のある腫瘍性病変がないことを宣言された]

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