第一回 闘病記大賞 優秀賞 受賞作品
「がんはお友だち」
知的障害という個性の中で乳がんと向き合う
ひとりぼっちの乳がん告知
私は2001年の秋に乳がんのこくちをうけました。私が甘えることのできる身内はもうこの世に一人も生きのこってはいない中でドクターからの、乳がんのこくちをうけました。
その時に、私は浄土真宗の通信教育を受けていました。私はレポートを書くのが好きです。それで、通信教育を受けていました。私にとって、そのことが大きな希望でした。それで、私は必ず生還して、退院して、レポートを書きあげるというゆめをもちました。
無事に退院して、レポートを書きあげました。京都でのスクーリングが義務づけられていない入門課程だけしか受けていません。上洛ができないからです。
手術はドクターのおかげでせいこうしました。なぜか腕のあがりがわるくなり、しかも、腕がいたいのです。
私はお金をかけなくてやれる我流のリハビリをはじめました。とにかく、退院したらレポートを書くというのが何よりの希望の灯でした。
私は退院したあとで、京都の中央仏教学院の入門課程のレポートを書いてそつぎょうしました。そのあとで東京都にある東京文化学院の、これも浄土真宗の通信教育を受けました。上京できないので、スクーリングにはさんかしませんでした。
こうがん剤のとうよも、ほうしゃせんのちりょうも受けたことはないし、がんの再発もありません。
でも、いまだに闘病という気もちで、からだには気をつけています。乳がんになってよかったです。一日一日を大事に生きるようになりました。
そして、何を聞いても何を見ても感動するようになったことです。乳がんになったことで心が強くなりました。うたれ強くなりました。それに、多病そくさいとか一病そくさいとか無病そくさいとか、自称で言われる人たちとも仲よしになれたことに感謝します。
大変な現実を抱えている人ほど 人に甘えない
知的障害者のしせつの利用者です。医りょうひ3割でかいごほけん料も払っています。平成25年の去年も医りょうひ3割でかいごほけん料を払っています。
おととしの24年には沢山のポリープが胃ぶくろの中にできました。のどのせっかいもしました。がんの転移は今のところありません。
にゅういんしているときに知りあった人たちから、いろいろと気づきをいただきました。
そこで気づいたことは、大変な現実をかかえている人ほど、人に甘えていないということでした。そういう人たちが、私に親切にしてくださいました。
子供のときには、ぜんそくぎみでした。リウマチ紫はんしょう、筋肉ロイマチス、ようついへんけいしょう、ぎゃくりゅうせいしょくどうえん、その他もろもろありました。みずぼうそう、はしか、ぎじしょうこうねつと、いろいろとありました。
二十代の前半でもうちょうを切りました。十代の後半でリンパ腺がはれて、ちりょうをうけました。げんいんふめいの病気で、高等学校を中退しました。ぎゃくりゅうせいしょくどうえんでは何ども死にかかりました。りん死体験もやっています。たんせきをとり出す手術もやっています。
庭の桜の木のこぶ
話がぜんごしています。のうりょくにアンバランスがあるのです。とくいなかもくで点をかせいで、高等学校に合かくしました。できないこと、わからないことが多くて、ひとりぐらしはできません。今もぎゃくりゅうせいしょくどうえんはひきずっています。
しせつの庭のさくらの木のこぶが、ふしぎに切りとった右がわのちぶさのような気がしてなりません。右がわのおちちだと思って、さくらの木のこぶにやさしくかたりかけています。
予告なしにポリープが胃に下宿する
ポリープは良性です、ピロリ菌なしでした。沢山できたポリープたちです。
「園子ちゃん、下宿するよ」の予告もなしに、いつのまにか、私の胃ぶくろの中に下宿して、家賃もしはらうことのない、ポリープたちに、初子(はつこ)、二子(つぎこ)、三子(みつこ)、四志子(よしこ)、五子(いつこ)、六子(むつ子)、七子(ななこ)、八子(ようこ)と名づけました。にぎやかな胃ぶくろです。
きっとポリープ語で、サーモンピンク色の天使たちは、私のことをそうかつしているのだと思うようにしています。
私は乳がんのこくちをうけるまえは、まさかがんになるなんて考えてもいませんでした。多くの人が、ちょっとでも心配なことがあると「がんかしら?」と不安になる中で、私はまことにおどろくほどにのうてんきでした。
こくちをうけたときも、通信教育がある、だから、生かしてのおもいでがんばりました。
乳がんにかかる女性が多いですネ。右がわの切りとったおちちへのノスタルジーはたしかにあります。
でも、乳がんになったことで、一日一日が、かがやいてみえるのです。一日一日がとてもきちょうなのです。そして人様のなさけがありがたいです。
今も、腕のあがりがわるいし、未だに切った部分がいたむこともあります。リハビリに心がけでいます。がんがわたしのいのちを、助けてくれたのです。