鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談
こんなに望んでくれていたら、生きなきゃいけない 阿南里恵 × 鎌田 實
仕事が楽しくて仕方なかった23歳のとき、子宮頸がんを宣告されたら
ベンチャーのマンション販売会社で颯爽と働き始めた23歳のOLが、ある日、突然、子宮頸がんを宣告され、術前化学療法のあと、子宮全摘手術を受けることに――。現在、がん患者さんへの啓蒙活動をボランティアで行っている阿南里恵さん。術後11年、鎌田さんと闘病生活の苦悩について語り合ってもらった。
1981年、東大阪市生まれ。2002年に自動車整備士の専門学校を卒業。本田技研工業に入社。04年にベンチャー系の不動産販売会社に転職。同年、子宮頸がんを告知され、術前化学療法を経て、05年に子宮全摘手術、放射線治療を受けた。その後、08年にイベント会社グローバルメッセージを設立、日本対がん協会広報担当を経て、現在、日本がん・生殖医療学会の患者ネットワーク担当を務めている。著書に『神様に生かされた理由』(合同出版)
がある
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数
大企業が合わなくて ベンチャーの不動産会社へ
鎌田 23歳の若さで子宮頸がんを宣告されたとき、どんな気持ちでしたか。
阿南 宣告された時点では、子宮頸がんなんて全く知らないわけです。子宮頸がんの「頸」が何を意味するのかもわかりませんでした(笑)。でも、親がすごく動揺したので、大変なことなんだと。
鎌田 最初、不正出血が続いたとき、何となくおかしいと思った?
阿南 実は、そのとき仕事を変わったばかりで、とても忙しいときでした。
鎌田 それまで勤めていた本田技研工業を辞めて、マンションの販売会社に移ったんだけど、なぜホンダのような大企業を辞めちゃうの(笑)。
阿南 入社してすぐ、東京に配属が決まり、大阪から出てきたんですが、配属された部署にやり甲斐を感じられなくて……。大企業って働きたい部署へ行けるかどうか、定年までわからないじゃないですか。自分の人生を会社に握られていていいんだろうか、本田宗一郎がいるような会社へ行きたいと思ったんです。
鎌田 なるほど。だから町工場時代の本田宗一郎がいるような、ベンチャーのマンション販売会社に入ったんだ。このマンション販売会社は良い会社だったようだね。
阿南 勤務形態は完全にブラックです(笑)。
鎌田 でも楽しかったということは、ブラックを阿南里恵の色に変えちゃうの?
阿南 いや、もう楽しくて、楽しくて。会社から帰るときには、早く会社へ行きたくて、早く明日にならないかと思いました。
鎌田 勤務形態はブラックでも楽しいというのは、何が楽しくさせていたんだろう。
阿南 社長がカリスマで、完全実力主義でしたから、みんなが必死に仕事をしていました。学歴に関係なく、やる気と努力が評価されますから、若い社員にとっては、楽しかったですね。
不正出血が1カ月間続き クリニックで子宮頸がん宣告
鎌田 その会社でやり甲斐を感じて、夢中で仕事をしているときに不正出血をした。そのとき、クリニックに行く前にまず考えたことは?
阿南 とても忙しかったので、最初は生理が少し遅れているのかなと思っていました。しかし、1カ月間出血が止まらず、量も増えてきたので、これは悪い病気だなと思い、病院へ行ったら案の定でした。医師全員が女医さんという銀座のクリニックでしたが、すぐに子宮頸がんと診断されました。
鎌田 先日、全国32のがん専門病院でつくっている全がん協会が、がんの10年生存率を発表しましたが、その中で子宮頸部がんの10年生存率は73.6%でした。手術から10年生きれば、ほぼ完治したと考えていいと思いますが、阿南さんは手術から何年経ちましたか。
阿南 もう11年です。ただ、子宮がんは10年生存率だけでは比較できないと思います。というのは、子宮頸がんはかなり早期に子宮全摘手術になる病気で、若い女性に多いんです。私が20代で苦しんだように、全摘手術を受けた若い女性は、生きる希望を失ったまま生きていかねばならないわけですから。
鎌田 そうだね。それで、銀座のクリニックで子宮頸がんと診断され、その後の治療は大阪の病院だったんですね。東京の病院で手術をし、手術後すぐに大好きな会社に復帰したかったけれども、ご両親が地元の病院を望まれた。
阿南 主治医にもそれを薦められましたから、仕方なかったんです。今、郷里は地方にあって東京で暮らしている若いサバイバーの仲間たちの中に、東京で治療する選択をした人が何人かいますから、私もそういう選択ができたんじゃないかと思います。大阪で治療していた頃は、病院と自宅を行ったり来たりする生活で、本当に孤独でした。その間、何度も何度も東京に出てきました。
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