赤星たみこの「がんの授業」

【第二十七時限目】痛みケア(2) 心の痛みへの安易な励ましは、かえって患者さんを苦しめる

監修●高宮有介 昭和大学病院横浜市北部病院呼吸器センター講師
構成●吉田燿子
発行:2006年2月
更新:2019年7月

  

赤星たみこ(あかぼし・たみこ)●漫画家・エッセイスト

1957年、宮崎県日之影町(ひのかげちょう)のお生まれです。1979年、講談社の少女漫画誌『MiMi』で漫画家としてデビュー。以後、軽妙な作風で人気を博し、87年から『漫画アクション』で連載を始めた『恋はいつもアマンドピンク』は、映画化され、ドラマ化もされました。イラストレーターで人形作家の夫・新野啓一(しんの・けいいち)さんと、ご自身を題材にした夫婦ギャグをはじめ、あらゆるタイプの漫画で幅広い支持を得ていらっしゃいます。97年、39歳の時に「子宮頸がん」の手術を受けられ、子宮と卵巣を摘出されましたが、その体験を綴ったエッセイ『はいッ!ガンの赤星です』(『はいッ!ガンを治した赤星です』に改題)を上梓されました。

前回はがんにともなう身体的な痛みのケアについてお話ししました。しかし、一口に痛みと言っても、物理的に体で感じる痛みだけがすべてではありません。がん患者さんは、ときには体が感じる以上に、心に深い痛みを感じることがあるものです。

ところが、心が感じる痛みというのは往々にして見過ごされがちです。がんにともなう体の痛みはケアできても、心の痛みは患者さん自身もなかなか気がつかないことが多いのです。

しかし、私たちが想像する以上に体と心は深くリンクしています。ある緩和ケア医の先生から、こんな話をお聞きしました。

「患者さんが抑うつや怒りなどの感情を抱えこんでいると明らかに病状は悪くなります。モルヒネを投与して体の痛みは軽減しているはずなのに、相変わらず痛みを訴えるお母さんがいる。よくよく話を聞いてみたら、家に残してきた幼児のことが心配でたまらず、それが体の痛みとなって感じていたのです」

1990年にWHO(世界保健機関)は「痛みやその他の症状のコントロール、精神的、社会的、さらには霊的問題の解決が緩和ケアのもっとも重要な課題」であり、「緩和ケアの目標とは、患者と家族にとってできるかぎり最高のQOLを実現すること」だと定義しました。これをきっかけに、今ではすべての痛みを総合的にケアする「全人的ケア」についての意識も高まってきています。

では、がん患者の方々は、どのような心の痛みに悩まされるのでしょうか。それに対して、家族や周囲の人はどのように対処していけばいいのか。今回はそれについて学んでみたいと思います。

がんに伴う4つの痛み

緩和ケアでは、がんの痛みを、(1)身体的な痛み、(2)精神的な痛み、(3)社会的な痛み、(4)スピリチュアルな痛みの4つに分類しています。そのうち心の痛みは、(2)~(4)に分けられる。ただし、明確には分けることはできず、それぞれの要素は重なり合っています。それを前提に、それぞれどのような特徴があるかをご説明しましょう。

「精神的な痛み(psychological pain)」とは、患者さんが感じる怒りや否認、絶望感、死への恐怖や不安などのことを言います。がんの告知を受けると、多くの患者さんは「どうして私だけこんな病気になってしまったのかしら」と怒りを感じたり、「自分ががんだなんて信じられない」と現実を否認したい気持ちに駆られたりします。また、病状や先行きに対する不安に苛まれたり、何もする気がなくなって抑うつ状態に陥ったりすることもあります。これを緩和ケアでは「精神的な痛み」と呼んでいます。

しかし、患者さんの苦痛は心理的なものだけにとどまりません。がんを患うことで、自分が社会人や家庭人としての役割を十分に果たせなくなってしまう。そのことが患者さんに大きな痛みをもたらす場合があります。これが「社会的な痛み(social pain)」です。

たとえば働き盛りの男性が職を失ったり、志半ばで仕事をあきらめたりせざるをえない無念さ、社会的な地位を失ってしまった苦しみ、小さな子供がいるのに世話できないお母さんのつらさ。社会や家庭で生き生きと活躍していた患者さんが役割を果たせなくなることの痛みは、当事者でなければわからないものがあります。

社会的な面で感じる痛みは、それだけではありません。がんとの闘病は経済面でも重大なロスを引き起こします。一家の大黒柱が病気になって収入がとだえたり、治療費がかさんだりして家計が逼迫してしまう。こうした過酷な現実も患者さんを大いに苦しめます。

私の場合、がんの告知を受けたとき最初に考えたのは「今やっている連載の延命ができたかも!」ということ。ちょうど、そのころ仕事面で迷いが出て、何をやっても「今ひとつだなー。そろそろ連載を打ち切られるかも」と内心恐れていたのです。そこにがんが発覚。ふと頭をよぎったのは、「がんになった漫画家を切るような非道なマネはさすがにしないだろう。これでしばらくは食いつなげる!」という考えでした。転んでもタダでは起きない貧乏性というか、この際、がんをとことん仕事のネタにしてやろう、というさもしい考えです。「社会的な痛み」というよりがんを逆手に取った不埒な例……。でも、今思うと、異常なほどの前向きさは、がんの告知に押しつぶされないために、なんでもいいからすがりたいと思ったのかもしれません。

スピリチュアルな痛みは人を深めることも

ところで、がん患者さんは時として、「精神的な痛み」や「社会的な痛み」だけでは説明のつかない深い苦しみに襲われることがあります。それが「スピリチュアルペイン(spiritual pain)」と呼ばれるものです。

スピリチュアルペインは、日本語では霊的・宗教的な痛み、実存的・哲学的な痛み、魂の痛みなどと訳されていますが、どれもぴったりと来ないので、そのままスピリチュアルペインと呼ばれています。

「なぜ自分はこの世に生まれてきたのか」「死後の世界はあるのだろうか」「自分の生きてきた意味は何だろう」――自分には限りある時間しか残されていないと知ったとき、人は生と死の意味に直面せざるをえなくなる。しかし、こうした痛みは人間存在の根底にかかわるものだけに、“正解”もなければ“特効薬”もない。しかし、スピリチュアルペインに直面したことがきっかけで自分なりの死生観を再構築し、健康なときには到達できなかったような心境に至る人もいる。ここが人間の不思議なところです。

私の場合は初期がんで転移がなかったこともあって、深刻なスピリチュアルペインに悩まされることはありませんでした。逆に私は、手術で入院しているとき、魂が浄化されているように感じたのです。「私がここに生きているのは周りの人のおかげだ」と思えて、あらゆるものに対する感謝の念が次から次へと沸いてきて……。ペイン(痛み)というより、スピリチュアルジョイ(喜び)という感じですね。それがずっと続けば私も素晴らしい人格者になったのに、その心境も退院して半年で雲散霧消。夫に言わせれば「2週間で消えたよ」だそうです。

しかし、こうした心の痛みに対して、緩和ケアの臨床現場ではどのようなケアが行われているのでしょうか。

緩和ケアの教育カリキュラムでは、患者さんが「精神的な痛み」に苦しんでいる場合、まずは「傾聴」することが推奨されています。患者さんの話にじっくり耳を傾け、患者さんが何に不安や心配を感じているのかを知り、共感する。そして、病状や予後についても理解できるように説明をする。さらに必要とあれば、精神科医に相談して、抗不安薬や抗うつ薬を処方するなどの方法がとられます。

「社会的な痛み」に対しては、より現実的な対応が必要となります。たとえば経済面で困っている患者さんには、医療ソーシャルワーカーが医療費補助の相談に乗る、在宅ケアを望む患者さんに対しては在宅ケアのコーディネートを行う、など。また、家族関係が患者さんの悩みの原因になっている場合は、家族に対してカウンセリングを行うこともあります。

では「スピリチュアルペイン」に対してはどのようなケアが行われているのでしょうか。

死に直面して患者さんの魂そのものが病んでいるとき、患者さんの苦しみは容易なことでは癒されません。「家族に迷惑をかけながら生きていても意味はない。もう死んでしまいたい」と嘆く患者さんに対して、「そんなこと言わずにがんばりましょうよ」と安易な励ましを言っても、かえって患者さんを苦しめるだけです。

患者さんが感じている実存的な悩みに答えはありません。それは人類普遍の大命題といってもいい。キリスト教や仏教などの宗教ホスピスがあるのもこのためですが、しかし、だれもが信仰を持って毅然として死に臨めるわけではありません。

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