鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

今日めげるのがもったいない。今日できることは、今日したいんです 「深見賞」受賞者 渡辺禎子さん・「佳作」受賞者 西山きよみさん × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成/江口 敏
発行:2014年1月
更新:2019年7月

  

おふたりの貴重な体験は、がん患者さんが生きていくための大きなヒントになると思います

『がんサポート』は平成25年11月号で創刊10周年を迎えたのを機に、「がん闘病記・深見賞」を企画した。177編の応募があり、深見賞(最優秀賞)1編、優秀賞2編、佳作2編を選定し、去る11月1日、授賞式を行った。

式に出席された渡辺禎子さんと、西山きよみさんを、鎌田対談のゲストに迎え、がん闘病の悲喜こもごもを語っていただいた。鎌田さんの絶妙な語り口は、おふたりの闘病の背景にあった感動の物語を、あますところなく引き出し、同席したスタッフの心を揺さぶった――。

渡辺禎子さん「よくぞここまで生きてこられたな、という気持ちです」

わたなべ ていこ 1943年北海道函館市生まれ。1964年函館ドレスメーカー女学院デザイナー科卒。1966年結婚。夫の転勤で札幌から釧路に移住。釧路の家族検診で胃がんが見つかる。1年後、腸閉塞を発症。札幌に戻った50代に肺がんに。ついで甲状腺全摘。60代で乳がんを発症し、現在、闘病中。「普通を目標」に1日1日を大切に暮らしている。現在、夫婦ふたりで札幌市に在住

西山きよみさん「『きよみあいしている』と書かれた紙は私の一生のお守りです」

にしやま きよみ 1950年大阪市生まれ。1969年四天王寺学園高校卒。1972年結婚。奈良で夫の両親、3人の子どもたちと暮らす。2010年7月、夫を肝細胞がんで亡くし、その9日前に乳がんのため右乳房全摘手術を受ける。その後、半年間は立ち直れなかったが「エンジョイヤー」として残された人生を楽しみたいと思っている。NCN 若草の会で会計を担当。現在、奈良で長男とふたりで暮らしている

鎌田實さん「いい笑顔です。おふたりの作品を選んで良かったと、改めて思いました」

かまた みのる 1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

38歳で胃がんの手術 子ども用の惣菜を頼む

鎌田 渡辺さんは札幌からですが、いま北海道は紅葉が真っ盛りですか。

渡辺 そうですね。だいぶ寒くなりました。

鎌田 奈良はいかがですか。

西山 私の家の周りは稲刈りが終わり、藁が干してあって、秋だなぁと眺めています。

鎌田 渡辺さんが胃がんになったのは30何歳でしたか。

渡辺 38歳です。

鎌田 まだ若かったから、びっくりしたでしょう。そのときお子さんはいくつ?

渡辺 いちばん下の長男が幼稚園に入ったばかりでした。真ん中の次女が、きょう来ているんですが、小学校4年生で、長女が中学1年生でした。

鎌田 上の2人は大変な状況がわかっていたけれど、幼稚園の子がよくわからず、家に帰っても誰もいないために、お姉ちゃんの中学校の玄関をうろうろしていたとか。

渡辺 そうです。あとでその話を聞いたときは、本当に悲しかったです。

鎌田 ご主人は放送局勤務で忙しく、泊まりがけのこともあったから、子ども3人で生きていかなくてはならない。だから、生協の人に子ども3人分の惣菜を揃えてもらった。

渡辺 あの時代、まだ惣菜が店頭になかったんです。それで店長にお願いしました。私の目の前で担当者の方と相談し、快く引き受けてくださいました。

鎌田 (控え席の娘さんに)そういうこと、憶えてる?

渡辺・娘 憶えてます。店頭に私たちの分だけ別にして置いてありました(笑)。

鎌田 そのとき店の人に、自分ががんであることを告げたんですか。

渡辺 いいえ、「突然入院することになりました。小さい子が3人ですので、なんとかお願いできませんか」と、すがるような気持ちで頼みました。

鎌田 もしかしたら、このまま死んでしまうのではないかと思った。

渡辺 思いました。最初、バリウム検査では、すでにかなり悪く、別の総合病院を紹介されたんです。

対談会場にいる渡辺さん(中央)の次女に「惣菜を取りに行ったことを憶えてる?」と優しく話しかける鎌田さん。左はそのやり取りを聞いて微笑む西山さん

全摘手術後、通過障害に 54キロが34キロに激減

鎌田 胃の全摘手術をし、摘出は上手くいったんだけれど、通過障害を長く患うなど、どうもその後があまり上手くいかなかった感じですね。

渡辺 その頃はまだ、抗がん薬が1種類しかなかったんですね。それが強くて嘔吐が続きました。

鎌田 何キロ痩せたんですか。

渡辺 54キロで入院したんですが、退院したときは34キロになっていました。

鎌田 周りにやさしい人たちがいて、いろいろ気遣ってくれたそうですね。

渡辺 さりげなく手づくりの肉まんを届けてくださったり……。また、胃を全摘したカメラマンの方が何気なく「全摘しても、私の体は前に戻りました」と言われたことで、とても安心しました。そういう普通の人の何気ない言葉に救われましたね。

鎌田 お子さんたちはよく勉強をする、いい子たちですね。

渡辺 入院するとき、もう帰れないかも知れない、という思いがあったものですから、長女に私の気持ちを伝えました。「もしかしたら帰れないかも知れない。そのときはお父さんは仕事があるので、新しいお母さんが来るかも知れない。だから、そのときはきちんと時間を決めて勉強すること。それが私との約束よ」って。そうしたら、長女が号泣したんですよ。それにつられて次女も下の子も、私も号泣しました。

鎌田 仕事があるご主人は別にして、母子がひとつになったんですね。

渡辺 とにかく必死だったんです。

鎌田 嘔吐はどれくらい続いたんですか。

渡辺 1年くらいでしたか。8~9カ月経ったとき、耐えられなくなって、主治医の先生に、「もう食べられない」と告げました。そうしたら、「そろそろ抗がん薬、止めようか」と言われ、止めてからは少しずつもどさなくなりました。

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