妻と共にがんと闘った追憶の日々
君を夏の日にたとえようか 第6回
架矢 恭一郎さん(歯科医師)
顕と昂へ
君を夏の日にたとえようか。
いや、君の方がずっと美しく、おだやかだ。
――ウィリアム・シェイクスピア
第二章 1次化学療法
5.治療:タキソテール
2015年1月17日、土曜日。恭子の両親が四国から出てくる。
夕飯の前に乳がんの話をする。転移があることまで話したかどうかは記憶が定かでない。5㎝という大きな乳がんが見つかったが、薬がよく効いていて順調だという話を中心に説明したのだと思う。
「なんでまた、恭子が……」と母親は繰り返した。動揺はみられるが前向きに捉えてくれたので安心したと恭子は言っていた。
「世の中に人はいっぱいいるのに、どうしてよりによって恭子ががんなんかになってしまったんだろう」と、母親は繰り返す。「もっと早くに見つけることができなかったのかねえ? どうにかならなかったのかねえ?」と。
乳腺症が混在していたことや最初に乳がんが疑われて16年間もきちんと定期検診を受け続けてきたのだ、などといくら説明をしてもすぐには冷静に受け止められないだろうと思って、言い訳めいたことは言わなかった。両親はその晩眠れなかったらしい。親とすれば当たり前のことだ。
セカンドオピニオンを受けに東京に
1月25日、日曜日。いよいよ東京の国立がん研究センター中央病院の藤田先生のセカンドオピニオンを聞きに行く。
そこは決して巨大病院という訳ではなかった。病院というよりは駅の雑踏のような騒然とした混み具合だった。これだけ多くのがん患者がどう転んでも予定通りはけるとは信じられなかった。
恭子と私の藤田先生との面談の予定は午後1時から1時間だった。未明に起きて、飛行機で東京に駆けつけて、この混雑だ。私でさえ待ち疲れている。恭子はさぞやつらかろうと思うが、ゆっくり休ませてあげられる場所も見つからなかった。その場を離れずに順番がきて名前を呼ばれるのをジリジリと待つよりなかった。場所を移動しての、その繰り返しだった。じっと名前を呼ばれる順番を待つだけ……。恭子は緊張の面持ちながら、辛抱強く、落ち着いて振る舞ってくれた。谷本先生がご紹介くださった偉い先生らしい。不安だけど、がんばると恭子。
セカンドオピニオンを受ける部屋に通され、そこで藤田先生を待つだけというところまで漕ぎつけたので、2人ともあまり食欲はなかったが、病院内のコンビニで買った昼食を外の花壇に腰掛けて食べた。外のひんやりとした空気がのぼせた頭には心地よかった。
奥まったところにある面談に充てられた診察室は、表の待合室の騒々しさとは打って変わって、静かでひっそりとしていた。ゆっくりと少人数の患者が待っていて、気持ちが少し落ち着いてきた。
恭子の名前が呼ばれ、通された診察室には誰もいなかった。
「こちらでお待ちください。藤田先生は病棟の患者さんの手当ての指示が済み次第、参りますので」と、感じのいい看護師さんが告げた。
「あの、可能でしたら先生との面談を録音したいのですが?」と私が言うと、「録音していいですよ、とおっしゃられる先生もいらっしゃいます。藤田先生にご希望をお伝えしましょうね」
「ありがとうございます」と恭子がお辞儀をする。
藤田先生はやせ形で温和な顔立ちながら眼光鋭く、トップを走っている学者に特有の自信に満ちた雰囲気を醸(かも)しながら現れた。恭子と私が立ち上がって、お決まりの挨拶をすませると、「お座り下さい。連絡は谷本先生からもいただいております。私にできることはなんでもしますから、いつでも訪ねてきてください。録音は勿論大丈夫ですよ」と言ってくださった。
録音が許されたので、先生のことばを記録せずに拝聴できることになってホッとした。先生の意見をじっくり聴けるし、聞き逃したりしても何度でも聞き直すことができる。質問は私が時間をかけて考え、恭子に説明して、恭子の意見も取り入れたものを文章に打ち出して用意してきていた。先生にもコピーをお渡しした。
(1)全体的な治療方針について
まず私が恭子の病状とこれまでの1次化学療法の経過と結果をかいつまんで説明した。つまり、これまで4クールのFEC療法(フルオロウラシル+エピルビシン+シクロホスファミド)と2クールのタキソテール療法(一般名ドセタキセル)を受けて、抗がん薬は原発巣にも転移巣にも著効していること、その後ホルモン療法に移行していく予定であるが、この抗がん薬の選択と治療経過について先生のご意見を伺いたいと切り出した。
「初回の治療の選択は非常に大事です。アンスラサイクリン系とタキサン系のタキソテールの2種類を使っていますが、これは世の中の流れから大きく外れているというようなことはありません。ただ、1種類だけを使って様子をみることもあります。骨だけに転移のある人はがんと長くつき合えるタイプの乳がんであることや、体からがん細胞を全部除去することは難しいというようなことは聞かれましたか?」
「はい」
「PETはせいぜい2㎜くらいのがんの塊を見つけられるが、何千、何百という少ないがんの塊は見つけられないので、体の中にがんはあると思ったほうがよい。治るのは難しい。転移のある人で治るのは5%以下です。何十年も再発しない人もいるけど、経過をみないとわからない。骨だけの転移の人は良好なことが多い」
「今後、長期的にはどのような治療方針がよいと思われますか?」(私)
「長期的には1~2カ月ごとに通院して経過をみてもらい、がんと仲良くつき合って行きましょう。一番大事なことは極端な生活をしないこと。極端な食事療法、民間療法はよくありません。これまでと同じ生活を続け、前向きに捉えて、明るく考える。病気のことばかり考えないで、余暇や趣味、友人などと積極的に外に出ていく。これまでの生活を変えず、むしろ外向的になることでがんと仲良くつき合っていけます。
抗がん薬後、ホルモン療法につなげるのも通常のやり方です。病気の勢いが強くないとき、急に大きくならないとき、脳、肺、肝臓などへの転移のないときはホルモン療法で、脳、肺、肝臓などへの転移が起きるときはがんが元気なので、しっかり抗がん薬を使います。
骨だけにじっとしている場合は、ホルモン療法でOKです。片手以上のホルモン療法の種類があります。最初はカチッと抗がん薬を使い、その後はなるべく抗がん薬を避けて、ホルモン療法が大切で、長くつき合っていくことが大事です」
「タキソテールに変更されるときに、主治医の山崎先生は先生のセカンドオピニオンを前もって聞きたかったと言われておられました。タキサンを温存すべきかと迷われたのでしょうか?」(私)
「確定的な方法はありません。うちでは、最初1種類を、ACという安いアンスラサイクリン系の療法か、あるいはタキソテールを使います。どちらも6~8回やって様子をみる。2剤をカチッとやっておくのも1つの考えです」
「抗がん薬がだんだん効きにくくなることはありますか?」(恭子)
「それはあります。がん細胞が薬剤耐性を獲得するので、あまり抗がん薬をダラダラ使わず、最初だけカチッと使うのがよい。多くの抗がん薬を使うと耐性が起こりやすいのです」