【第二十二時限目 ドクターハラスメント】
もう黙っていられない。医師からの患者への暴言・暴力

発行:2005年8月
更新:2013年4月

  

私の友人Kさんが大学病院で乳がんの告知を受けたときのことです。

検査の結果、直径6ミリの初期がんであることがわかりました。浸潤性である可能性を考えても、今の医療水準なら乳房温存療法は十分に可能な範囲です。

「全摘ではなく、温存でいきたいんですけど……」

恐る恐る切り出したKさんに、主治医はこう言ったそうです。

「最近は雑誌やテレビを見て、“何が何でも温存がいい”と思い込んで来る人が多いんですよ。そういう人にはニュートラルな状態になってもらわないとね」

そう前置きして、先生はもっぱら乳房全摘のメリットを延々と説明したそうです。「“温存1本やり”の患者の思い込みをなんとしても正さねば!」という正義感に駆られてのことなのでしょうか……これでは患者はニュートラルな気持ちになどなれようはずもない。おかげでそのKさんは、すっかり全摘に傾いちゃったわけです。

その後、手術前日に2回目の話し合いがもたれました。私も頼まれて同席したのですが、
「彼女はがんについて原稿を書いたり講演もしたりして、けっこう詳しいんです」とKさんが口を滑らせたとたん、先生の顔色が変わりました。

「なんでも質問してください。なんですか、質問はッ!」

「詳しい」という言葉にカチンと来たのか、何を聞いてもケンカ腰。そうこうするうち、トンデモナイ発言が飛び出した。

「乳房を部分切除する場合は、放射線をかけて抗がん剤治療はしないというお話ですが、もし転移があった場合は……」

「がんは発見された段階では、転移しているんですッ!」

そして追い討ちをかけるように、こう言ったのです。

「がんは治りません。あなたもがんに関わる仕事をしているんだったら、ココんとこ、ちゃんとわかっといてくださいねッ!」

私は唖然としました。

患者の希望を砕く言葉

がんはたしかに完治が難しい病気です。でも……がんを宣告された友人の前で、「転移している」とか「がんは治らない」なんて無神経な言葉、絶対に言ってほしくなかった。

がんを告知された患者さんは、ただでさえ大きなショックを受けています。それなのに「治らない」なんて医師に宣言されたら、それこそ絶望的な気分になってしまう。「いつかは治る」という希望があるからこそ、患者はがんと闘えるのです。それなのに、「明日は手術」という日に、わざわざ患者にストレスを与える必要がどこにあるのか。最初から希望をくじくようなことを、どうして言えるのでしょうか。

病院での話し合いの後、Kさんすっかり落ち込んで、ポツリとこう言いました。

「わかった。私、全摘するよ」

――私はなんともやりきれない思いに襲われました。来院した患者を勝手に“温存療法の信者”と決めつけ、一方的な情報を与えて全摘手術へと“誘導”する。しかも患者の目の前で「がんは治らない」などと暴言を吐く。考えたくないことですが、私が「がんに詳しい」と紹介されたのを見て、「素人が何言ってんだよ」と思ったのかもしれません。大病院の医師としてのプライドが逆なでされたのでしょう。

だからといって暴言で患者を傷つけるなんて……。これこそ“ドクターハラスメント”じゃないでしょうか?

そう思って知人や友人に聞いてみると、出てくる、出てくる、ドクハラの体験談。そこで今回はドクターハラスメントについて考えてみたいと思います。

ブランド病院で蔓延するドクハラ

元癌研究会付属病院の外科医でキャンサーフリートピア代表の土屋繁裕さんは、ドクターハラスメントを「患者さんの心にトラウマ(心の傷)を遺すような医者や医療従事者の暴言、行動、態度、雰囲気などすべて」、と定義しています(『ドクターハラスメント』扶桑社刊)。土屋さんによれば、「ドクハラはブランド病院で蔓延している傾向」がある、というのですね。

大病院に長くいると、医師の感覚が麻痺して患者を人としてではなくモノとして見るようになってしまう。その結果、「自分の言葉が患者をどれほど傷つけているのか」「そのことが社会常識に照らしてどれほど異常なことなのか」に無知・無自覚な医師が大量発生してしまう。

一方、患者のほうも、たとえドクハラにあったとしても、それを「しかたのないこと」とあきらめてきた。この不健康な構図は、従来の「医師中心の医療」がもたらした歪みといえるのではないでしょうか。

医師の何気ないひと言に心を傷つけられた経験は、私にもあります。

私が子宮がん手術を終え、後遺症の排尿障害に苦しんでいたときのこと。排尿訓練をしても、最初はなかなかオシッコが出ない。そこで導尿ドレーンで膀胱から尿を出して数値を測るのですが、あるアメリカ帰りの若い先生がこう言うんです。

「なかなか数値が減らないですね。ダメですよ」

(そんなこと私に言われても……膀胱に言ってよ!)

そう言いたいのをグッとこらえましたが、この先生、アメリカ帰りのせいか、どうも日本語がヘタクソなんですね。

「残尿測定はあと何回すればいいんですか?」と私が質問すると、先生は「1日おきです」と言う。

1日おき、と言われても通算で何回測るかはわからない。そこでもう一度聞くと、「だから1日おきと言ってるでしょ。もうオシッコの話はしたくないの!」。思いがけず先生に怒られて、私はシュンとなってしまいました。

どうも彼は、「1日おいて、あと1回だけ測る」と言いたかったらしいんですね。でも「1日おき」と「1日おいて」じゃ全然意味がちがうじゃないですか! 自分の乏しい言語能力を棚に上げて怒られたんじゃ、患者もタマッタものじゃありません。

ちなみにこの先生、周りの患者さんにも評判が芳しくない。

これは、やっぱり子宮がんで入院していたAさんの話。手術が終わって「術後の性生活」に話が及んだとき、この先生、なんて言ったと思います?

「今は腟が小さくなってるけど、ご主人が使えば伸びますよ」 ……ですって。

Aさん、さすがに目が点になったそうです。先生もきっと悪気はなかったのでしょう。照れ隠しか、冗談めかして言ったほうが患者の気が楽になるとでも思ったのか。でも患者が現実にイヤな思いをしている以上、これは立派なハラスメント。ドクハラとセクハラの相乗効果でそれだけ罪が重いってことが、どうしてわからないんですかね。

しかし、コトががんの告知や治療にからむと、笑い話ではすまなくなります。がんは死と表裏一体の深刻な病気。それだけに、ちょっとした医師のひと言で、患者は大きなプレッシャーを感じて立ちすくんでしまうのです。乳がん患者のBさんは、全摘と温存のどちらの治療法を選択するかで悩んでいるとき、医師からこう叱られたそうです。

「命と美観と、どっちが大切なんですか」

患者の命を助けたい、という医師の熱意はわかります。でも、今では温存療法も進歩し、全摘と比べても生存率や再発率はほぼ変わらない、との臨床結果も出ていると聞きます。命はもちろん大事ですが、患者にとっては術後のQOLだって大事なのです。治療法の選択に悩む患者を非難するような言い方だけはやめていただきたいものです。

「もう年ですから、という言葉で片付けて欲しくない」と訴えるのは、がん患者の父を持つCさん。Cさんのお父様は85歳でがんを発症したのですが、主治医は「もう年ですからね」と、半分あきらめたようなことを言う。たとえ高齢でも、Cさんにとっては大切な親御さんです。

「父に少しでも快適な時間を過ごしてもらえるような治療やケアをしてあげたい」と思うのは当然のこと。その努力を医師自ら放棄しているような気がして、Cさんはなんとも不愉快な気持ちにさせられたといいます。

こうしてみると、ドクハラのかなりの部分が「言葉の行きちがい」から生まれるといえそうです。でも、単に言葉に気をつければ何とかなるなら、まだ話は簡単です。ことがインフォームド・コンセントに絡むと、話はもっと複雑になります。

これは乳がん患者のDさんの話。Dさんは進行がんが発見されて全摘手術を受けることに。手術前の説明で、医師はDさんにこう言いました。

「あなたのがんは5段階中の4段階で、かなり進行しています。余命は半年ぐらいでしょう」

あまりにストレートな告知に、Cさんは大きなショックを受けました。人間の余命など誰にもわからないはず。にもかかわらず、病状だけならまだしも、余命まで患者本人に告げる必要があるのでしょうか。医師は告知の義務を果たしたつもりかもしれませんが、言われた本人はたまりません。一方的に余命宣告を行う無神経さこそ、最大にして最悪のドクハラだと言われてもしかたがありません。

これは極端な例ですが、がんの告知は難しい問題をはらんでいます。患者として主体的に病気に取り組むには、自分の病気のことは正しく知っておきたい。だからと言って、あまりにも遠慮会釈なく告知されると、患者さんの感情的な許容限度を超えてしまう可能性がある。インフォームド・コンセントも行過ぎるとドクハラになりかねない。それだけに、この問題は医師と患者双方でよく話し合っていく必要があると思います。

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